かつて埼玉県にあった旧自治体の未訪問地を探していたところ、駅から徒歩で1時間くらいで行けそうな旧大里町に行ってみようと思った。
付近をGoogleマップで見ていたところ、河原と思われるところに「幻の村 新川」というピンが立っているのに気が付いた。

ここについて調べてみると、訪問した方が結構いるようだ。
廃村のことが紹介されているのは、結構珍しいのではないか。
自分も行ってみたくなった。
旧大里町へ行く途中にあるので、寄ってみよう!
2025年8月28日、久しぶりにJR高崎線行田駅に降り立った。いや、初めてだったかな。
荒川土手を目指して歩いていく。
土手の途中から見た景色。

田園や林が広がっていた。
電柱が立っている道を歩いていく。

歩いてきた方向を見る。

雨が降ったのだろうか、水たまりがところどころあり、靴が泥で汚れしてしまった。
この先は道が木々に覆われていた。

不安な面持ちで先へ進む。

誰にも出会っていない。
この日は今までより日差しはなく、猛暑日にはなっていないと思われるが、こんなところで行き倒れになったら大変だ。
右側は竹藪、林、左側にはあまり高い木がない。

右手を見ると林の中に道がある。

この先はかつて住宅があった所だろうか?
少し広くなった場所に出た。

新川菜園村と子ども遊びの森

案内板が立て掛けられていた。

100年前の久下新川村は舟運と養蚕で栄えました!!

新川河岸の賑わい
回船問屋の大小の船は新川から江戸までの60キロ間を往来。その間、80余りの河岸に荷を積み下ろししながら20日かけての舟便だった。「早船」はまる一日で江戸につくことができた。白い帆舟、元気な舟歌はここより下流の風物詩だった。
新川ウォーキングマップ

昔、新川村にはたくさんの人たちが、荒川の恵みを受けながら豊かに暮らしていました。しかし、時代の流れと共に一軒二軒と去り、とうとう誰もいなくなりました。残された屋敷林はうっそうと繁り、荷車や馬が通った道も、今は透きとおった風が吹き抜けて、春はみごとな一面の菜の花畑、カッコウやオオヨシキリが鳴き、大きな竹林は雀のお宿。ミミズクやキツネ、ノウサギも森で暮らしています。河原にはさまざまな顔の石ころが幾千年の夢を見つづけて・・・。
新川が語りかける物語を聞きに出かけてみませんか。
年に一度、久下の長土手で七福神まつりが行われます。その日は、多くの人々が土手からの眺めや七福神めぐりを楽しみます。普段、 七福神は東竹院境内に安置されています。
冬は正面に富士山が見え、 夕焼けに染められた屋敷林の眺めがが美しい。
新川一帯はエノキ、ムクノキの大木、シラカシやカジノキも多くみられます。ざっと歩いただけでも10種類以上の樹木や30種以上の野草。アカネ、 スイカズラといった万葉植物やタコノアシ、オグルマといった珍しい野の草とも出会えます。
いくつか痕跡が残っているようだが、来る季節を間違えた。木は生い茂り、草ぼうぼうで確認するのは難しそうだ。
注意書きみたいのが書かれているが、よく読めなかった。

手書きの案内板
ようこそ幻の村新川へ

新川村は戦後間もなく廃村になりましたが、江戸時代のはじめの頃から三百年の間、五百人余の人々がここに暮らし、舟運や養蚕の村として栄えました。
河岸には廻船問屋や筏問屋、塩問屋、油問屋が軒を並べ、江戸浅草と武州新川を結ぶ荒川を帆掛け舟が往復し、荷が着く日には大八車や馬を引く人達で賑わいました。
又秩父山中から流した木材は筏職人たちが筏舟にして江戸へと運びました。
明治十六年、鉄道の開通で舟運は姿を消しましたが、度々この地を襲う大水は豊かな土壌をもたらし良質な桑が特産となり、養蚕が盛んとなりました。
やがて、絹からナイロンなどの化学繊維の時代となり養蚕も廃れると、大水に追われるように人々はこの新川を去っていきました。
荒川の瀬替えとともに生まれ、文明の進化により滅びた村新川。
私たちはここを幻の村・新川と呼びます。
今、この地は荒川の遊水地であり、野鳥や野生の動物達の棲家となり、
ここを愛する人たちの心のふるさととして息づいています。
先を急いでいたこともあり、次の目的地、旧大里町へ向かう。

来た道とは違うが、水たまりがあちこちにあった。


こんなところにゴルフセンターがあるんだ。

何台か車とすれ違ったのはそういうことだったんだ。泥水をひっかけられなくてよかった。
土手を上り、旧新川村があった辺りを見る。

土手を降りたところに熊谷市久下公民館があった。

ここにも"新川菜園村と子ども遊びの森"にあった案内板と同じものがあった。
100年前の久下新川村は舟運と養蚕で栄えました!!

右下を見ると伊田テクノスという会社が寄贈したようだ。
村の位置・・・熊谷より1里22町(約6キロ)
大きさ ・・・東西15町(1.6キロ) 南北5町(545メートル)
周囲 ・・・53町10間(約5.8キロ)、面積29万坪余り
人口 ・・・532人(男276人、女256人)
家数 ・・・94戸
舟の数 ・・・49艘(明治20年「新川村地誌」より)
男は養蚕、農業のあいまに舟や筏に乗って新川と江戸(東京)を往復。女は蚕仕事がない時は、糸を紡ぎ機を織った。村内には鵜づかい漁をする者もあった。