この橋に来たというのは、この橋から永代橋を見ると
隅田川下流の桜並木が永代橋よりも近いのではと思ったからだが、
左側、言われれば咲いてるかと言うぐらいである。
pixel7a 5.43mm SS1/19.28 F1.89 ISO486
そもそも隅田川下流の桜並木は剪定されてしまい、かなりこじんまりとしている。
デジタルズームを使用すればもう少し大きく写せるが
川面に写りこんだ光を入れたかったためこの写真になった。
スカイツリーは電波塔である。
東京タワーが産経新聞の社長だった前田久吉が中心となって設置したのに対し
正力は東京タワーからの放送を拒否し、
自前でタワーをつくろうとしていた。
その計画は頓挫し、正力の死後、
日本テレビも東京タワーからの放送することになった。
正力は元々内務官僚だったが
読売新聞の社長に就任する。
その後、テレビ放送に向けて動き出し正力マイクロ波事件を引き起こすが
1953年テレビ放送を開始、
11月15日に自民党が発足すると合流する。
PODAMと言うコードネームを持つCIAのエージェントでもあった。
1953年12月8日アイゼンハワー大統領によるアトムフォーピース演説。
1954年3月3日中曾根康弘らが原子力予算を提出し、3月4日に通過する。
それに先立つ1954年3月1日第五福竜丸事件が起きるが、
それがスクープされたのは1954年3月16日であった。
第五福竜丸事件をうけ、1955年8月6日原水爆禁止世界大会が広島で開催され
日本では反核・反米の機運が高まっていた。
そんな中、日本が核技術を移転しろと言う…
もし核を移転した後で、日本に反米政権が爆誕し、
ヒロシマ・ナガサキの復讐をしてくれよう…などと考えようものなら、
アメリカにとって悪夢である。
アメリカが求めたのは永続する親米政権と、テレビによる日本人の親米化であった。
結果1955年11月15日の自民党成立の前日になって、
日米原子力協力協定は署名されるのである。
そして、ここで登場するのがPODAMである。
1956年1月初代原子力委員長に就任し原子力の推進に辣腕を振るうことになる。
何しろ、原子力をやるには親米政権でなければならない。
原爆投下の核アレルギーや第五福竜丸でいきりたった国民を鎮めるのは
テレビを支配する彼にしかできなかったことに違いない。
しかし永続する親米政権のはずの自民党が成立したとはいえ、
当初、アメリカの思うようにはいかなかった。
1954年11月24日に民主党と改進党が合併し日本民主党となり、
12月10日吉田茂の自由党に代わり日本民主党総裁、鳩山一郎が首相に就任する。
1955年1月24日、謎の天の声により解散するも、鳩山は政権を維持。
1955年11月15日に自民党が成立したにもかかわらず、
1956年4月5日になってようやく鳩山が自民党初代総裁となる。
鳩山が自民党総裁となるのに時間がかかったのは、
アメリカが吉田茂の後継で自由党総裁になっていた緒方竹虎を推していたからだと思われる。
緒方もまたCIAエージェントでPOCAPONと言うコードネームを持っていたのだが、
1956年1月28日に急死してしまった。
鳩山はソ連との国交回復を進めるが、ダレスの恫喝を招く。
1956年12月23日鳩山は退陣し、アメリカは後継候補として岸信介を推すが、
首相に就任したのは石橋湛山であった。
石橋と言えばGHQの予算を削りにきたので、公職追放した奴ではないか!
当時日本人が飢えている中、
GHQは当時日本の国家予算の1/3を占めていた思いやり予算を使用して
自分たち向けの贅沢なゴルフ場をつくったりしていたのであった…
石橋は1957年1月25日に病に倒れ、2月25日に退陣した。
同日、岸信介が総理大臣に就任し、
PODAMは国家公安委員会委員長、科学技術庁長官、原子力委員会委員長を兼任したのであった。
参考文献
