探索途中、「小治兵衛窪庚申尊」という庚申尊が目についた。



右側面 武刕豊嶋郡峡田領上赤塚村
左側面 天明三癸卯年二月吉日
第百七拾週年記念碑


庚申(かのえさる)の日に、近隣の人々が集まり豊作や健康を祈る行事を庚申待という。この供養に立てたのが庚申塔である。
この塔の正面には六手を持った青面金剛が陽刻してある。手に弓矢、宝剣を持ち、頭髪は上指て三猿の上に座っている。座像彫刻は比較的珍しい塔である。右面には武州豊嶋郡狭田領上赤塚村とあり、左面には天明3癸卯(みずのとう)年2月吉日と刻んである。庚申様は道祖神として交通安全や町内安全の守り神ともなっている。
このあたりは「小次兵衛久保」という地名で呼ばれていた。また、「橋を作ってくれた盗人小治兵衛」の民話が残っている。この民話と共に古くから残る庚申塔は一度は松月院に永代供養を依頼した時期もあったが、成増南町会周辺の数少ない史跡として、再びこの地に安置し、町民の心の支えとして、末永くお祭りすることにした。
昭和63年1月吉日
成増南町会氷川神社管理運営委員会
"小次兵衛"、"小治兵衛"と違いがあるが、旧地名だったことを知る。
由来は、上に書かれている民話らしく、内容は、
「昔ここを流れていた百々向(すずむき)川に一本の丸木橋が架けられていた。とてもさびしい場所で、毎晩のように強盗が出没し、通行人から恐れられていた。
ある朝立派な橋が架け替えられていて、橋のてすりに「たくさんの悪いことをしたので、罪ほろぼしにこの橋を造る。小治兵衛」と書かれた木札が下げられていた。その後は便利になったばかりか強盗も出なくなった。」
というものである。
今昔マップ(1917~1924年)を確認してみると

漢字ではなく、"コジベイ久保"と書かれているのが確認できる。
その後の経緯は、調べてみたが分からなかった。
撮影日 2025年6月12日
撮影場所 東京都板橋区成増二丁目6