以下の内容はhttps://citywalk2020.hatenablog.com/entry/2025/05/05/170500より取得しました。


群馬県高崎市で発見した『東京電燈』時代のものと思われる3枚のプレート

以前、下記の記事で東京電燈のプレートを紹介したことがある。

citywalk2020.hatenablog.com

それがこれ。

この形を覚えていてほしい。

高崎市で以前撮った写真(2024年8月26、27日)を調べていたところ、撮った時は気が付かなかったが、『東京電燈』時代のものと思われるプレートが3枚あった。

3枚も現存していることがわかったので、記事を書いている今、独りでコーフン!状態。

今のところ、この高崎市に現存する『東京電燈』時代のものと思われるプレートについて書かれたものはない(自分調べ)ので、これが初出になるのかもしれない。

①まず1枚目、左側の八角形をしたプレートがそれ。

劣化していて、上部の社章が見えない。一番下には右書きで「高崎」と読める。

今回高崎市で発見したものとの足立区のものの共通点は形だけで、断定はできないが、その形から、『東京電燈』時代のものではないかと思ったわけである。

次に紹介する②と③は同じ種類のもの。

東 社章 電
配線需用者所有
電灯

linear_pcm0153さんが川越市で発見されたものと比較してみる。

ameblo.jp

こちらは、形が楕円形で、中の文字が、

東 社章 電
布線需用者所有標
電燈

となっている。

"配線"と"布線"、"電灯"と"電燈"、"標"あるなしと違いはあるが、社章が決定打だ。

『東京電燈』時代のもので間違いないのではないだろうか?

ということで、なぜ高崎市に東京電燈のプレートがあるのか、調べてみることにした。

元は高崎水力電気株式会社ということがわかった。

1903年明治36年
地元の実業家の須藤清七、小島弥平、小林弥七らの尽力により高崎水力電気株式会社が、資本金10万円で設立され、発電所の工事に着手した。

1904年(明治37年
電気供給を開始。区域内に取り付けられた2,500余の電灯に明かりをともした。

1907年(明治40年
倉賀野を経て岩鼻、藤岡、新町、本庄、深谷、熊谷に至る熊谷線約68キロメートルを延長して供給区域を広げた。
前橋電燈を吸収合併し、前橋も供給区域となる。

1910年(明治43年)1月
別会社として箱島水力電気株式会社を設立。

1911年(明治44年
親会社の高崎水力電気が箱島水力電気を吸収合併する。

1914年(大正3年)2月
烏川水力電気が設立される。

1918年(大正7年
室田発電所下流に、里見発電所が建設される。

1920年大正9年
烏川水力電気を吸収合併する。

1921年(大正10年)12月
高崎水力電気は子会社の熊川電気とともに東京電燈に合併され、消滅する。

1939年(昭和14年
国策会社日本発送電株式会社が設立

1939年(昭和14年)8月
「配電統制令」が発布され、東京電燈を始めとした電力会社は日本発送電と関連する関東配電株式会社など9配電会社に統合された。

1942年(昭和17年)4月1日
東京電燈自体は9配電会社設立に伴い、関東配電へ吸収された。

高崎市に東京電燈が存在していたのは、戦前の1921年(大正10年)~1942年(昭和17年)の21年間ということなる。

※参照
高崎新聞 高崎アーカイブ たかさきの街をつくってきた企業 No.1 高崎水力電気株式会社

このように過去に撮った写真を調べてみると、撮った時は分からなかったが、新しい発見があることがある。

プレート類については、見かけたら撮るようにしているので、ストックの中にまだ気が付いていないお宝が眠っているかもしれない。




以上の内容はhttps://citywalk2020.hatenablog.com/entry/2025/05/05/170500より取得しました。
このページはhttp://font.textar.tv/のウェブフォントを使用してます

不具合報告/要望等はこちらへお願いします。
モバイルやる夫Viewer Ver0.14