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ビックリガードと雑司が谷いろはかるた

たぶん初めて通るビックリガード



壁に「ビックリガードの由来」のプレートが設置されていた。

池袋の通称ビックリガードは、むかし山の手線の下を通るガードを指したもので、西武池袋線は道路と平面交差の踏切でした。
当時のガードは天井も低く、頭上を通る列車の轟音と振動で、人も荷馬車の馬もビックリ仰天、こどもは、耳をふさいで逃げ出す始末で、これがビックリガードの名のおこりとなったのでした。
また、大雨が降ればガード下は水が溜まり、急勾配の狭い入り口は運転手泣かせ、対向車がくれば、両者の意地くらべになったとも言われます。
現在のようになって全面開通したのは、昭和38年(1963)10月で、ちなみに正式名称は「都道池袋架道橋」だそうです。
ここから西北約300mの元池袋史跡公園付近には、むかし「丸池」があり、池から溢れでた清流はこの付近で線路を横切り弦巻川となって雑司が谷の田畑を潤し、音羽通りを南進、神田川へ落ちていました、丸池を含むこの辺もむかしは雑司が谷村に属していました。
この路線擁壁に描かれた「雑司が谷いろはかるた」は、おもに「豊島区史」の中の地誌随筆類から選んで作成したもので、郷土史入門の手がかりに、また、落書き防止対策として、街の美化に役立つことを願ってやみません。
2006年5月吉日
プロジェクト推進    ・・・南池袋一丁目町会
雑司が谷いろはかるた原画・・・矢島勝昭
壁画製作        ・・・すいどーばた美術学院

擁壁に描かれた雑司が谷いろはかるた



当然全部撮りたくなるよね。誰だってこれを。



右から見ていこう。

い ろ は

ろ 禄高三千石 中西の森 いまグリーン大通り
は 花の名所は むかしもいまも 法明寺
法明寺は、鬼子母神堂を擁するお寺で参道から山門へつづく桜並木は江戸時代からの桜の名所となっている。


池袋 丸池までは 雑司が谷
むかし池袋村と雑司が谷村の境には、池袋の名前の由来となった丸池(袋池)という池があったそうだ。

に ほ へ

ほ 星跡の 畑で発見 鬼子母神
へ へその緒を 納めて安堵 納臍殿

と ち り

と 利家の孫娘が建てた 鬼子母神
ち 千葉の僧 鬼子母神像を 盗んで祟られる 

ぬ る を

を 尾花が変身 みみずく ほうほう
ススキの穂を束ねて作られた「すすきみみずく」は鬼子母神のお告げによって生まれ、参詣みやげとして販売された。

わ か よ

た そ れ

卒塔婆も鎌倉も木村も弦巻川の橋の名

つ ね

な ら

む う

ゐ の

の 能登前田利家は大行院を建てた人

お く や

や 藪そばの名は 雑司が谷が 発祥地
江戸中期、雑司ヶ谷鬼子母神近くの藪のなかにあった百姓家の「薮の内そば」が評判となり、あやかりで薮を名乗る店がふえたのが、藪そばのルーツといわれている。

"や"までと途中までになっている。

反対側も探してみたが、見つからず。

雑司が谷いろはかるた 
雑司が谷ルネサンスの会が平成17年11月に発行。雑司が谷地域の郷土の歴史と文化をいろはかるたで紹介。

ちなみに全文は、

いろはにほへと ちりぬるを
『色は匂へど 散りぬるを』

わかよたれそ  つねならむ
『我が世誰ぞ 常ならん』

うゐのおくやま けふこえて
『有為の奥山 今日超えて』

あさきゆめみし ゑひもせす
『浅き夢見し 酔ひもぜず』

となっている。

撮影日  2025年2月10日

撮影場所 東京都豊島区




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