これも今は昔、田舍の兒の比叡の山へ登りたりけるが、
櫻のめでたく咲きたるけるに、風のはげしく吹きけるを見て、
この兒さめざめと泣きけるを見て、
僧のやはら寄りて、「などかうは泣かせ給ふぞ。この花の散るを惜しう覺えさせ給ふか。櫻ははかなきものにて、かく程なくうつろひ候ふなり。されどもさのみぞ候ふ」と慰めければ、
「櫻の散らんはあながちにいかがせん、苦しからず。我が父の作りたる麥の花の散りて實の入らざらん思ふがわびしき」といひて、 さくりあげて、よよと泣きければ、
うたてしやな。
宇治拾遺物語 1-13 田舎の兒、櫻の散るを見て泣く事
PENTAX KP + smc PENTAX-DA 21mmF3.2AL Limited SS10 F3.2 ISO100
今となっては昔の話だが、
いなかの子どもが比叡山に登った。
桜がたくさん咲いていたのだが、風が激しく吹いているのを見て
この子がさめざめと泣きだした。
それを見たお坊さんが
「桜がすぐに散ってしまうのは自然の摂理で仕方のないことなのです」と説いたところ、
「花が散るのが悲しくて泣いたんじゃないやい、おとっつぁんのつくる麦の花も散って実入りが悪くなるのが悲しいんだい」と言って泣いたそうな。
嘆かわしや。
当時、ケーブルカーもロープウェイもなかったし当然自家用車もないので、
子どもが比叡山に登るのは尋常ではなかったのではないだろうか。
さて、ここは何が嘆かわしかったのか。
普通に読むと現世の利益を求める子どもの浅ましさを嘆かわしいと言っているように見えるが、
勝手に桜の花が散るのを悲しんでいると勘違いして、説教を垂れたところ、
全然違うお坊さんが嘆かわしいともとれる。
もっと言えば、子どもは実際に花の散るのを悲しんだのだが、言い当てられたのが気まずいので、もっともらしい理屈をでっちあげたのかもしれない。
桜の花を見て泣いている子どもがいても、
何も言わずただ泣かせておけばよい。
人は自分の寿命の数しか桜の花が咲いてから散るまでを見ることはできない。
花の散るのを見て、また寿命が1年尽き、
来年の桜は果たしてみることができるのか…と感傷にひたるのは年寄りに任せておくがいい。
この日は風が強い日だったので、桜の花は大きくぶれていて、
足元を見ると花びらが散っている。
一方で支持する鉄柱は微動だにしない。
これをソフトフィルターで柔らかく仕上げ、
ホワイトバランスを白熱灯で夜桜であることを強調している。
なお、撮影には三脚を使用しているのだが、
使用した三脚はKINGの8段三脚である。
この手の三脚は…まぁ初心者が騙されて手を出すやつで、
撮影しようとしたらお辞儀してしまったりするのだが…
KINGの8段三脚でもAmazonで売っているやつは雲台を外すことができる。
使えない雲台はさっさと捨てて、
倒立式自由雲台に付け替えている。
これはLEOFOTOのMBC-20だが、
小生はジェネリック版を使用しているのだが…
今はAmazonでは売られていない模様。
自由雲台は可動部が球状にになっていて、
横に360度…縦に180度可動するのだが、
通常の自由雲台が三脚側にボールがあるのに対して、
カメラに取り付ける側にボールがあるので
コンパクトであり、
ボールの固定はレバーロックであるのだがこれがなかなか良い。
また、アルカスイス規格のプレートと組み合わせてカメラを固定することができる。
一方、脚の方は、1年も使っているとガタが来るので消耗品と割り切るべきだろう。
この三脚は小生の所有している三脚でも最もコンパクトな組み合わせである。
昨今、特にスマートフォンは暗くても撮れてしまうので
三脚を持たない人が増えているが、
スローシャッターで撮影するときなどは必要になる。
三脚はそれこそピンキリだが、
小型のAPS-Cにパンケーキくらいならこいつで十分である。
…昨年記事にしていた…
