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ねねの道

荷物をまとめ、ヘッドライトを装備し、

真っ暗な中知恩院分岐まで戻り下山を試みる。

知恩院はしまっているというが

確か円山公園に降りる道があったはずである。

 

遮二無二降りたところ、

知恩院がしまっている場合はこちらから降りてくださいと言う標識を発見し

無事降りることができた。

 

何やらお寺の脇から出てきたが、

頼山陽の墓があるらしい。

頼山陽の墓は広島ではなかったか…

石畳の道を方向もわからず進むが

塔が見える。

20250713022151

pixel7a 5.43mm SS1/12.61 F1.89 ISO804

 

あとで調べるとこの石畳はねねの道と言うらしい。

御陵衛士が駐屯していたのもこのあたりと言う。

御陵と言うからてっきり山科あたりかと思っていた。

油小路の変が起きたのはほぼ京都駅前だったが、

伊東甲子太郎がどこに向かっていたのかは気になるところ…

 

この道を抜けると維新の道に出た。

霊山神社と言うと応仁の乱の…なぜ維新…と思ったが、

これは誤りで、応仁の乱は御霊神社であった。

あかん…ボケまくりや…

なお剣豪将軍足利義輝が霊山に城を築いたが

三好長慶に敗れている。

 

この写真を撮影したのが19時45分くらいだったので、

45分足らずで東山山頂公園から降りて来たことになる。

 

 




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