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最近読んだ本 2025.08

最初にあげた本いつ読んだんだろうってくらい前な気がする。『猟奇歌』は四月か。

夢野久作『猟奇歌』

殺意、死、血、狂気、犯罪、恐怖などなど、夢野久作が「猟奇」その他の雑誌に発表していた猟奇趣味の横溢した短歌251首を一首一ページにて掲載し、日記や手帳に記された同趣向の短歌を資料として巻末にまとめ、寺山修司の解説を付した一冊。

人の来て
世間話をする事が
何か腹立たしく殺し度くなりぬ

殺しておいて瞼をそっと閉ぢて遣る
そんな心恋し
こがらしの音

だしぬけに
 血みどろの俺にぶつかつた
あの横路次のくら暗の中で

頭の中でピチンと何か割れた音
 イヒヽヽヽヽ
……と……俺が笑ふ声

何故に
草の芽生えは光を慕ひ
心の芽生えは闇を恋ふのか

にんげんが
皆良心を無くしつゝ
夜のあけるまで
ダンスをしてゐる

白塗りのトラツクが街をヒタ走る
何処までも/\
真赤になるまで

自殺しても
悲しんで呉れる者が無い
だから吾輩は自殺するのだ

真鍮製の向日葵の花を
庭に植ゑた
彼の太陽を停止させる為

毒薬と花束と
美人の死骸を
    積んだ
フルスピードの
  探偵小説

このSF的な逆説を思わせるものや、「毒薬と花束と美人の死骸を積んだフルスピードの探偵小説」はかなり良いキャッチフレーズだ。

「何故に 草の芽生えは光を慕ひ 心の芽生えは闇を恋ふのか」、あまりにも中二病の歌で良い。

日常にふとした殺意や死を見いだす視点もあるけれど、幻想小説的な分身のテーマやどこかユーモラスな光景、あるいはSF短歌と言えるものもあったりして「猟奇」に非主流派文学のもろもろが流れ込んでいるようなところがあるのが面白い。

仙田学『ジンジャ野みまもりさん』

著者の児童書第二弾で前作『トイレ野ようこさん』でのサブローくんとみんとちゃんのコンビが「ボケバケ探偵団」シリーズの第一巻として新スタート。不思議なアイテムをくれる見魔森さんというおばあさんの力を借りて化け物騒ぎを解決していくお話。

しっかりした良い子だったお姉さんが夜中に家を抜け出して泥だらけになって帰ってくるという事件と、給食がおかわりできなくなったという二つの事件が描かれている。子供の悩みを化け物という題材で形にして解決していく話だけれど、母がいない家庭の描写などさらっと描かれていて面白い。
優しく善意からの行動をするけど前後の考えなしに動いてしまうサブロー君を今はそんなことをする場合ではないとツッコミを入れていくみんとちゃんの行動力と知性のコンビがなかなかいい。

千早耿一郎『悪文の構造』

タイトルに惹かれて買った本だったけどなるほど確かに面白かった。悪文をメインに好例も含めて100以上の文例を引きつつ、どこが悪いのかを適宜指摘していきながら、誤解を生まない文章を書くための要件を論じている。一言で言えば、文章を短くする、これだろう。

だらだら続く文章は主語と述語の距離が離れ、文意が不明瞭になりがちだ。そして句読点の打ち方を間違えれば、どことどこが対応しているかが不明確になり、誤解を招くものになる。著者がしばしば箇条書きを推奨しているのは、文を短くし、趣旨を明確にする一つの簡便な方法だから。

題目語としては「は」という表現、ツイッター構文にも似てるよなと思った。←の文章の「、」がだいたい同じ役割な気がする。後半で例文として挙げられた文章がなかなかリズムも良く読めるのでこれ好例として引いてるのではと思ったら実際そうで中野重治の文だったのはなるほどなあと思った。ついでに本多勝一の『日本語の作文技術』も読んでこれも結構面白かった。

安部公房大江健三郎三島由紀夫『文学者とは何か』

三者の鼎談を最初に置き、他にそれぞれの組み合わせの対談を配置した一冊。鼎談・対談はだいたい三島健在の50、60年代のもので、最後の安部と大江の対談のみ90年代のもの。安部大江の対談で三島の話が出ると歴史を感じる。

最初の鼎談だと大江が江藤淳を高く評価していて、戦後の文学は作家と批評家の二人三脚で出てきて、これからそうなっていくかも、という話をしている。それはともかく、安部は花田清輝とという認識らしく三島は共産党系の作家で安部と花田だけは贔屓していて後は嫌いと言ってるのが面白い。

そういえば三島だと伴走する批評家って誰になるんだろう。ファシズムをめぐって、大江が日本文学でファシストという概念を考えるとすればそれは三島だ、と言うのに対して安部が反対して擬似ファシストだと返したら大江が「擬似というのは芸術的という意味です」とさらに返すのは面白い。

大江も政治体制や政治的人間ということを考えて最も美的な感動があるのはファシストだ、と発言して三島が「君もファシストか」と返していて、三島が政治的に無関心だと言いつつ美学的にファシストだというのは大いに悪影響がある、とも大江が言う。ここらのやりとりは色々示唆的というか。

政治に無関心でファシストの美学を奉ずる、自決に至るロジックまんまって感じがしてしまう。大江が若い作家の光る細部を褒めることはマイナスに働く、若い作家は修行してその光る細部をなくしていく必要があるというところから議論が始まり、三島の返答に対して大江が自分は混乱していたと認めるところがある。ここは細部が光るには夾雑物が必要だけど現代小説はそれを排撃して小粒になってて云々と実際よく分からないところがある。

66ページあたりの戯曲と小説の違いについて三島が論じているところは面白い。戯曲は完全に過去の話を舞台で現在形進行していくからすぐ神話と結びつく、逆に小説は終わっていない現在的なことを扱うからこそ現在性が希薄になるので、少し過去に時間をおいたりして処理することになり、だから小説は作者より四、五歳下の人に愛される、と話を結んでいる。三人は誰もそうだろうというところはあるけど三島の話はサービス精神があって面白い。

大江は安部との対談で、エッセイと短篇を作る頭のメカニズムは似ているといい、森鴎外の『渋江抽斎』はエッセイの積み重ねだけれどもその幾つかが時折素晴らしい短篇に転化しているところがあるというのも興味深い。事実良いエッセイは良い短篇と区別が付かないのはある。最近読んだのだと須賀敦子のとか。

安部が三島との対談で、自分の主題はいかにして隣人を、隣人思想を、共同体思想を絶滅するかということなんだと言っているのが面白い。過激だ。偽の隣人ばかりで他者との対決がない、という話のようだ。そこで島尾敏雄の話になって、三島があれは他者との対決が必要だから他者を作り出す小説だ、と言っていてそれはそうらしいけれど『死の棘』は昔読んだきりだな。

そういえば、三島の安部評として有名なものが大江と安部の対談のなかで出てきた。『他人の顔』が出た直後、大江がニューヨークで三島と会った時に聞かされた言葉として以下のように言っている。

「安部君は最新式の技術と部品と、それに古いガラクタもあれこれ集めて、ものすごく大きな戦車を作る。さあできた、といって動いた瞬間ゴトンとエンコして小説は終わる」175P

これの出典は90年朝日新聞の対談だったんだな。

中央公論は最近この新書判より一回り大きいハードカバーの対話集や編集本をいくつか出していてこれもその一つ、なかなか手軽で良い。中公文庫の全集月報座談シリーズを思い出す。

宮崎智之・山本莉会『文豪と犬と猫』

両者それぞれ犬と猫を飼っている体験から漱石、百閒、志賀、谷崎、川端、森茉莉幸田文、犀星、安吾、三島、遠藤周作、四迷にいたる近現代の作家を愛猫家、愛犬家として浮き上がらせ、意外な視点から作家の新しい側面を見せてくれる往復書簡。

書き手二人がそれぞれに過去や現在、犬や猫との経験を重ねてきているからこその実感的な動物への感覚を持っており、それ故にこそ時に見過ごしてしまいそうな作家の犬猫に注ぐ愛情を見て取ることができるようで、漱石が犬をこそ愛していた話に始まり、読んでいる作家でもそうだったんだと気づかされる。

宮崎さんが犬好き、山本さんが猫好きとして、それぞれの作家を担当して往復書簡の型式で各作家を扱う形になっており、各回作家の履歴を基礎から紹介しているので知らなかった作家についてはここから入れるし、知ってる作家についても犬猫の観点からへえと思わせる軽妙な文学ガイドと言える。

後藤明生は志賀の自己本位の目線というものを批判的に論じていたけれども、志賀がそこまで動物好きだったというのは意外だった。もちろんベタベタするのは拒否しているところにらしさがあるけれども、迷子になった「駄犬」を必死で探すくだりはまさにツンデレという感がある。

同様に、冷徹な目線の印象がある川端康成が愛犬家だったというのはこれまた意外だった。作品を読み込んでないので犬が出てくる印象がなかったけれども、読んだことのあるものにも犬が出てくると書かれている。また天涯孤独の身の上から犬を愛したという単純な見方を排して川端の犬観に近づこうとしている。川端の「愛犬家心得」などから、擬人化したりするような犬の見方を排した態度を読みとり、草花や自然を愛でるように犬を通じて自然の心に入る、という認識を引用しているのが面白い。自然の一つとしての犬。

コリー犬を愛した安吾の「堕落論」のロジックと、ベタベタとした忠義の犬を否定し「猛獣性」を肯定する犬へのスタンスは同一のものではないか、と作品と犬との共通性を見いだしたり、愛猫家なのに作品には犬が重要な出方をしている三島の作品と作者の区別を見いだしたり、そして遠藤周作の、キリスト教という母の与えた「合わない洋服」の話をしながら、大連時代の遠藤の友でもあった犬の話がある。そのクロという犬は大連に置いて行くことになったけれど、後年聖書を読んでイエスが自分を捨てたペテロを見る目に自分を追いかけるクロの目を重ねた文章が書かれている。遠藤のなかでキリスト教と犬とがきわめて重要な部分において遠藤のなかで絡み合っているかも知れないこと。犬をめぐって作家の心奥を覗くようなここは面白かった。

また最後の二葉亭四迷のところ、四迷と犬猫といえば『平凡』で懐いてた犬が「犬殺し」に殺された衝撃的な箇所は覚えていて、そこが扱われるのはそうなんだけれど、猫も飼っていたのは知らなかった。猫にはしつけをせず人間の道徳で縛ろうとすることに否定的だったらしい。

本書の最後に近代文学最初の四迷を最後に置いて「人畜の差別を撥無して」という四迷の動物への態度を引用して本書が閉じられるのはなかなか良い構成だ。読んでいて思うのは、犬猫との出会いは何か人以上に偶然の仕業に思えるということだった。その偶然・運命への態度。

余談。山本さんが団地に住んでいたとあり、猫と団地と言えば後藤明生ですね。猫を主題にした長篇『めぐり逢い』や『行き帰り』での猫の危篤を描いた箇所、そしてその猫を埋葬した短篇「夢」の一連の作品群。元々動物が嫌いだったところから溺愛するようになった典型の一人だろう。

『ナイトランド・クォータリー vol.21 空の幻想、蒼の都』

  • 書苑新社
中野善夫インタビューの他、空をテーマにした創作、翻訳、論考等を収載。創作では気球が大西洋を横断するポーの嘘新聞記事作品の新訳に始まり、ドーヴァー海峡を空を歩いて渡ろうとするローレンスの短篇で締められる目次なのが面白い。

中野善夫インタビュー、幻想文学訳者として知られる人だけれどSF研究サークルとの縁が深いのは元々SF読みから始まってハヤカワあたりではFT文庫もまだなく、SFとファンタジーの区分がそれほどはっきりしていなかったというのもあるようで面白い。SFマガジンでのファンタジー特集がデビューという。

ダンセイニの河出文庫の選集、当時第一巻を買って読んで、いまいちピンとこなくてそのまま続刊は買わなかったら今結構な値段になってる。ピンとこなくても買っておくべきだったものだろうな。まあそれはともかく。

エドガー・アラン・ポー「軽気球夢想譚」は新訳で、当時の新聞記事に載った記事の体裁を採った小説というか、ネタ記事というのが良いのだろうか。もっともらしく気球の仕組みの解説を滔々と述べるところが面白くて、読んでいるとあれ、そんなことできるか?みたいに虚構なのが分かってくる。

アーネスト・ヘミングウェイ「パリからストラスブールへの飛行機の旅は、ナマのキュビスム絵画の展覧会だ」、なんとヘミングウェイの本邦初訳のジャーナリスト時代の記事という。ポーに対して実在の飛行機の旅を若々しい文体で綴ったもので、空から見えた景色を表題のように表現するところが肝か。

フーゴ・ハル「失物之城 ピレネーの魔城・異聞」、『ブラマタリの供物』のゲームブック作家でもある作者らしい仕掛けに満ちた幻想譚。ピレネーの城に住まう複数の民族は一つの空間を地横天の三つの足場で暮らしているという怪奇な話をまさに文字通りの仕方で表現していて愉快な一作。

アダム=トロイ・カストロ「赤い雨」、赤い血の雨が降り注ぐ奇抜な状況が、全ての文章が疑問符付きの二人称で語られ、その不可解な語りに巻き込まれながら叙述が進んでいくと徐々にその状況が何なのかが分かってくると言う逆回し的な小説。

井上雅彦「〈ミライ妖カイ幻視行〉第二話 彼方でいつまでも」、短篇連作の二つ目。江戸文化をモチーフにし、生人形や上空600メートルで外壁全てが透明になる仕掛けを持つ玻璃の空飛ぶ寝台特急などをめぐる殺人を描くミステリ。絢爛な江戸芸術と空という近未来を掛け合わせた趣向が魅力。

カリーナ・ビセット「毒娘の花園」、インド神話を元にした世界観に七人の姉妹が登場していて、主人公の少女は触れたものを毒殺する能力があるのだけれど、ファンタジーのように始まり話が進んでいくとSF的設定が見えてくる小説。ジャックと豆の木ホーソーンなど色々な示唆がニュアンスを伝える。

アラン・バクスター「鴉酒」、悪魔と契約したミュージシャンというテーマでロバート・ジョンソンを踏まえつつ、ブルースの真髄に目覚めたとうたわれた主人公は人の魂を吸い取る秘密のウィスキーによって成り上がっていっている、という怪奇譚。雰囲気が良い。

M・ジョン・ハリスン「混乱の祭主たち」、クロミス卿が訪れた、都市からの援軍をずっと待っているある館での出来事を描いた短篇。重厚な描写で読ませるけれど、これまでに三度ほど読んでいるのに一体何の話なのかサッパリ分かっていない。「過去が全く固有の言語で私たちに語りかける場所」。

薙刃「ボーダレス・ブルー」、正体不明の敵性生物の襲来を機に新たなエネルギー源を入手し作られた可変形戦闘機を操るパイロットたちの演習中に遭遇した人間同士の一瞬の戦闘を描いたミリタリーSF。テキパキと進んでリーダブルだけど知らない作品のスピンオフという印象がある。

マージョリー・ローレンス「宙を歩いた男──あるいはビグルスウェイド氏のブーツ」、空を歩くことが出来るブーツをふとした偶然で作ってしまったある男をめぐるメディアを介した狂騒に巻き込まれ、ドーバーを渡り、月まで歩こう、と過熱する期待の挙句に。スラップスティックで楽しげな一篇。


音楽、映画、ゲームと空をめぐるコラムや評論、編集長の幾つものブックガイドなど、エッセイパートもいつもながら充実していて読み応えがある。原民喜訳の『ガリバー旅行記』があるとは知らなかったしそれが文芸文庫で出ているというのも知らなかった。
各篇の訳者などより詳細な情報は以下。
https://athird.cart.fc2.com/ca8/294/p-r8-s/

小澤實選『近現代俳句』

池澤編日本文学全集の俳句パートの独立文庫化。『近現代詩』が選ばれた詩をただ配列しているだけなのに不満だったけれど、本書は俳人50人のそれぞれ五句を選び、ルビ・現代語訳と丁寧な鑑賞を付けており、俳句の歴史もかいま見える良い入門書になってると思う。

各句口語訳と五行ほどの鑑賞がついてて、句の正確な意味はもとより新奇性や文脈など歴史のなかでどういう重要性があるのかというのも分かるので、句自体にピンとこなくてもそういう背景があるのかというのが分かるのは良い。こういう理由で選ばれているというのがあるとやっぱり違う。

内藤鳴雪の「夏山の大木倒す谺かな」というのは大木を倒す谺というなにか幻想的な句かと思ったけど違った。しかし子規のところでの「写生」というのは以前の句の描写とどこが違うのかが良く分からないとかもある。

「寒からう痒からう人に逢いたからう」の子規の句では、前書きにある情報からこれは碧梧桐のことを詠んだ句だという話だとか、句単独では分からない前書きなどの情報も併せて紹介してくれる。

永田耕衣の「白梅や天没地没虚空没」という阪神大震災を詠んだ句があるんだけれど、1900年生まれで、基本生年順に並んでいる本書で前半の方にいるのに、97年没だからこのような句もあるんだなというのが興味深い。

山口響子「海に出て木枯帰るところなし」という句が、元は文字通りの句だったものが西東三鬼の特攻隊を重ねた解釈によって作者自身もそう捉えるようになったという経緯も面白い。

「戦争が廊下の奥にたつてゐた」、渡辺白泉。強烈な印象を残す句だ。

桂信子「雪たのしわれにたてがみあればなほ」、この句の「あれば」は仮定形の「あらば」ではなく確定系の「あれば」なので、この句の詠み手は既にたてがみのある馬に転生している、というのはなるほどそう読むのかと面白かった。

鈴木六林男「寒光の万のレールを渡り勤む」、操車場で貨車を捌く労働者を描いた句とのことで、俳句が初めて社会と向き合った社会性俳句の代表的作品と評価されてて、1957年の句集までそういうのはなかったのか、と。

三橋敏雄「あやまちはくりかへします秋の暮」、広島の原爆慰霊碑の一節をもじった句、これもまた寸鉄という感じ。




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