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首賭け公孫樹

東京は今でこそ日本の首都であるが、

元は田舎町であった。扇ガ谷上杉氏の家宰であった太田道灌

江戸城をつくってはいたが、

本格的に栄え始めたのは徳川が拠点と定めてからである。

それも徳川家康が生きているうちには完成せず、

家康は駿府にいた。

 

当時日比谷のあたりは入り江になっていて、

江戸時代に埋め立てられたのだが、

明治初期に地盤が不安定と言うことで、

陸軍の練兵所になっていたが、公園にすることにし、1903年に開園となった。

設計者は本多静六博士。

 

その本多静六が道路整備のために切り倒されようとしていた公孫樹を

首を賭けてもと移植させたのがこの首賭け公孫樹である。

20251201223427

pixel7a 5.43mm SS1/1972.39 F1.89 ISO42

 

戦中、主幹が切り詰められてしまったり、

1971年の沖縄返還の時には過激派の投げた火炎瓶で松本楼が全焼し、

この公孫樹も黒焦げになってしまったたりと、

何度も危機に遭遇し、そのたびに奇跡の復活を遂げたことから、

現在はパワースポットとしても知られている。

 

気骨あふれる本多静六

明治神宮羊山公園大沼公園鶴ヶ城公園臥竜公園卯辰山公園、

大濠公園などの設計に携わり「公園の父」と呼ばれる。

また、武蔵嵐山の名づけの親でもある。

 




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