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内桜田門

眼鏡橋を堀沿いに西に進むと内桜田門がある。

桔梗門と言う別称がありこの門と外桜田門で虎口を形成する。

堀側が開けているので枡形虎口とは言えないが

対岸からも狙撃されるので、やはり高い防御力を持つ門と言える。

まぁ…こんなところまで攻めてこられたらさっさと降伏したくなるが…

20241030230819

pixel7a 5.43mm SS1/3225.81 F1.89 ISO43

 

桜田門と言うと、桜田門外の変を連想するが、

二・二六事件皇道派の将校はは桜田門半蔵門の間あたりに展開し、

桜田門前の警視庁も制圧されている。

侍従長だった鈴木貫太郎らが重傷を負ったことから

昭和天皇が激怒し反乱軍は包囲され、投降した。

この結果、陸軍の主導権は統制派が握ることになり、

軍部大臣現役武官制を復活させ、事変後の広田弘毅内閣の組閣にも露骨に介入するなど

ますます制御不能となり、

国民もマスコミに煽られ威勢の良いタカ派の論調を支持した。

これは忘れてはならない歴史の事実である。

 

このように、太平洋戦争を主導したのは統制派であったので

敗戦後、東京裁判で裁かれたのはもっぱら統制派であった。

また、生き残った大本営参謀は、

GHQ参謀2部チャールズ・ウィロビー少将の知己を得て、

戦後も暗躍することとなる。

このあたりの事情は有馬哲夫の「大本営参謀は戦後何と戦ったのか」に詳しい。

www.shinchosha.co.jp

 

 




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