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葎草橋通りに隠された歴史の痕跡 ──『葎草橋碑』へ導かれる道

2025年12月6日、稲城長沼駅から探索を開始する。

葎草橋通りという名称に惹かれた。

先に何があるかわからなかったが、進んでみることにした。

大丸用水にかかる橋のたもとに大好物のひとつである石碑「葎草橋碑」があった。

高さ126センチ、幅35センチ、厚さ23センチ

稲城市指定文化財 葎草橋碑

所在 稲城市東長沼六五六先
指定 昭和五十一年二月十九日

この碑は、銘文によれば、多摩川から水を引いた大丸用水にかけられていた葎草橋(板橋)を、天保九年(一八三八)に長沼・押立両村の協力で石橋にかけかえたことを記念して造立したものである。類例の少ない貴重な碑といえよう。正確な造立年代は不明だが、おそらく天保九年からそれほど後のことではないであろう。側面には「渠田川や 多摩の葎の橋はしら 動ぬ御代のむくら 石と成蘭」という歌と、江戸・八王子など八方面への道程が記されている。この橋のある道は、北へ行くと多摩川の渡船場に通じ、当時の幹線道路の一つであった。

平成三年十二月十日

稲城市教育委員会

正面

右側面

渠田川や多摩の葎の橋はしら

  動ぬ御代の石と成蘭

安定した世の中を願う両村民の気持が表わされている。

※渠田川  読み方は"きょだがわ"らしいが、調べたがどこの川か不明。

※葎(むぐら)とは、生い茂って藪(やぶ)のようになるツル草の総称。

左側面

すぐ後ろは用水、こちら側を撮る時は落ちないように。

上段 江戸・八王子・川越・府中


江戸  七里

八王子 四里

川越  八里

府中  一里

下段 小田原・大山・川崎・日光山

小田原 十六里

大山  十二里

川崎  六里

日光山 卅六里 ※卅は三十

各方面への里程が書かれ、道標としての機能をはたしていたことがわかる。

裏面

長沼村
    惣邑中
押立村

両村の協力による造立であることがわかる。

葎草橋碑は石橋記念碑でありながら、道標としての機能をもち合わせた類例の少ない貴重な石碑。

葎草橋通りはまだ続いていた。






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