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「琴佐」の文字がある旗竿ボックスから旧町名を辿る。

ネットで調べていたら、港区西新橋に「琴佐」の文字がある骨董蓋があるらしいことが分かった。

ただ、10年以上前の目撃情報だ。

今もあるのだろうか?

頼りになるのは、サンドラッグが写っている写真のみ。

調べてみると、西新橋には、サンドラッグがなくなっていた。

ストビューでいろいろ探して見るが、場所が特定できない。

西新橋にサンドラッグがあったという情報がないかと探していると、ありがたいことにある大学の事務所の道案内にサンドラッグが載っていた。

これで場所をほぼ特定できたが、問題は現存しているかだ。

ストビューでは確認できなかったので、2025年3月24日、現地に飛ぶ。

あったよ、あった!

知っていなければ「琴佐」と読めないね。

「琴」の字の下の「今」の中の「ラ」の向きが逆になっていて、「佐」の「左」は異体字になっていて、かなり凝った文字になっている。

「琴」は旧町名「琴平町」から、「佐」は旧町名「南佐久間町」から採っているのだと言われている。

周辺の風景

工事中の場所にサンドラッグがあった。

開発が著しい西新橋でよくぞ残っていてくれた。

旧町名「琴平町」の痕跡は、下記の記事で紹介しているが、消滅してしまった。

citywalk2020.hatenablog.com

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佐久間町については、「南佐久間町ビル」に名を残していた。



芝地区旧町名由来板

佐久間町
明治五年(1872)、臼杵藩稲葉伊予守久通、小野藩一柳銓之丞末徳、斗南藩松平容大の屋敷を併せて南佐久間町一丁目とし、菰野藩土方備中守雄志、佐伯藩毛利安房守高謙、宮川藩堀田豊前守正養、小松藩一柳兵部小輔、佐賀藩阿部正恒の諸藩邸および一之関藩田村氏別邸、その他の土地を併せて二丁目としました。町名は、佐久間町一、二丁目の間を俗に佐久間小路と呼んだことに由来し、そこには四、五軒の佐久間家が居住していたようです。南の字を加えたのは、 神田佐久間町と区別するためと推測されます。

大正12年1921年



歴史

1965年(昭和40年)7月1日
住居表示の実施により、一丁目が西新橋一丁目に、二丁目が西新橋二丁目に編入となり消滅。

撮影日 2025年3月24日、4月15日




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