まだレンガ塀に関心がなかった頃(2021年2月25日)だったようで、説明板だけ撮った写真があった。
約4年後の2025年3月9日、たまたま再会することになり、改めて撮り直して、記事にすることにした。


創立明治九年 本郷尋常小學校跡

明治九年一月二十日 本郷区元町二丁目六十番地にて開校
明治十六年二月 本郷区本富士町三番地に新校舎落成(現在地)
初代校長 合志林藏 師範学校訓導(教授)兼任
明治二十一年四月 英語科を設ける 校舎及運動場を拡張
六代校長 松下專吉 正六位 勲六等瑞宝章 奏任官
明治三十五年九月東京府師範学校訓導より赴任
昭和十年九月退職 この間政府より北米及中国の視察を命ぜられ又国語調査
委員・公立小学校校長会会長等を歴任され内閣等より数々の表彰を受けた
七代校長 小倉育之介 正七位 勲七等 高等官
昭和二十年三月十日 空襲にて焼失 後区立第四中学校設立
〔この碑は旧赤煉瓦塀を用いて五十九年文京区のお力で建立されました)
昭和六十年六月二十二日 本郷小学校同窓会
本郷小学校跡&文京区立第四中学校跡

本郷小学校跡
本郷7-1-2
明治8年(1875)6月、本郷小学校は、「第四中学区公立小学本郷学校」として認可され、翌9年1月20日開校式を挙げた。文京区内の公立小学校では、4番目の設立である。
場所は、旧本郷元町2丁目60番地で、開校当時はわずかに教室7、職員3名、児童30名であった。
女流作家樋口一葉が短期間入学したのは、開校の翌年の3月であった。
明治15年2月火災により類焼し、校舎焼失、応急措置として仮校舎を旧元町1丁目3番地に建て、授業を開始した。翌16年2月、旧本郷本富士町3番地の東京府有地251坪(約828平方米)に、23教室を新築してここに移った。その後しばしば敷地の拡張、校舎の増築を行い、明治35年には、在籍児童1,200名、職員24名、書記1名を擁する大規模校となった。
大正元年、帝国大学敷地の一部148坪(約488平方米)を買収して、同年校舎の大改築を行ったが、その校舎は、昭和20年3月の大空襲により全焼した。昭和21年3月31日廃校となり、71年間の歴史を閉じた。
教育内容も充実し、多くの人材を養成した名門本郷小学校は、今はなく、ここに残るものはわずかに、左手のレンガ造りの塀だけである。
跡地に、旧区立第四中学校の校舎が完成したのは、昭和27年10月である。
文京区立第四中学校跡
本郷7-1-2
区立第四中学校は、戦後の6・3制発足により昭和22年5月1日、当時の元町小学校内に開校し、 23年湯島小学校内に移転した。
昭和27年10月、現在地「旧本郷小学校跡」の区立中学校として最初の鉄筋3階建て新校舎に移転した。
「けだかきすがたみ山路のごぜんたちばな胸に咲き」で始まる校歌・校章のゴゼンタチバナは、高山の厳しい自然にもめげず、気品高く清潔感に溢れるという意味を持った高山植物の花、そのような生徒に育って欲しいという地域や保護者、教職員の願いのもと、平成9年度までに7,642名の卒業生を送り出した。
平成10年3月、年少人口の減少に伴う文京区立小・中学校第1次適正配置計画により、第四中学校は、 区立第二中学校と統合し、50年の歴史に幕を閉じ、その歴史と伝統は、平成10年4月に開校した本郷台中学校に引き継がれている。
文京区教育委員会 平成15年3月
現在、跡地は文京総合体育館(開館2013(平成25)年)になっている。
1998年(平成10年)4月1日、旧真砂小学校と旧元町小学校の統合して、本郷小学校が誕生しており、本郷小学校の名前が蘇った。
旧町名マニアもどきとしては、本郷小学校同窓会と文京区教育委員会の説明文について気になるところがあった。こんなことを調べる人はたぶんいないだろう。
①本郷小学校同窓会は"本郷区元町"と区が書かれており、文京区教育委員会は"本郷元町"と区が書かれていない。
本郷区が設置されたのは、1878年(明治11年)11月2日なので、"区"がない方が正しいと思われる。
②本郷小学校同窓会は"本郷区本富士町"、文京区教育委員会は"本郷本富士町"とここでも区有り無しになっている。明治16年なので、本郷区は設置されている。違いは"本郷"の冠称が付いていないか付いているかだ。調べみると"本郷"の冠称がはずれたのは、1911年(明治44年)とのこと。なので明治16年時点では、"本郷區本郷本富士町"が正しいと思われる。
③文京区教育委員会の説明文に"元町1丁目"と書かれているが、"本郷元町1丁目"が正しいと思われる。
以上