年始から『ドグラ・マグラ』を読み、他の夢野作品もいくらか読んだのでまとめて。
『夢野久作全集9 ドグラ・マグラ』
殺人事件というものを題材にすることで問われるべき主体の責任に焦点を合わせ、それをぐいぐい解体していくような構成を採っているのがアンチミステリ、メタミステリと呼ばれる所以だろう。心理遺伝や脳髄論がある種「操り」のギミックになっていて、そして語り手も自分が誰だかついに分からない。容疑者の責任を霧散させるような架空理論を用意しつつ、さらに語り手が容疑者と同一人物かどうかすら決定されてないという状況で、なおかつ結婚前日に殺したとされる花嫁が仮死状態を経て生きているのではないかという、殺人事件そのものが解体されているようで、すべてが混沌に陥っていく。
この状況を生むためか、語り手が読んでいくことになる作中作も多様な形式と文体によって色々な理論が展開され、幾つかの部分はだいぶ読みづらいところもあるのは読者の挫折ポイントにもなっている模様だ。実際ちょっと読みづらいところが多くて私も予想外に読むのに時間が掛かった。
個々の細胞に人類進化の記憶が埋め込まれているという最小の部分に最大の時間を見いだすロジックを展開し、記憶喪失の主人公のある一日から目まいのするような時間論、存在論を詰め込んでいて、探偵小説という枠組みを用いつつだいぶオカルトなSFのような広がりを感じさせる。今読むとその科学理論がレトロなものに見えるけれど、昭和十年という時代を考えるとここで出てくる理論も先端的な印象を与えるSF的なものだったのだろうとも思える。心理遺伝も寺社の縁起譚や先祖の因縁のような因習的なものを科学的に説明する趣向だったのではないか。ろくろ首の怪談を夢遊病によるものだと科学的に謎解きするくだりやらもそう。それとこれは精神病院を舞台に新奇な治療を試みるタイプの作品の祖型の一つなんだろうか。中井英夫の「とらんぷ譚」や山野浩一の『花と機械とゲシタルト』とか。
ドグラ・マグラという言葉は作中に出てくる時に九州、長崎の方言で「堂廻目眩(どうめぐりめぐらみ)」「戸惑面喰(とまどいめんくらい)」という言葉に由来すると説明されていて、作中にも『ドグラ・マグラ』という書物が登場するなどマトリョーシカの様になっており、幾重にも眩惑的な構成を持つ。この作中に登場する『ドグラ・マグラ』という書物は巻頭歌や書き出しも今読んでいるはずの『ドグラ・マグラ』そっくりで、この病院に収容されているある大学生が書いたものということだけれどこれが語り手自身なのかそうでないのかも分からない。
上掲のドグラ・マグラという言葉の説明に続いてこの原稿について
「極度にグロテスクな、端的にエロチックな、徹底的に探偵小説式な、同時にドコドコまでもノンセンスな……一種の脳髄の地獄……もしくは心理的な迷宮遊びといったようなトリックでもって充実させられております」(P90-91)
とあるけれど、これはほとんど自己紹介的な一節だ。二十年ほど前に読んだきりだけど『黒死館殺人事件』がペダントリーの過剰な奇抜すぎる推理によって解決そのものを浮遊させてしまうとすれば、今作は犯罪や推理自体の成り立つ現実の基盤自体を解体してしまうような仕掛けによって目眩の感覚を描いているように思う。
序盤から中盤にかけての様々な形式での文章を寄せ集めたパートで架空理論の基盤を作りつつ、記憶喪失の主人公に間違った現在時を教えることで時系列を混乱させ、両博士による主人公をめぐる綱引きが彼らの語る情報の真偽性を揺るがせる。推理小説の形式を使ったSF・幻想小説というような感覚がある。
特に終盤、正木博士が一人で延々と長広舌を繰り広げていくなかで、その怒濤の語りによって現実感覚が狂わされていくような部分は迫力がある。こういう一人の人物による語りによって小説にうねりを与えていくのは、映画やら映像やらでは再現困難でかなり小説的な特色だろう。正木博士と若林博士がMとWで分身的、鏡像的なものになっていて、ラストの展開も自分の分身と出会うような場面があり、無限の合わせ鏡を描いた鏡地獄のような趣向を全体にめぐらせているようでもある。なかなか進みが悪かったけれども終盤はさすがに迫力がある。
20年くらい積んでいたのをようやく読んだ。『黒死館殺人事件』を読んで次はこれと思ってたら次が20年後とは……。ちくま文庫版全集九巻2002年の刷りが手元にあり、確か新宿紀伊國屋の今はない新宿南店で買った気がする。
『あやかしの鼓 夢野久作怪奇幻想傑作選』
ホラー文庫らしく怪奇幻想系の傑作選で面白いけど、読んでいて興味深かったのは異国・海洋ものの多さや近代的なものと土着的なものという構図などで、葉山嘉樹なんかのプロレタリア文学とも似た題材が多く、これは昭和初年頃の空気を共有しているからだろうか、ということだった。
「難船小僧」で幾つもの船を沈めてきた疫病神と噂される少年を乗せることに抗議された船長が、科学で船が動いていることを信じられないなら乗るなと返すところがあり、科学によって動く近代的な乗り物と運勢という呪術的なものとの絡み合い、ここにホラーの生まれる余地がある。
「いなか、の、じけん」はタイトル通り田舎での陰惨だったりユーモラスだったり様々な悲喜劇のショートショートが連ねられた中篇で、夢野作品の振れ幅を知るにも好適な一篇ではないかと思う。そして「怪夢」は同様の掌篇連作ながらこちらは工場、街路、飛行機、病院など近代・都市的な風景での幻想を描いていて、対の関係になっている。「怪夢」最後の掌篇「硝子世界」なんかはSF作家の書くショートショートみたいだし、バラードの『結晶世界』を思わせるところもある。海洋ものの多さはこの頃海運業、水産業の存在感がやはり大きかったのだろうか。『蟹工船』『海に生くる人々』とほぼ同時代なわけだし、海を渡った領土を持つ植民地帝国日本という背景がある。
近代化のなかで土着的、呪術的世界観とのズレや相克を背景に、人間性の圧殺や社会性をフォーカスするとプロレタリア文学に、怪奇や幻想性を強調するとこれらホラー系の作品になるような感じがあり、だいぶ隣接ジャンルに思えるのは既に言われてるのをどっかで見た気もする。探偵小説、SF小説、プロレタリア文学の近縁性ってのがあるなってことを思った。
土着性と近代性のほか、「あやかしの鼓」には後の『ドグラ・マグラ』での心理遺伝などに繋がるような受け継がれる呪いといったものがあって、なるほどデビュー作だなと思う。猟奇性、グロテスクな怪奇譚のほか、子を亡くした父の悔恨と幻想を描く「木魂」の切なさも印象的だった。
夢野久作角川ホラー文庫傑作選はもう一つ出ていたのをこの感想を書きながら見つけたけど、最近のちくま文庫選集に一作以外入ってるので今から入手する意味はなさそうだ。
『人間レコード 夢野久作怪奇暗黒傑作選』
収録作は
「笑う唖女」
「人間レコード」
「衝突心理」
「巡査辞職」
「超人髭野博士」
の五篇。
「人間レコード」はソビエトによる謀略を扱ったSF的短篇で人間を人間と見ない非道さが強調された反共SFとも言えるけれど編者は必ずしも作者が反共主義者でないと別作品を例示して述べる。続く「衝突心理」は罪の意識から疑心暗鬼に陥って異常な考え方をしていく人間を描いた短めの一篇。
「笑う唖女」と「巡査辞職」はともに山村での唖で知的障碍の女性を題材にしたという共通点がある。「笑う唖女」はそういう女性を虐げたインテリが彼女によって破滅させられる作品。「巡査辞職」はこの題材をより膨らませたかのようで、本書でも長めの60ページほどある。唖で知的障碍で「白痴美」とも呼ばれる女性とその強欲な地主の両親、その女性と結婚する若い男性の関係が様々に絡み合う山奥の村の惨事を描いた探偵小説。ここではその殺人事件自体の異常性を描くというよりも、事件で露わになった悪意や殺意に触れ、疲弊した巡査が表題通りに辞職するまでを巡査の視点から描いており、なかなかにずしりとくる読後感がある。
末尾の約100ページある「超人髭野博士」は、一転悪童の成り上がり物語の様相を呈しており、百科事典もすらすら覚える抜群の記憶力や日露戦争を勝利に導いた発明をしたなどと吹聴する胡散臭くて軽快な語り口での荒唐無稽な物語となっていて、序盤の想定に対して構成がだいぶ変化している気がするけれども楽しく読める中篇だ。両親も知らず感化院から脱走し見世物師に拾われ、しかし親方を死なせてしまった後は金持ちの未亡人に拾われて学問を教わり、と破天荒な人生が主人公自身によって語られる。犬を勝手に拾って大学に売りつける商売というのもすさまじくて、貴婦人気取りの女性が嫌いだということで貴婦人が連れてるシェパードを強奪しようとする話はなかなかとんでもないけれど、この話が二転三転して、末尾に至るとこの主人公が一杯食わされていたことが明らかになって、ミソジニックな主人公が女性に鼻を明かされる構図になっているのが良かった。
本書では「唖女」や「白痴美」など女性が極めて客体化された作品も多かったけれども、最後にこれがある構成が秀逸だ。
『探偵小説漫想 夢野久作随筆選』
デビュー作「あやかしの鼓」も併録されているのは、探偵小説文壇へ現われた時の江戸川乱歩による厳しめの選評がそこそこ因縁となって他の文章の前提にもなっているからだろう。久作の乱歩論と乱歩の追悼代わりの久作論も本書には収められており、乱歩の久作観の始めと終わりも同時に読める。
久作はしきりに自分は探偵作家のなり損ないだと自嘲していて、じっさい本格推理というようなものは得意ではないようで、ポーや乱歩に対しても本格推理やトリックの研究なぞやらんで別のことに注力して欲しいというようなことを言っている。探偵小説とはいっても、推理が重要ではなかった。
探偵小説の真の使命は、その変格に在る。謎々もトリックも、名探偵も名犯人も不必要なら捨ててよろしい。神秘、怪奇、冒険、変態心理、等々々の何でもよろしい。吾々はもはや太陽の白光だけでは満足し得ないのだ。スペクトルの七色光だけでも既に満足し得なくなっているのだ。紫外、赤外線は勿論のこと、その中に横たわる暗黒線の内容までも分析して、何かしら戦慄的な、絶大恐るべき毒線を作る原素の潜在を確保しなければ、良心的に生き甲斐を感じなくなっているのだ。どこまでも探偵し、暴露して行かなければ本能的に満足が出来なくなっているのだ。
探偵小説の使命はこれからである。
全世界はまだまだそうした探偵小説の処女地である。何でもない暑中見舞のペン字の曲り目から、必死的な殺人の呪いが分析され、新しいハンカチの折目から持主の不倫行為の現場が映写し現わされ得る筈だ。
この無良心、無恥な、唯物功利道徳の世界は到る処に探偵趣味のスパークが生む、新しい芸術のオゾン臭が、生々しく蒸れ返っている筈だ。86P
「探偵小説の真使命」と題された文章の一節にはこうある。陰惨な事件、そしてそこに起こる心理の描写こそが重要で、トリックに関してさほど興味がなく、探偵小説の核心を、そうした戦慄的な心理の探求に置いていたのだろう。江戸川乱歩も以下のように言っている。
例えば「あやかしの鼓」の鼓の知識は、謡をやって居られたからであり、「押絵の奇蹟」の世界も、特殊な知識でありますし、「氷の涯」や「死後の恋」に出て来ます、満洲からロシヤへかけての知識……この「氷の涯」や「死後の恋」の世界は、これは矢張り異国趣味だろうと思いますが、夢野君は異国趣味の豊かな作家であったと思います。と同時に、全体を引くるめて、かかる意味の異国趣味者、大きな意味の異国趣味者である思う。つまり、異国的な感情……日常的でない極端な特殊な感情を作品に表現された人だと思います。350P
異国趣味を更に押し広げて人間の外側・未発見の心情の探求者とする乱歩の見方もそこにある。
デビュー時に乱歩に厳しい評価をされていた久作が逆に乱歩に対して厳しいことを言うエッセイも面白いし、父杉山茂丸の死後にその思い出を語る文章が自伝的でもあり父との関係が窺えて良いけれど、頭山満と杉山茂丸が股間のシラミで競争をしたという荒唐無稽な話もあって、法螺話なのか事実なのか。
『ドグラ・マグラ』には狂気のイメージがついて回るけれど、読んで頭がおかしくなったのは横溝正史の実体験だったらしく、煽情的であまり良いとは思わなかったこの宣伝文句というのが少なくとも一例はあったのか、とやや見方が変わる。
また能に生活の延長、戦争の延長、そしてスポーツの延長を見いだす美的感覚が描かれてるところはなるほど右翼的なロマン主義というものだろうか。「「生活」+「戦争」+「競技」÷0=能」という文章がある。
外国は知らず、日本の戦争はここまで「純美化」し、「能化」している。美しく名乗りをあげ、美しく戦い、美しく死に、又は殺すべく……人間性の真剣味を極度にまで発揮すべく……死生を超越して努力している。166P
生活の極致のノンセンスが戦争になる。戦争のノンセンスの極致がスポーツとなるので、生活から戦争が生まれ、戦争からスポーツが生まれる。そうしてそのスポーツをもう一つノンセンスにしたものが、舞い、歌い、囃子(胴上げ、凱歌、拍子がその濫觴……だかどうか知らないが)となるわけである。167P
といったようなことが語られている。これを直ちに右翼的な美的感覚と言って良いかはともかくも、興味深い記述だ。
*1:さらに収録内容をいくらか変えた新潮文庫『死後の恋』が今入手できる