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「長崎―閃光の影で―」

「長崎―閃光の影で―」
2025年8月6日(水)kino cinema新宿にて。午後12時40分より鑑賞(シアター2/A-4)

看護学生たちの奮闘を通して伝わる核兵器廃絶と反戦の志

 

今日は8月9日。80年前の今日、長崎に原爆が投下された。広島に原爆が投下された8月6日と同様に、人類にとって忘れてはいけない日である。そんな日に、長崎の原爆を描いた映画を取り上げる。

「長崎―閃光の影で―」は、日本赤十字社の看護師たちによる手記『閃光の影で-原爆被爆者救護赤十字看護婦の手記―』を原案にした映画。原爆投下前日の日常を描いた黒木和雄監督の「TOMORROW 明日」を製作した鍋島壽夫がプロデューサーを務め、長崎出身の被爆三世である松本准平が監督、共同脚本を担当した。

1945年、看護学生の田中スミ(菊池日菜子)、大野アツ子(小野花梨)、岩永ミサヲ(川床明日香)の3人は、空襲による休校のため大阪から故郷の長崎に帰郷した。それぞれの家族や友人と平穏な時間を過ごす3人。ところが、8月9日、長崎市原子爆弾が投下され、街は一瞬に廃墟と化してしまう。やがて救護所で再会した3人は、未熟ながらも看護学生として負傷者の救護に奔走するのだが……。

映画の冒頭、美輪明宏の語りが入る。美輪は10歳の時に長崎で原爆を体験している。といっても、彼が自分自身のことを語るのではない。この映画の原案となった『閃光の影で 原爆被爆者救護 赤十字看護婦の手記』に体験を寄せた元看護学生のひとりである山下フジヱさんの思いを語るのだ。ちなみに、山下さんは最後の方で特別出演している。

そして、場面は列車の中へと移る。そこに乗り合わせているのは田中スミ、大野アツ子、岩永ミサヲ。幼なじみで大阪の看護学校に通っていたが、空襲により学校が休校になったため、故郷の長崎に帰ってきたのである。

久しぶりに見る故郷の風景を懐かしそうに見る3人。長崎に着いて列車を降りても、じゃんけんゲームをしながら、楽しそうにお互いの近況を語る。スミにはどうやら恋人がいるらしいなどと他の2人が冷やかす。戦争中とはいえ、ここにはキラキラ輝く青春の日々がある。

その後も、3人はそれぞれの平凡な日常を送る。その中で、スミはお遣いの途中に恋人の勝(田中偉登)と出会うが、勝はいつまでも彼女に着いてくる。実は、彼には赤紙召集令状)が届いたのだ。それでもスミは「おめでとう」と言って去ってしまう。

そして、その日はやって来た。8月9日。3人の身に突然、原爆が襲いかかる。まばゆい閃光と轟音。その衝撃と混乱の中、何とか3人の命は助かるが、周囲は惨憺たる状況だった。黒焦げの死体、「水をくれ」と言ってのたうち回る人々。

父と二人暮らしだったミサオは、瓦礫の下から負傷した父を救い出す。スミは郊外から救護のため医師と看護師を乗せたトラックに同乗する。赤十字にいたアツ子は足を負傷するがかまわず任務にあたる。

医師や看護師たちはすぐに救護活動に入るが、まるで地獄が現出したような惨状に思うような活動ができない。それでも赤十字に救護所が設けられると、そこに被爆者たちが運び込まれてくる。やがてスミ、アツ子、ミサヲもそこで再会する。

医師や看護師は治療に手を尽くすが、あまりにも患者の数が多かった。おまけにほとんどの患者が命に係わるような重症だった。患者の傷口からはウジがわき、切断を要する患者にも満足な医療器具が使えない。観ているこちらも目を背けたくなるような凄惨な光景が何度もあった。だが、目を背けるわけにはいかない。これが現実なのだ。

3人の看護学生にとってつらかったのは、ほとんどの患者が治療を施しても死んでいくことだった。原爆の前で医療は無力に思えた。おまけに彼ら自身の家族や友人もまた、多くが死んだり行方不明になっていた。

そんな中、スミは恋人の勝と再会する。勝はスミに自分の親戚のある土地に避難しようと誘う。スミは迷った末に応じる。しかし、その直後に彼もまた病に倒れてしまうのだ。すぐには死につながらなくても、確実に命を削る放射能の恐ろしさに改めて戦慄する。

映画の中では、原爆を巡って論争も起きる。アツ子は、「原爆を落としたアメリカが憎い。許せない」と言う。一方、熱心なカトリック信者のミサヲは「神はすべてを許す。憎んでどうするのだ」と言う。どちらの言い分もわからないではない。スミは間に立っておろおろする。戦争の加害者は被害者を許せるのか。これは現代にも通じる難しい問題だろう。

看護学生3人とは、明らかに異質な人物も描かれる。看護婦長(水崎綾女)だ。彼女は職務に忠実で厳しいが、その反面、朝鮮人のことは差別して助けない。戦時中は敵国としてアメリカを憎んでいたし、戦後米軍が駐留するのを前に看護婦一人ひとりに自殺用の青酸カリを配ったりする。それなのに、しばらくすると一転してアメリカ兵と付き合うのだ。まさに、戦前戦後の日本の矛盾を象徴するような人物といえるだろう。

このように原爆の話が中心ではあるものの、その他の当時の世相も盛り込むなどして、ドラマに陰影を与えている。

気が滅入るような毎日だが、3人の看護学生は健気に奮闘する。その中で、数少ない明るい話題は原爆で失明した妊婦が、無事に男の子を生んだことだろう。多くの死の中で、唯一の生が輝く。看護師たちも喜ぶ。だが、喜びも束の間、その女性も間もなく死んでしまうのだった。

原爆から三十数日、ようやく3人の看護学生の任務が終わる。過酷な日々を経て、それぞれが自分の道を進みだす……と思えたのだが、そうではなかった。その先に待っていたのはさらに悲しい出来事だった。原爆の恐ろしさを改めて思い知らされる。

それでも終盤には、スミが失明した妊婦が出産した赤ん坊と再会する場面が描かれる。そこで依然として悲しみに沈むスミに対して、ある女性が「生き続けて、忘れないこと」の大切さを説く。それを聞くスミの表情に明日への微かな希望を感じた。

本作は直接的なメッセージを発するような映画ではない。過度に叙情に走らず、またひたすら客観視して描くというのでもなく、被写体と適度な距離をとったバランスの良いドラマになっている。そして、何よりも作り手たちの熱い思いを感じる映画だ。映画の最後には世界の核弾頭の数がテロップで映る。それは絶望的な数だが、それでもそこには決然として核兵器廃止を訴える作り手たちの思いが表れている。

その熱い思いは役者たちにも伝わっている。菊池日菜子、小野花梨、川床明日香という看護学生に扮した3人が、ひたむきな演技を見せている。輝く青春の日々を奪われながら、必死でひどい現実に向き合う彼女たちの姿に胸が熱くなる。しかし、小野花梨はどんな役をやっても似合うよなぁ。

赤十字の責任者役の利重剛をはじめ、渡辺大加藤雅也有森也実萩原聖人南果歩らの脇役の演技にも、この映画に対する思い入れが感じられる。

そんな作り手や俳優の強い思いのおかげで、本作からは静かでありながら強い核兵器廃絶の、そして反戦の志が感じられるのである。

最近は「核武装は安上がり」などとのたまう政治家が出現している。そんな危険な状況だからこそ、ななおさら今こそ観るべき映画である。

エンディングテーマに流れるのは、長崎出身の福山雅治がプロデュースとディレクションを担当し、菊池日菜子、小野花梨、川床明日香の3人が歌う「クスノキ」。心の奥に染み入るような歌だった。

◆「長崎―閃光の影で―」
(2025年 日本)(上映時間1時間49分)
監督:松本准平
出演:菊池日菜子、小野花梨、川床明日香、水崎綾女渡辺大、田中偉登、呉城久美、坂ノ上茜、田畑志真、松尾百華、KAKAZU、加藤雅也有森也実萩原聖人利重剛池田秀一、山下フジヱ、南果歩
*TOHOシネマズ 日比谷ほかにて公開中
ホームページ https://nagasaki-senkou-movie.jp/
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