薔薇園の観察を終えて引き上げる途中で
オンブバッタを見かけた。
翅が生えてるところを見るに無事成虫になったようだが、
オンブしていない…
16頭身の推し活に忙しく
いき遅れたオンブバッタ子さん…
PENTAX KP + HD PENTAX-DA 35mmF2.8 Macro Limited SS1/80 F8 ISO800
いやまぁヒメクダマキモドキを背中に乗せたオンブバッタと言うのも
見てみたい気もするがw
しかし、さすがにこの日を最後に
オンブバッタ子さんも16頭身くんも見なくなった。
年が明けた6日、日比谷公園の梅林では一部すでに花が咲いていた。
街では門松が目立つが
一休宗純はこう詠んでいる。
門松は 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし
だが待って欲しい。
門松は三方ヶ原の戦いに負けた徳川家康がはじめたのではなかったろうか?
蜷川☆新右衛門☆親当が仕えた将軍は万人恐怖の足利義教である。
母親は南朝の皇族の娘だったので
若くして寺に預けられたことになっている。
南朝の残党に担がれるおそれがあると言うことで、
南北朝を合同した義満から危険視され
監視していたのが新右ヱ門さんだった。
結構ダークな設定だが
当時の子どもはこれ理解できたのだろうか。
…貴重な天皇家の男系男子が…
義満の死後、長男の義持が将軍となり
その子義量が若くして亡くなり
後継者不在でくじ引きで将軍が義持の弟である義教に決まる。
そのため将軍の権威が弱く、暴君化して行くのである。
新右衛門さんは後に出家して智蘊と号し
連歌七賢と呼ばれ、連歌中興の祖と言われるほどのなにげにすごい人だったんでござるよ。
一休どの~ お知恵を貸してくだされ~
義教は赤松満祐に謀殺されるのだが
その後、赤松氏を攻め滅ぼすのが山名宗全で、
明徳の乱で失墜していた山名氏は復活を果たす。
そのころ、南朝の残党が京都を襲撃し神器を奪うという事件があり
のちに赤松政則がこれを取り戻すことで赤松氏は再興する。
このことは南北朝合一後、歴史の闇に消えたことになっている南朝も
実はしばらくは一定の影響力を持ち続けたと言うことを意味する。
朝倉孝景(チート爺こと宗滴の父)や斎藤妙椿らと活躍することになる。
どちらかと言うと20歳年上の一休が意地悪な問題を出題し、
しかしのちに一向一揆にのめり込んでいく蓮如にがっかりしたとか…
一休は応仁の乱後に焼け野原になった京の再建にも尽力している。
南北朝・観応の擾乱から応仁の乱・戦国時代まで本当にひとやすみだったのである。
