こちらは西から東に向かって撮影したもの。
桜の花は透過光気味になるものの
空は青くならない。
なので空はあまり入れずに
桜と菜の花のせめぎあいを縦位置で撮影した。
OM-1 Mark II + M.ZUIKO DIGITAL M.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4.0 IS PRO(100mm) SS1/1250 F4 ISO200
手前の菜の花はあえてぼかす。
こういう表現はフルサイズにF2.8ズームなどの方が利がある。
昨日、日本の給食におけるアメリカの影響について少し書いたが、
戦後の日本とアメリカの関係に関しては大きく分けて2つの転機があった。
まず日本の占領当初の占領政策はGHQの民生局(GS)が主導していた。
この時代、アメリカは日本がもう二度とアメリカと戦争したりしないように
徹底的に日本の民主化をはかった時期である。
労働組合を強化し、鉱業を崩壊させ、エネルギーや資源を完全に自給できなくする。
農地改革で大規模農業を解体し、政権は社会党政権になった。
第一の転機は朝鮮戦争である。
この後、民生局に代わって参謀二部(G2)が政策主導し、
警察予備隊の設置など、いわゆる逆コースを描くことになる。
ある程度体力をつけさせアメリカを支援する国にすることを目指したと考えられる。
しかし、すでに平和憲法は施行されていたので、
元植民地同士の内乱であるにもかかわらず、日本は朝鮮戦争ではほぼ何もせず、
朝鮮戦争特需を享受した。
また韓国軍はあまりに不甲斐なく、
あっという間に釜山あたりに追い詰められ
山口に亡命政権をつくることを検討する有様であった。
仕方がないのでアメリカが介入し仁川上陸作戦で反転攻勢に転じ、
核攻撃を主張するマッカーサーは解任され
隣国の戦争が膠着状態の中、日本は再独立を果たす。
その後、55年体制となり、高度経済成長をなし遂げ沖縄も返還される。
一方で、ベトナム戦争が起き、韓国は強制参加させられたが、
日本は平和憲法のおかげで参戦をまぬがれている。
第二の転機は冷戦終結である。
具体的にいつ冷戦が終結したのかは諸説あるが、
中東戦争…これは米ソの対立ではなかった。
アメリカ…ユダヤ系のキッシンジャー国務長官はイスラエル支持を求めたが、
田中角栄は石油が得られなくなると拒否した。
その結果がロッキード事件であったという説がある。
当時、日米貿易摩擦がはじまっており、
以降、アメリカはじわじわと日本に対して内政干渉を行い締め付けていった。
繊維交渉、プラザ合意、半導体交渉、スーパー301条、牛肉オレンジの自由化、年次改革要望書…
それでもバブルあたりまではジャパンアズナンバーワンだったのだが…
一般に団塊の世代よりも前の人たちは
俺たちが頑張ったから日本は奇跡の復興をなしとげた。
今の日本が元気がないのは
段階ジュニア以降がだらしないからだという論調になりがちである。
しかし団塊ジュニアとして弁明させていただくと、
戦後の日本の興廃は、わりとアメリカの意思次第であったと言える。
アメリカの意思が変わったのに日本のやることが変わらなければ、
こうなるのは必定であった。
実は日本側にも対米関係を正常化しようと言う動きはあった。
それが非自民細川連立政権の政治改革であったと考えられる。
しかし当時も今もその意義を理解している人はほぼおらず、
短命で元のさやに納まっていったのであった。
アメリカでは第二次トランプ政権が爆誕し物議をかもしているが、
これが3つ目の転機になるかは定かではない。
