埼玉県内の街道筋の商家は、街道に面する店舗間口が狭く、奥行きが長い土地が多い。江戸時代は間口の広さで年貢が計算されたため、間口を狭くして奥行きを伸ばした「ウナギの寝床」状の店が多かった。明治時代になって、この細長い土地で、裏手の蔵から店舗に荷物を運ぶための運搬用に「トロッコ」を走らせる「横丁鉄道」が作られ、現在も活用されている。
鉄道の定義はレールの上を車両を走らせ、人・荷物を運ぶ運輸機関の総称。また、その設備。
なので、趣味人が「横丁鉄道」と名付けたのだろう。
「横丁トロッコ」「横丁軌道」とも呼ばれている。
幸手市内にはそのような線路が残る商家が3軒現存している。
今回はそれらをレポートしてきたので、紹介することにしよう。
永文商店
所在地 幸手市中1-7-27
休業日または営業時間外でしかわからない景色が広がっている。

正面のシャッターには、「廻船問屋」をテーマに、船着き場で荷役作業をしている人足の姿を表しているそう。
右側のスライドするシャッターには、幸手市の名物である権現堂の桜をイメージした桜の枝と正福寺に句碑として残っている芭蕉と曽良が幸手宿で詠んだといわれる句が書かれている。
右は曽良の句で「松杉を はさみ揃ゆる 寺の門」と五・七・五となっている。
左は芭蕉の句で「幸手を行かば 栗橋の関」と七・七となっていて、五・七・五となっていない。
芭蕉の詠んだ七・七の句は、曽良の五・七・五に連ねて詠んだ連歌(れんが)だったらしい。
書かれている絵や文字もただ見るだけではなく、調べてみると面白い。
扉の脇にはミツカン酢の琺瑯看板と電話番号プレート

シャッター全開状態の営業日

扉が開けられ、奥まで線路が伸びているのが見える。

建物の側面

味のある古びた波トタン
芭蕉と曽良が旅する姿が白い線だけで描かれている。

明治時代に当初は魚屋として開業し、その後、酒屋(味噌・醤油等の食料品も販売)として営業し現在に至っている。お店『永文』の屋号の由来は、先々代(創始者)である永島文太郎氏から取っている。
横丁鉄道は、大正13年頃からあり、軌間(ゲージ)は 約600mm。倉庫からお店まで直線約70mの長さ。荷物は主に商品を運んでいた。入出荷の際、酒類など重さ1トンほどの商品を軽々動かすことができるという。
長島ガラス
所在地 幸手市中4-16-43
休業日

シャッターが閉じられ、確認することができない。
営業日

歩道から続いている線路。

明治時代に硝子商として開業し、現在に至っている。
横丁鉄道は、昭和初期にからあり、軌間(ゲージ)は 約600mm。
倉庫からお店(駐車場)まで、確認できないが、曲線部分もある約80mの長さがあるそうだ。
成田金物店
所在地 幸手市中3-2-2

窓が閉まっていたが、外から線路が見えた。

後日、訪問した時は窓が開いていた。

現在は使用されていないが、約15メートル線路が残っている。
軌間は約300mm。
かつては、日光街道に面したお店から奥の蔵まで、昭和30年代まで線路で結んでいたそうだ。
埼玉県内には、川越・加須・鴻巣・秩父・飯能・川口・所沢にもあるらしい、あったらしいが正しいのかな。
秩父市以外それぞれ探索したことがあるが、見た覚えがないなあ。
まあ、私有地内にあるので、気が付かなかっただけなのかもしれない。