「木の上の軍隊」
2025年7月30日(水)シネクイントにて。午後1時40分より鑑賞(スクリーン2/D-6)
~上官と部下の樹上での耐乏生活を通して伝わる戦争の愚かさ

炎天下に道を歩いていたら、前を歩いていた見た目70代ぐらいの男性が、突然立ち止まりヒップホップのようなダンスを始めた。手足をぐにゃぐにゃ曲げている。音楽に合わせて踊っているのかと思ったが、耳にイヤホンらしきものもない。何だか気味が悪くなって、なるべく目を合わせないようにして通り過ぎた。振り返りもしなかった。まあ、これだけ暑ければ変な人が出てもおかしくはない。
さて、毎年8月前後には戦争に関する話題が頻繁に取り上げられる。この時期だけに取り上げられることに対する批判もあるが、取り上げられないよりはましだろう。
映画でも例年、戦争を扱った映画が何本か公開される。「木の上の軍隊」もその一つ。激しい地上戦が繰り広げられた沖縄の伊江島で、大きなガジュマルの木の上に身を潜め、終戦を知らずに2年間も生き抜いた2人の日本兵の実話に着想を得て井上ひさしが構想を温め(原案)、彼の死後に蓬莱竜太が脚本を担当して栗山民也の演出で、こまつ座が上演した舞台劇の映画化だ。
太平洋戦争末期の伊江島。米軍との激しい戦闘で新兵の安慶名セイジュン(山田裕貴)は仲間からはぐれ、少尉の山下一雄(堤真一)と合流する。米軍に追い詰められた2人は、森の中の1本のガジュマルの大木の上に潜伏する。圧倒的な敵軍の戦力に、戦闘経験豊富な山下は援軍が来るまでこの場で待機することを決断。恐怖と飢えに耐えて、やがて日本が敗戦したことも知らずに、木の上で“孤独な戦争”を続ける2人だったが……。
映画の序盤は2人の兵士が木の上に潜むまでの経緯が描かれる。日本軍は伊江島に空港を建設することを決める。空港建設には多くの兵士や民間人があたった。
その中で、最初に焦点を当てられるのは地元出身の兵士・安慶名と与那嶺だ。幼馴染の2人は厳しい作業の中でも軽口をたたき合う。
ところが、やがて軍はせっかく作った空港を壊すことにする。当初、軍は沖縄本土決戦の防波堤にしようと考えて、そのために大きな戦力を投入する予定だった。ところが、それが立ち消えになったわけだ。
この作業にも多くの兵士と民間人が投入された。安慶名と与那嶺も作業に従事する。だが、それは過酷な労働だった。もはや軽口など叩いている場合ではない。2人の上官である山下一雄少尉は彼らに厳しい態度で臨む。山下は帝国軍人の典型だった。日本が勝利するためには人の命などどうでもよかった。彼らのモットーは「一人10殺」。つまり1人の兵士は10人殺してやっと一人前というのだ。
山下少尉の横暴ぶりは他の場面でも見られる。竹やりで藁人形を突く訓練を民間人に行わせ、そこでふと気を許した老人を見咎めて、何発もぶん殴るのである。もちろん、これは山下の特異性を表すものではなく、日本軍全体の非道さを象徴している。
というわけで、序盤は沖縄戦の本質がどこにあったのかを示すとともに、日本軍のありようを見せる。日本軍の加害性を直接描くわけではないが、その残虐さ、非道さは十分に伝わってくる。
そして当然、敵である米軍の攻撃も容赦ない。与那嶺の母と妹がせっかく壕に入ることを許されたというのに、安慶名の前であっけなく米軍の爆撃で吹っ飛ばされるシーンには思わず戦慄させられた。戦争とはかくも残酷なものなのか。
安慶名は混乱の中、仲間とはぐれ、山下少尉と合流する。その際、米兵を一人射殺するが、彼は人を殺すことに耐えられなかった。しかし、山下は「まだたった1人だ」と冷たくあしらう。同じ兵士でも、ゴリゴリの帝国軍人の山下とそうではない安慶名のギャップが早くもここで露呈する。
山下と安慶名は、偶然、森の中のガジュマルの大木を発見しその上に身を隠す。これがまあ、実に立派なガジュマルの木なのである。実話がベースと聞いて信じられない思いがあったのだが、こうやって映像で見せられると納得してしまう。それだけでも映画化した甲斐があったというものだ。
映画的な工夫は他にも様々な形で見られる。手持ちカメラを使ったり、極端なアップを用いたり、幻想や妄想の場面を登場させたりと、芝居ではできない数々のテクニックを駆使して映画的な魅力を倍加させる。
木の上に潜んだ山下と安慶名は、初めのうち緊迫した状況にさらされる。周辺には米軍兵士がうろつき、木の上から降りることもできない。息詰まるような環境の中、2人は次第に飢餓状態に陥る。そこで安慶名がセミが食えるという話をするが、そのセミさえもいなかった。持参したわずかな食料も底をつきそうだった。
木の上の2人で興味深いのは、山下が厳格な軍人なのに対して、島から出たことのない安慶名はどこか呑気なこと。その2人が会話を交わすから、どこか噛み合わない会話が続く。そこからそこはかとないユーモアも漂う。笑いもたくさんある映画だ。
やがて極限状態の中、山下はあることに気付く。米軍は日曜日にはやってこないのだった。それを知った2人は、木から降りて食料を探しに出かける。ソテツの実はそのまま食べれば毒だが、水にさらして干して団子にすれば食べられると安慶名は山下に教える。
2人は米軍の缶詰も手に入れる。安慶名はそれを口にするが、山下は敵のものなど食えないと拒否する。
だが、背に腹は代えられない。やがて2人は米軍の残飯をあさり始める。そこで一気に食糧事情は好転する。それぞれが見つけた食料は二等分することにしていたが、たばこと酒だけは見つけた者が独り占めしていいことになっていた。だが、安慶名が大量のたばこを見つけると、山下は自分が見つけたアメリカのグラビア雑誌を引きちぎり、物々交換を持ちかける。
思わず笑ってしまうような場面だが、後半はこうした場面がたびたび登場する。そもそも「援軍を待って反転攻勢する」という山下の作戦は、全くの絵空事になりつつあった。それでも米軍の残飯をあさりながら、山下は米軍に敵意を燃やし続けていた。安慶名もそれに従うしかない。あまりにも滑稽な2人。それを通して戦争の愚かさをあぶりだす。
安慶名は「どうして(戦場は)沖縄だったのか」と山下に問う。だが、山下は「それなら本土が戦場になってもいいのか」という趣旨の答えをする。だが、それは答えになっていない。そもそも戦争さえ始めなければ、沖縄が戦場になることもなかったのだ。なぜ戦争を始めたのか。安慶名の問いの向こうには、この戦争に対する本質的な疑念がある。
終盤、とっくに戦争が終わっていたことを知る2人。はたして2人はどうするのか?
ラストの海のシーンが美しく心に染みる。そこで向かい合った安慶名に山下は絞り出すように「もう帰ろう」と言う。それに対して安慶名は……。余韻を残すラストシーンだった。
堤真一はさすがの演技。特にラストシーンの演技が絶品だった。そしてそれ以上に見事だったのが山田裕貴だ。思いの籠った渾身の演技で圧倒されまくった。2人だけの場面が多いだけに、この2人がいなかったらこの映画は成立しなかっただろう。ちなみに2人とも飢餓状態を表現するために体重を落として役に臨んだらしい。
ところで、最後の方で怪演技を披露している山西惇は舞台劇では上官役を務めたとのこと。舞台劇にリスペクトを感じる配役だ。
この映画の監督・脚本は平一紘。沖縄出身で、沖縄を舞台にした桐谷健太主演のタイムスリップコメディ「ミラクルシティコザ」を手がけた。彼はラジオ番組に出演して「この映画は戦争映画ではない」と言ったが、それは「娯楽作品なのでジャンル分けせずに幅広い人に見てほしい」という意図だったのかもしれない。しかし、戦場の場面などは少ないものの、戦争の一側面を映し出した映画なのは間違いがないわけで、その点で戦争映画と呼んでもいいのではないだろうか。少なくとも戦争の愚かさ、悲惨さだけは十分に伝わってきた。
◆「木の上の軍隊」
(2025年 日本)(上映時間2時間8分)
監督:平一紘
出演:堤真一、山田裕貴、津波竜斗、玉代勢圭司、尚玄、岸本尚泰、城間やよい、川田広樹、山西惇
*丸の内ピカデリーほかにて公開中
ホームぺージ https://happinet-phantom.com/kinouenoguntai/
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