以前撮っていた横浜市の写真を見返していたところ、旧町名の写真が結構あることが分かった。
この頃は、琺瑯町名看板の探索がメインで、その探索で横浜市の各区をうろついていた。
その時にたまたま見つけた旧町名を撮っていたようだ。
"撮っていたようだ"というのは変な表現だが、覚えていないからだ。
撮っていた時期が、ブログ開始(2021年8月20日)前だったので、まだ、記事にしていないものがいくつもあった。
それらは旧町名は「町」が付いていて、現町名は「町」が付いていないものが多いが、消滅してしまった町名なので、旧町名であることには変わりない。
その中には完全に町名が変わってしまっているものもあった。
旧町名「太尾町(ふとおちょう)」 → 現町名「大倉山」。
今回はそれを紹介することにしよう。
発見日 2020年11月19日
①

②

「太尾町」が正しいが、「大尾町」となっている。
点の付け忘れだね。
琺瑯町名看板
③

④

歴史
1889年(明治22年)
市制・町村制施行により橘樹郡大綱村太尾。
1927年(昭和2年)
横浜市に編入されて神奈川区太尾町となる。
1947年(昭和22年)3月12日
耕地整理に伴い新吉田町との境界を変更する。
1960年(昭和35年)3月18日
耕地整理に伴い大曾根町との境界を変更する。
1965年(昭和40年)4月14日
新吉田町の一部を編入する。
1976年(昭和51年)5月1日
太尾町の一部を大曾根町に編入する。
1978年(昭和53年)5月29日
新羽町の一部を編入する。
1980年(昭和55年)7月28日
菊名町の住居表示の実施に伴い、菊名町の一部を編入し、太尾町の一部を菊名六丁目に編入する。
1982年(昭和57年)7月19日
大曾根町の住居表示の実施に伴い、大曾根町の一部を編入し、太尾町の一部を大曽根台に編入する。
1983年(昭和58年)11月28日
新羽町の一部を編入し、一部を新吉田町に編入する。
2005年(平成17年)1月31日
北新横浜一丁目、北新横浜二丁目の新設・住居表示の実施に伴い、新羽町の一部を編入する。
2007年(平成19年)11月19日
住居表示の実施により、一部が大倉山一丁目、大倉山二丁目、大倉山三丁目となる。
2009年(平成21年)10月19日
大倉山六丁目、大倉山七丁目の新設・住居表示の実施の際に太尾町の残部を新吉田東七丁目、新羽町に編入して太尾町は廃止となった。
大倉山への町名変更の後も、太尾小学校、太尾堤緑道、横浜太尾郵便局、太尾下町子供の遊び場他にその名を残している。
由来
太尾町
縄文時代には海岸線がこの辺りまで来ており、大倉山が岬のように海へ突き出していた。その形が動物の太い尾のように見えたことから太尾と名付けられたといわれている。
大倉山
実業家であり、東洋大学学長も務めた大倉邦彦が1932年(昭和7年)、現在の大倉山公園に創設した大倉精神文化研究所(その後建物を横浜市に移管し大倉山記念館として運営)に由来する。