以下の内容はhttps://cloudmoon.hatenablog.com/entry/20240820/1724079600より取得しました。


二重橋(真)

眼鏡橋を撮影して満足して帰ってしまったので

三度皇居に参上した。

ちょうど反対側の北側にある武道館では

全国戦没者追悼式が行われている頃であろうか…

20240815210917

OM-1 Mark II +M.ZUIKO DIGITAL ED 30mm F3.5 Macro SS1/4000 F5.6 ISO200

 

拡大しなければ問題ないのだが

ベイヤー型イメージセンサー

遠景の樹の葉の表現がどうしてももやもやした感じになってしまう。

 

こういう緑多い風景を撮影するなら

Foveonセンサー機を持ち出したいところではある。

 

江戸城は扇谷上杉氏の家宰だった太田道灌によってつくられたと言われる。

しかし巨大化したのは徳川家康が入城してからである。

その規模は隅田川から浅草橋、万世橋、水道橋、小石川門、牛込門、市ヶ谷門、

四ッ谷門、赤坂門、溜池、虎ノ門御成門、浜御殿を結ぶ総構えであった。

天守閣は慶長度(1607年)・元和度(1623年)・寛永度(1638年)と3度建てられたが

明暦3年(1657年)の明暦の大火によって焼失した。

再建が計画され、天守台は築かれたものの市街復興を優先し、再建されず、

政務は本丸御殿で行われ、有名な松の廊下も本丸御殿にあった。

その本丸御殿も何度も焼失を繰り返し、文久3年(1863年)の焼失で再建されず、

西ノ丸御殿に機能を移した。

 

王政復古後、明治天皇が入ったのも西ノ丸御殿だが、

明治6年1873年)焼失。赤坂離宮に移った。

明治21年1888年)西ノ丸に明治宮殿が完成し宮城と称される。

その明治宮殿も昭和20年(1945年)5月24日から25日の空襲で焼失したが、

すでに御文庫に移っていたので事なきを得た。

 

終戦後、宮内庁庁舎の最上階を仮宮殿としたが、

昭和43年(1968年)新宮殿が完成した。

皇居の再建まで23年かかっているが、

これは昭和天皇の国民が戦争で住むところもなく生活もままならないのに

宮殿などつくれるかと言う意向によるものであった。

 

1968年は、はじめて琉球政府行政主席選挙が行われ

即時無条件沖縄返還を掲げる候補が

自民党アメリカの支援する候補に圧勝した年であった。

 




以上の内容はhttps://cloudmoon.hatenablog.com/entry/20240820/1724079600より取得しました。
このページはhttp://font.textar.tv/のウェブフォントを使用してます

不具合報告/要望等はこちらへお願いします。
モバイルやる夫Viewer Ver0.14