「遠い山なみの光」
2025年9月9日(火)ユナイテッド・シネマとしまえんにて。午後1時30分より鑑賞(スクリーン1/B-7)
~戦後の長崎を生きた女性の物語と記憶を巡るドラマ

ノーベル文学賞作家カズオ・イシグロといえば、「日の名残り」(1999年)、「わたしを離さないで」(2011年)などの原作小説の作者として知られている。また、「上海の伯爵夫人」(2006年)、「生きる LIVING」(2023年)の脚本も担当している。
そのカズオ・イシグロの長編デビュー小説を「蜜蜂と遠雷」「ある男」などの石川慶監督が映画化した。石川監督は脚本と編集も兼ね、製作には日本、イギリスとともにポーランドが加わっている。石川監督は、ポーランドの国立大学ウッチ映画大学に留学し、演出を学んでいる。
原作小説には、終戦から9年後に長崎に生まれ、5歳で家族とイギリスに渡ったイシグロの個人的な思いが反映されているとのこと。残念ながら私は未読である。
1980年代のイギリスと1950年代の長崎を行き来しながらドラマが進む。1980年代のイギリスでは、日本人の母とイギリス人の父を持ち、大学を中退して作家を目指すニキ(カミラ・アイコ)が、戦後長崎からイギリスに渡ってきた母・悦子(吉田羊)の半生を作品にしたいと考え、ロンドンから訪れて話を聞く。
悦子は一人暮らしで、思い出の詰まった自宅をもうじき売却する予定だった。ニキには異父姉がいたようだが確執があり、その姉は自殺したらしい。また、ニキは妻のある男と交際し、どうやら妊娠しているらしかった。
一方、母の話を基に描かれる1950年代の長崎は、戦後の復興真っただ中。若い悦子(広瀬すず)は会社員の夫の二郎(松下洸平)とともに暮らし、妊娠中だった。
この長崎のパートの映像が独特だ。ひたすら美しく静謐なイギリスの映像と違い、どこか古びた感じでノスタルジックなタッチを醸し出す。最初は、古い時代だからそうした映像にしているのかと思ったのだが、どうもそればかりではないことが、後々になってわかる。
悦子は、近所に住む佐知子(二階堂ふみ)と親しくなる。彼女はシングルマザーで幼い娘(鈴木碧桜)を抱えていた。そして、アメリカ兵と交際し、娘が嫌がるにもかかわらず一緒にアメリカに行くことを夢見ていた。振る舞いは自由奔放。まさに悦子とは正反対のタイプの女性だったのだ。
だが、まったく違うと思われた2人に、大きな共通点があることがやがて明らかになる。それは戦争や原爆の影だ。どうやら佐知子と娘は、被爆しているらしかった。悦子は音楽教師をしていたが、原爆で子供たちを死なせたことに自責の念を抱いていた。2人は復興真っただ中の長崎で精いっぱい生きていたが、時折そうした過去のつらい経験が顔を覗かせる。おそらく当時の長崎の人々は、みんなそうした思いを抱えていたのだろう。
さらに、2人にはもう一つの共通点がある。どちらも夢を諦めたのだ。佐知子は映画女優になる夢を抱いていたが、結婚した夫がそれを許さなかった。悦子は音楽教師という職業にやりがいを感じていたが、夫は妻が職業を持つことを嫌った。2人は保守的な固定観念の犠牲になっていたのである。
映画は丁寧に2つの時代の物語を紡いでいく。原作は相当に複雑な構造を持つ作品らしいのだが、それを巧みに紐解いて見せる。直接的に戦争や原爆を描かなくても、それが持つ影響の大きさを如実に示す。時代の犠牲になった人々の思いをスクリーンに刻む。
1950年代の長崎で、特筆すべきもう1人の人物がいる。洸平の父で元教師の誠二(三浦友和)だ。彼は悦子の教師としての力量を評価し、辞めてしまったのはもったいないという。しばらく洸平の家に滞在した時も、優しく気づかいにあふれている。だが、洸平はそんな父にわだかまりがある。原因は誠二の戦前の行動にあった。彼はかつて軍国主義を体現したような教師だった。
その過去が大きな問題を引き起こす。誠二にはどうしても許せないことがあった。そのことを直接本人にぶつけに行く。だが、逆にやりこめられる。戦前の彼の行動が強く批判されたのだ。そんな誠二に悦子が言う。新しい時代が来たのだ。お父さんも変らなければいけない、と。
そうなのだ。このドラマは戦争や原爆など過去の傷にさらされながらも、それを克服して新しい時代を切り開こうとする、たくましい女性のドラマなのである。
だが、それでも違和感があった。長崎を描いた異世界を思わせる映像の色調。そしてまるで昔の映画女優のようでリアルさとは微妙に遊離した二階堂ふみの演技……。
次の瞬間、私は仰天した。終盤に驚きの展開が待っていたのだ。ええ? と思わず声を出しそうになった。原作を読んでいないのでなおさらである。もちろんネタバレになるからそれが何かは言わないが、唐突な感じは拭えない。あそこは、もう少し時間をかけて描いてもよかったのではないか。
とはいえ、冷静になってみると、悦子という人物のたくましさをさらに強く印象付ける点で、効果を発揮しているのは間違いない。イシグロの作品には、記憶がキーポイントになるものが多いが、その点でもイシグロらしい作品と言えるかもしれない。本作は、戦争の傷を克服してたくましく生きる女性のヒューマンドラマであるのと同時に、記憶を巡るミステリーでもある。
理不尽な戦争の傷を抱えながら、それでもなお自分なりの生き方を模索し、新しい時代を切り開こうとする女性たちの姿に、微かな希望の光を見出して映画が終わる。
俳優陣では、広瀬すず、二階堂ふみが見事な演技を披露。一見、正反対ながら、その実共通点があるという微妙な関係性を巧みに表現していた。全編で英語を操った吉田羊、カミラ・アイコ、三浦友和らの演技も秀逸。子役の鈴木碧桜の独特の雰囲気も良かった。
◆「遠い山なみの光」(A PALE VIEW OF HILLS)
(2025年 日本・イギリス・ポーランド)(上映時間2時間3分)
監督・脚本・編集:石川慶
出演:広瀬すず、二階堂ふみ、吉田羊、カミラ・アイコ、柴田理恵、渡辺大知、鈴木碧桜、松下洸平、緒方二郎、三浦友和
* TOHOシネマズ 日比谷ほかにて全国公開中
公式ホームページ https://gaga.ne.jp/yamanami/
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