石川県の士族らによって暗殺される事件が起きた。
世にいう紀尾井坂の変である。
紀尾井坂と言う。
木戸孝允が明治10年5月26日に、西郷隆盛が明治10年9月24日に亡くなっており、
維新三傑は全て死に絶えたことになる。
その紀尾井坂の変の石碑が清水谷公園に今も残る。
pixel7a 5.43mm SS1/396.98 F1.89 ISO40
普段は石碑の扉は閉められているのだが
この日は扉が開いており近くまで寄ることができるようになっていた。
石碑に龍が刻まれていることには撮影した後気がついた。
なおこの清水谷公園の隣に参議院議員宿舎が建っている。
その年のうちに新川県、七尾県、金沢県に分割。
翌明治5年、金沢県が県庁を石川郡に移転し石川県となった。
その後、石川県が七尾県・新川県を編入、さらに敦賀県の嶺北地域を編入し
県庁を加賀に戻した。
大石川県となったのだが、
この紀尾井坂の変により
さて石川の士族は何にブチ切れてこのような挙に出たかと言うと、
やはり西郷の死が挙げられる。
当時廃藩置県で士族は失職していたわけで、
それを救おうと西郷は征韓論を唱える。
戦争になれば兵隊がいる、失職した士族を雇用できる。
発想がやべぇが
当事者の士族には支持されたようで
征韓論が没になり西郷が下野すると不平士族が各地で反乱を起こす。
しかしついに西郷も西南戦争で命を失う。
反乱しても勝てないと悟りテロ行為に及んだと言うのが一般的な解釈である。
しかし、彼らは斬奸状を手にしていた。
そこには朝令暮改の愚と書かれており
石川県の変遷を見ればなんとなくさもありなんと思うわけである。
