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もしかしたら小田原市で最後の1枚の琺瑯町名看板「国府津町1815」

「悠久の思い出」さんの神奈川県小田原市の町名看板
https://www7b.biglobe.ne.jp/~suzuha/tyoumei-Kanto.html#Kanagawa

の一覧には、浜町1-2、浜町1-9、浜町4-24、曽我別所808、国府津町1815が現存していることになっている。

現地調査をする前に、無駄足にならないよう、それぞれストビューで確認してみた。

浜町1-2、浜町1-9、浜町4-24
2019年3月まであり、2022年12月なし → 新しい家又は更地になっていた。

曽我別所808
2023年1月まであり、2024年3月なし
建物は残っているが、町名看板だけ無くなっている。→ 家主保存?盗難?

本当だったら、御殿場線下曽我駅で降りて、"曽我別所808"の琺瑯町名看板を拝んでから、"国府津町1815"を拝む予定にしていたのだが、すでに消滅しており、間に合わず。

もう少し前に来るべきだった。

国府津町1815
2024年3月の最新版で存在を確認できた。

しかし、もう1年も経っている。

もしかしたら、消滅しているかもしれない。

実際に行って確認しにいかないと。

ということで、2025年3月25日、遠征を実施した。

いろいろ寄り道をしてしまったので、確認できたのは、約1時間後のことだった。

つるぎや商店は、「サウナと水風呂」という古民家サウナになっていた。

築70年以上らしい。

その軒下にまだあってくれた。

前面だけ改装して、横はそのままにしてくれたので、生き残ることが出来たのだろう。

生存者をよく観察してみることにしよう。

広告主 磯崎タンス店

現存していないようだ。

住所が小田原市緑町になっている。"国府津町"、"緑町"共に旧町名だ。"緑町"については、市内で痕跡を発見したので、その記事で紹介するつもり。

地名の由来
相模国さがみのくに)の「国府」に通じる「津(=港)」がつくられた場所であることから付けられた。

歴史
1889年(明治22年)4月1日
町村制施行により、国府津村が単独村制施行して足柄下郡国府津村が発足。
同時に田島村が単独村制施行して足柄下郡田島村が成立。

1924年大正13年)4月1日
町制を施行して国府津町となる。

1948年(昭和23年)4月1日
田島村を編入

1954年(昭和29年)12月1日
足柄下郡酒匂町、上府中村、下曽我村、片浦村と共に小田原市編入される。

現行行政地名は国府津一丁目から国府津五丁目と大字国府津。住居表示は、一丁目から五丁目は実施済(1974年)区域、大字は未実施区域。

住居表示街区案内図




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