最近読んだ紀行文のようなものを集めたら全部女性の書き手のものになってしまった。
有吉佐和子『女二人のニューギニア』
政府の応援を得て入り込んで調査をしていて、現地人に対して雇用しても思い通りに働いてくれないと嘆いたりその怠惰さを難じたりするあたりは文化人類学の調査として今から見るとかなり問題含みだろう。それも女性一人で部族の村に入るためにはある程度権力にものを言わせる形になるのも仕方ないかも知れない。
畑中幸子の名前はニューギニア中に轟いていて、僻地のパトロール事務所に転勤になったキャプが怖れをなして尻込みをすると、日本のミス畑中は女だが、もっとひどいところへ行っているぞと言って上司が彼を叱りつけるのだという。91P
文化人類学者畑中幸子は豪傑というかなんというか、有吉に対しても歯に衣着せぬ辛辣な物言いでしばしば笑ってしまう。畑中においしい?と渡されたものをとにかく食べておいしいとお世辞を言うと、自分はこんなもん食べんわ、気味が悪い、と返されたくだりは関西弁も相俟って笑ってしまった。
それと「阿呆にハナかめと言うたら、鼻血が出るまでかむというけど、あんたもその口やねえ」(247P)はひどい。足の爪が剥がれて歩けないので家の中でできることを探して見つけたのが村人にパンツを作ることだった有吉が延々11枚もそれを作ったことについての一言なんだけれど、ここで有吉は自分も小説を書くことについて鼻血が出るまでやる気質だと自認してもいる。
畑中さんが心中で小説書きなどという人類に貢献するところのない仕事を、まったく認めていないことは前々から知っていたが、パンツの型紙で作家以上の能力があると褒めてもらえようとは思いもよらなかった。154P
召使いとして雇ったシシミン族に言葉を教えてもらおうと思ったら、上下関係が揺らいで反抗的な口を利くようになったとか、手洗いを繰り返し教え込んで学ばせたと思ったら、手を洗った水を湧かして毎日飲む用のお湯を持ってきていたという何も伝わってなかったエピソードとか、色々興味深い。
「未開人は、文明人をまず病気を癒すという点で認めてくれるんよ。誰からか聞かされるんやろねえ。私が此処へ来たらすぐから病人が来たわ。以来、ずっとや」241P
というくだりも面白い。以下も旅の美しい情景として印象的な一節。
脂でねちゃねちゃした手を洗って外に出ると、見上げる夜空には天の川が大河のように流れ、オクサプミンの方角に、南十字星が屹立していた。真上には降るような星。遥かな彼方には鮮やかな十字の星座。私は、感動して眺めていた。これはニューギニアでなくては見られぬ壮観というものだった。191P
やはり南国と言うことで大量の虫に囲まれていてずっと刺されたところを掻いているあたりを読むと、こういったところはやっぱり紀行文として読むに限るなと思ってしまう。長距離を歩けず一月ほど村に滞在していた時、不意に道に迷ったヘリコプターが現れて帰還できるくだりは唐突でインパクトがある。この唐突な文明の蜘蛛の糸。
天から降ってくるのは雨や雪でなければ災難と相場がきまっているのに、このときの幸運と偶然は、なんと表現したらよいか分らない。ありきたりの言葉だけれども、事実は小説よりも奇なりという、つまりハプニングが、私をしてヨリアピからオクサプミンへ、あの山坂越える苦難から救いあげてくれたのだった。256P
著者はこうも書いている。
「傑物ですよ。私にとっては未開社会そのものより畑中さんをニューギニアで見た方が大きな収穫でした」 258P
帰還後の話も面白くて、この紀行を連載するとなってまる三ヶ月執筆から離れていた後で一気に150枚を書いたら激しい頭痛に襲われたという。筋肉痛の逆のような。この後マラリアに罹ってのエピソードもマラリアだと分かったのが発熱一ヵ月後というかなり危険なもので。最初マラリアではないと言われて未知の風土病で死ぬのかと遺書まで書いていたらしい。破傷風の予防注射をしなかったとか、マラリア予防薬を滞在中に飲むのを中断していたとかの大胆さとともに、マラリア検査で採られた血が「アリヨシ株」として病院に保存されたエピソードなどもすごい。
林美脉子『悠久の古代紀行 砂に呼ばれて』
人類四大文明を制覇しようとインド、エジプト、中国と旅行しその後メソポタミア文明の土地への旅行を計画したものの、シリア、イラクあるいはアフガニスタンもまた当時からさまざまな戦争や政治の動乱がありついに果たせず、それもあってか今このようなかたちにまとめられたようだ。
朝日新聞の北海道版に89年から連載されたインド・エジプト紀行はあっさりとした全部で30ページほどの文章で、もう四度目になるというインド行きの様子とエジプトでの体験を短くまとめたもの。そのなかで砂に招かれインドの渾沌を全ての肯定と観じることで詩の霊感を得ている様子が描かれる。
あわただしい日常生活のふとした瞬間に、サラサラと砂の音を幻聴しはじめると、わたしはいつもそそくさと旅支度をして砂漠のあるところへ旅立つ。
砂音が聞こえるのは心の乾いている証拠だから、砂漠ではなく海へ行って心を潤せばいいのにと思うのだが、
それがどうしても海とはならずに砂漠へ向かってしまう。海はいつも優しく、荒れている時でさえそのどこかに癒しを志しているような気がして、その前にいるとなぜか照れ、照れているうちに疲れてしまうのだ。10P
そうして「異国の世界とその内臓までも対面しかかわろうとするために」はひとり旅が欠かせない条件だと気づき、
人間はひとりになりひとりを引き受けた時、逆に孤独から解放されるものなのかもしれない。ひとりを恐れひとりを逃げれば、逃げる速度で孤独はかえって深まるのだろう。
追いかけてくるそれらにあまり逆らわずに、ああそうかと身をあずけそこに飛び込んで
みれば、世界は思いがけない優しさでそこから開けていくのだ。27P
ただ、「貧しくとも一生懸命生きている人達の温かさ」と先進国の「非情さ冷酷さ」を対比して貧しい国に訪れることで人の心の温かさに触れる、といういかにも80年代的な旅行観というか、オリエンタリズム的な叙述があり、今から見ると気になるけれど、これを削っていないのも見識だろう。
インドの人間を肯定するカオスの豊穣さに洗われた後に訪れる、本書の八割ほどを占めるのが雑誌に掲載された中国紀行。当時の中国のなんとも拒絶的な冷たさが印象的だ。外国人旅行者への冷たさに社会主義の国だからかなどと考えたりするけれど、とにかく仕事をしようとしないらしい。
宿に泊ろうとして10倍の高値をふっかけられて、それで良いといっても完全無視を貫く服務員の不気味さ。「お客を取るとそれだけ仕事が増えるから、自分のいる間はできるだけ泊めない方が楽なんです。儲ける必要はないんだから」(69P)、と日本人旅行者に助言されるくだりはなかなかすごい。
それでも挫けずむしろ戦闘態勢を構えてぶつかっていくぞと考える著者のバイタリティはやっぱりさすがで、このスタイルで80年代中国を女性一人で敦煌まで旅行していく道中は、スリに遭ったりあまりにもおいしい餃子の茹で湯を飲んだり美術に西洋にはない「念」の生々しさを見たり、盛り沢山だ。
宿で同室になったオランダ人カップルから欧米男性と日本男性の比較論が始まり、日本人男性の幼児性を批判したりもしている。ヨーロッパ人男性の女性と対等に並ぶ「尊厳につちかわれた知性」を賞賛するくだりはでも、この当時ならいっそうそう感じられたのかも知れない。
彼等は女性を母親の代替物としかとらえていないことが多い。なのでいつでもどこか支配的で、最終的には女性をねじ伏せ従属させようとし、そうすることで引き出されてくる母性に甘える幼児体質をどこかに潜ませている。108P
長時間のバスに揺られてトイレもなく、途中でトイレに下車したもののあたりには遮るものがなにもなく、なんとかバスの影で用を足した話とか、やっぱり旅はそこら辺大変だなと思ってしまうけれど、
旅はわたしにとっては大変な食欲増進剤なのだ。睡眠もしかり。もし不眠症になっても旅に出ればすっかり治ってしまうだろう。234P
とまで言うからなんともすごい。空腹と言えば以下の原風景も詩と空腹の関係の一端かも知れない。
無心にたわむれる友達の姿を二階の窓からじっと見つめていて、ふとふり向いた部屋の、誰もいないタタミの上の空白の大きさは今もわたしの脳裏に焼きついている。わたしはあの時、はじめてわたしの「詩」なるものに出逢っていたのかもしれない。146P
オランダとカナダから来た女性と出会い、そのなかで聞いた話がある。カナダの友人が中国で強盗に襲われ金を奪われそうになって声を上げても、他の人達は囲いを作って集まっても一切助けに入らず見ているだけだったという。そして彼女たちはインドでの経験を語り合ってインドが懐かしくなったという。
わたしたちはそれから、互いにインドで出合った数々のエピソードを語り合い、「結局、インド人のいい加減さやメチャクチャさ狡さが、中国人の陰湿さと比較するとミステリアスでかわいいものだという、インド人のそれらに怒る人が聞いたら卒倒するのではないかと思われるとんでもない意見の一致を見ることになった。259P
中国人が路上で人を助けない話は今も聞くけれど、当時からこうだったらしいのは何らかの特定の出来事が話題になったからではないということだろうか。中国の航空会社のオフィスで堂々と闇取引を持ちかけられるくだりもサボタージュとはまた違った驚きがある。
帰国間際の上海のドブのような生臭さを語りつつ、そこで痴漢に遭い噛みついて撃退したという洗礼を受けて旅は終わるのもなんとも凄まじい。中国の拒絶に食らいつきながらの旅の象徴的な事件だったように思える。
父を亡くして空無を感じたり、心が乾いたように感じた時に著者は旅に出ようとする様は旅程での健啖ぶりも相俟って、多大なバイタリティでバクバクと旅の経験を腹に収めることのようにも思える。詩が空白から生まれるという叙述も合わせて、この喰らいつく顎に詩人としてのタフさがあるのかも知れない。
オルタナ旧市街『踊る幽霊』
冒頭の「踊る幽霊」は著者の中学時代に通学に使っていた巣鴨駅前での「伝説のダンスババア」との遭遇を記した一篇だ。通学途中で出会うその踊りの持つ自由さ、おそらくはそれに惹かれて著者も友達と不気味な白塗りで赤い口紅の女性に話しかけるという一瞬の冒険に出向くことになる。そこで名前を聞き出し、何で踊っているかの答えとして「楽しいから踊ってるのよ。楽しいの」という言葉を得るのには何某かの解放感がある。日常を踏み越えたところにあるものに一瞬触れてみるためにこちらもちょっと踏み出してみる、そんな些細な経験を短く切り取ってみせる視点がある。
誰の記憶にも残らなければ、書き残されることもない。それはそれで自然なのかもしれないけれど、身の回りに起こったことの、より瑣末なほうを選び取って記録しておく行為は、未来に対するちょっとしたプレゼントのようなものだと思う。息を切らして山手線に乗り込んだあの学校帰りの日のことを、先日会ったあきちゃんはちっとも覚えてなかったが、覚えていたことすら忘れてしまう、心底どうでもいいことほど後から愛おしくなったりする。10P
こうした視点と日常からわずかに踏み出た場所についての観察が本書を形作っていて、そのわずかな自由への意識は、フリーWiFiが浸透することで新幹線で出張中のお気楽サラリーマンが絶滅したと嘆き、「移動時間くらいは労働から解放されるべきなのだ」62Pと強く書きつけるくだりに見いだせる。
上野駅を出て列車は北上する。新幹線よりはいくぶん緩慢な速度で通り過ぎていく風景のなかに、子を抱いた父親の姿や、団地の壁面に当たる夕陽のかがやきを認めて感傷的になる。こういう時間に出会うと何か書きたくなるなと思った。日々のサンプリングによってじぶんの文章と呼べるものが生まれている。快適な自宅にこもっているのは好きだが、肉体の移動を続けなければわたしはやがて何も書かなくなるだろう。20P
そうした時にふと出会う店や人や出来事などの小さなものごとの小さな記録。紀行文というほど大仰でもなく、誰もがどこかで出会いそうな出来事だったりしていて、そういえば著者の行ったその駅は私もいつか降りたことがあるな、と思い返したりしながら読んでいた。
御茶ノ水は後藤明生ゆかりでもあり大きい眼科や山の上ホテルも近くて何度も降りたことがあるなとか、東陽町は私もある講習を受けに通ったなあとか、文学フリマの流通センターのあの店確かに入ったことないなあとか、横浜も何度か行ったし、吉祥寺、浅草、渋谷、秋葉原は降りたことがある。立川は一度だけ、著者が行かなかった例の映画館に行ったことがあって、そうそうあそこはペデストリアンデッキが立派なんだよなと同意しつつ、立飛といえば久保さんは僕を許さないのアニメでデートに行ったところでその時場所や地名について知ったなあとか自分の経験とのすれ違いも楽しい。御茶ノ水の駅前のあの妙なビルが最初はニコライ堂かと勘違いしたという箇所は私もそうだったので面白かったしあれが解体されてしまったのはちょっと残念だなと思ったり、ホームレス避けのカラーコーンに触れるところで幻想性を出しつつ排除アートの異様さを浮き彫りにするところもいい。
著者の文章を読みつつこちらもその場所の乏しい記憶を引っ張り出してきて、自分もまたその場所の記憶へ意識を飛ばしていきながら二重の旅行をするような感覚がある。それはある意味関東近郊に住むものの特権ではあるかも知れない。とはいえ小岩や南千住とか名前は分かっても場所はよく知らない。箱根に行ったときバスを寝過ごして終着点まで行ってしまったのは意想外の寄り道の最たるものでもあるけど、そこで箱根のバスの終着点の写真が挿入されるとおお、現実にあるんだ、と驚いてしまって、そこで自分はこの文章をどこかフィクショナルな雰囲気で読んでたのが分かったのが面白かった。
変わりゆく都市の意識しなければ消えてしまう些細なものに目を向けることで見えてくる世界の描写がそうした感覚をもたらしているような気がする。あとこの都市の細部を見る写真、どこか安部公房ぽいと思った。そして以下のくだりには匿名性の交点としての都市がある。
本来は勝手に公共物へステッカーを貼るのは法律違反なのだけれど、でもこれくらい遊びがなくちゃつまらないとも思う。人が集まってこその街である。わたしの住む街にステッカーが少ないのは、そこが都市の周縁部であるからで、大多数にとって集合ではなく帰還のための街だからだ。本来は交わることのないもの同士が音も立てずにうごめく街で、だれかが、あなたが、通りすがりにべたりと札を貼ってゆく。その瞬間に誕生する無数の視線。いずれ雨風か人の手かで消し去られる、それまでの退屈しのぎだ。わたしの目には、ステッカーとは都市部に許された結界のようなものに映った。156-7P
都市論として興味深い箇所だ。
個人的に、私家版三冊を読んだ上では最初の『一般』が一番面白いと思っていたけれど、著者が書くことの条件に挙げている移動に拡張性を見出したのか『往還』を大幅に拡大して本書を作る着眼点は面白い。本書と近いのは実は孤独のグルメなのではないかなんて思ったりもした。
長々書いた割にあまり魅力が伝わる文章にはなってないきらいがあるけれど、読む散歩というか、知らない街で知らない店に入るようなことを自分はしないので、そういう違う人の目線から知ってる街を見るような面白さがある。
オルタナ旧市街+小山田浩子『踊る幽霊』『小さい午餐』W刊行記念トーク
『踊る幽霊』の帯文や新聞のエッセイで紹介するなど、かねてからオルタナ旧市街さんを推してきた小山田さんも『小さい午餐』というエッセイを刊行するとのことで行なわれたトークイベント。配信で視聴した。見ながらざーっとメモしていたことをまとめた。途中でこれはちょっと内容の紹介しすぎてるなと思ってメモしてたけど触れてない話題もちょくちょくある。
エッセイと小説の違いについて、小山田さんは「書いちゃったらそれが本当のことになる」という言い方をしているのが面白かった。そしてエッセイと小説の境界について「あらゆる日記も小説だし、あらゆる小説も因数分解していくと結局自分だから」とも言っていた。ちょうどその頃読んだ漫画「バーナード嬢曰く」で、小説として読むと出てくる色んなことを全部理解して読まないといけないと思ったけれど、全部の小説を日記として読めば本人は分かってる細部も別に理解する必要はないなと気軽に読める、という話だったのが意外なシンクロになっていた。
小山田さんがオルタナさんの文章は意識が外、他者に向いていると指摘している。オルタナさんは自分は子供の頃から書いてたタイプで、担任の先生の学級通信に投稿していたというし、親に書いたものを読ませて、あのとき本当は私はこう思っていたんだというのを書いてたという。その後クラスのmixiで文章を書いててクラスメイトに読ませてたらしいのもすごい。とにかく身内に読ませる文章を書いてたというのは自分にない発想だなと。文章を書いたとしても限られた相手くらいで家族やクラスメイトには私は読ませないだろうなと思った。その頃、「自分の中身に自信がなかった」、自分の人生はドラマチックにはならないだろうという諦観があって、自分の話じゃ無いことを面白く書こうと思ったというのが小山田さんの指摘の裏付けになっている。
そして大学あたりでサリンジャーなどアメリカ文学を読んで、文体というものを自覚したという。小山田さんが指摘する語彙、「うってつけ」はサリンジャー由来だろうか。小山田さんの知り合いの夫さんがオルタナさんは大学生の頃の「文章の師匠」だという奇妙なつながりがあったのは驚きで、新聞部でのことらしい。オルタナさんは就活の時に新聞社も受けてたけど、なんか違うなと辞めたらしい。「自分新聞」だというネットプリント活動について、「限られた用紙スペースに限界まで文字を詰めるのが好きだった」、用紙に収めるために削るのが快感だったと言っていて、そういう形式的な関心と報道のような内容面のズレがあったのかなと思えた。
小山田さんも編プロで、こんなまどろっこしい文章を書くなら小説でも書いてろと言われたことが小説家になるきっかけだったらしくて、書くことへの関心がいろいろな過程を経て今のようになった所以の一端が見えて面白い。新聞的文章からはみ出るもの。
『踊る幽霊』の話。広島にはない「ゆで太郎」のように、東京中心なので広島在住の小山田さんにとっては「架空の東京を作っているような」読み方になると言っていて、これは私も巣鴨に行ったことないと思うし、イメージがない土地も多くていくらか気分が分かるところがある。文中で触れられてる動画を見て、「私のえつこじゃなかった」と言ってるのは笑った。私はまだ見てない。東京と言えば、で二人に共通するのが「アントニオ猪木」の目撃談で、小山田さんは初めて上京した時に猪木を目撃した印象が強くて「東京」を考える時に常によぎるらしい。しかしそんな目撃談も書かないと忘れてしまう、と小山田さんがエッセイに書いたのを読んだことでオルタナさんも目撃したことを思い出して書いた、という連鎖が語られていて、この場において書かれなければ存在しないものの象徴が「猪木」なのがなんともおかしかった。
小山田さんの食のエッセイでラーメン率が異様に高い話があって、そのなかで「ニンニクの正しさが分かんない」と言ってたのが面白かった。店の食べさせたいスタンダードは何か。お店の食べさせたいものを食べたいからまずそれを知りたいという考え方。小山田さんによれば「広島焼きっていうのは本当に辞めた方が良い」らしい。怒る人がいるので。あれが「お好み焼き」のスタンダードだと思っているから、というのはなるほどと思った。小山田さんは関西風を関西焼きと呼んでるけど、大阪ではその呼び方はしない、とも言ってお互いのスタンダードについての尊重がある。
小山田さんのエッセイ集には外食エッセイだというのにコロナになっての難しさや、よく抗議運動に参加しているパレスチナの惨状を知りつつ楽しいエッセイみたいなのを書いていていいのかという躊躇いが交ざる文章になったのは今書いたからだ、ということに触れていた。小山田さんが最近読んでるのが大田洋子で、人に言われるまで知らなかったというのは意外だった。私も先月読んでいた。小山田さんが読んでいるのは新装版らしかったから小鳥遊書房から出ている選集かなと。
オルタナさんの近況、帰ると倒れるように寝てしまうので「帰らないようにしよう」と自分のパソコンを持って行って仕事終わりにカフェで書いてるというのはなかなかハード。ファンだという小山田さんがオルタナさんについて文章の特徴なども含めていろいろ熱く語っていたりしていて面白いイベントでした。