「夏の砂の上」
2025年7月9日(水)テアトル新宿にて。午後2時より鑑賞(A-11)
~真夏の長崎で流されるままに生きる人たちに希望はあるのか

戯曲の映画化はなかなか難しい。会話が中心の舞台をそのまま映画に持ってきても、物足りなさが残る。そこに映画的な妙味が加わって、初めて映画化の意味が生まれる。
「美しい夏キリシマ」の脚本などで知られる松田正隆の戯曲「夏の砂の上」は、1998年に平田オリザが舞台化して以来、これまでに何度か上演されている。それを「そばかす」の玉田真也監督が自ら脚本を書いて映画化した。玉田監督は、2022年に自身の劇団でこの戯曲を上演している。
夏の長崎。幼い息子を亡くした喪失感を抱えた小浦治(オダギリジョー)は、妻の恵子(松たか子)と別居中で、働いていた造船所が潰れてからは仕事を探す気力も湧かずふらふらしていた。そんなある日、妹の阿佐子(満島ひかり)が17歳の娘・優子(髙石あかり)をしばらく預かってほしいとやって来る。慌てる治を尻目に半ば強引に優子を置いて行く阿佐子。その日から、治と優子の奇妙な同居生活が始まる……。
冒頭のアヴァンタイトルで映るのは豪雨の映像。この豪雨がドラマのキーポイントになっている。
そして暗転した後に始まるドラマ。雨が降らず、からからに乾いた夏の長崎。そこでぼんやり水面を見つめて煙草を吸う治。後になってその場所は、彼が豪雨の日に幼い息子を事故で失った場所であることがわかる。
家に戻るとそこには別居中の妻・恵子がいた。パジャマを取りに来たのだという。ついでに息子の位牌を持っていくと主張して治とぶつかる。
続いて映るのは、治の妹の阿佐子と17歳の娘の優子。スーパーで買い物をしている。その後、2人は治の家を訪ねる。阿佐子は水商売をしているらしく、福岡においしい儲け話があるのでそこに行くという。どうやら男がらみの話らしい。住むところもまだ決まっていないからと、阿佐子は優子をしばらく預かってほしいと言う。
治は冗談ではないと断るが、阿佐子は意に介さない。そこには恵子もいた。2人が別居していることを知らない阿佐子は、恵子にもよろしくと言って出て行ってしまう。こうして治と優子の同居生活が始まるのだった。
治と優子には共通したところがある。どちらも流されるままに生きているのだ。治は別に孤立しているわけではない。以前の職場の造船所の仲間とも酒を飲んだりする。タクシー運転手に転職した持田(光石研)のもともたびたび訪れる。だが、自身は溶接工としてのこだわりがあり、造船所が潰れてからは仕事も探さず無為な毎日を送っていた。
一方、優子は母に言われるままに治の家に住み着き、母が決めてきたというスーパーのバイトに通い(高校には通っていない)、そこで声をかけてきたバイト仲間の大学生・立山(高橋文哉)と付き合うようになる。こちらも流されるままに、漂うように生きているのだ。
このドラマは真夏の長崎を舞台にしている。そのまとわりつくような空気感は舞台劇でも表現されていたというが、映画はさらにそれを加速する。長崎の街並みはもちろん、ひっくり返ったセミなど、焼けつくような夏の暑さを示す映像が随所に盛り込まれる。特に 治の家に続く坂道や階段が印象的だ。そこを治たちが昇り降りするだけで、長崎の夏の暑さが実感できる。さらに彼らが同じところを行き来している=閉塞状況にあることも物語る。
およそつかみどころのない治と優子。波瀾万丈のドラマなら、とても主要な登場人物にはなりえないだろう。だが、流されるままに生きている治にも、その心に乱れがあることが少しずつ見えてくる。亡くした子供への思い、妻への未練。そうしたものが時折顔を覗かせる。特に妻の恵子への思いは複雑だ。恵子はこの狭い町で、治の元同僚の陣野(森山直太朗)とただならぬ関係にあるらしい。治の心は乱れる。
それが思わぬ形で露見する。持田が亡くなり、その葬儀の場で陣野の妻(篠原ゆき子)が治に対して、その胸の内をさらけ出し激しく詰め寄る。治は何も言えずにただうつむくしかなかった。
優子の心にも、それまでとは違う思いが見て取れる。相変わらず流されるままに立山と付き合う彼女だが、その最中に長崎で落とされた原爆をたとえに出して、「消えてしまいたい」とつぶやく。さらにスーパーの同僚に対して怒りを爆発させる。彼女にも苛立ち焦りがあったのだろう。
舞台とは違い、会話はかなりそぎ落とされているようだ。それだけに俳優たちには繊細な心理描写が要求されるのだが、そこはオダギリジョー(脚本を気に入り共同プロデュースも手掛ける)、松たか子、髙石あかりをはじめとする実力者たち。巧みに登場人物の心理を表現していた。中でも髙石あかりは、大人と子供の狭間で揺れ動く微妙な姿を見事に演じて見せていた。篠原ゆき子(最近ではドラマ「相棒」の刑事役でおなじみ)の鬱憤を爆発させた演技も秀逸だった。
終盤にも印象的なシーンが登場する。突然の豪雨が襲う中、優子は憑かれたように鍋を外に出して、雨水を集める。治もそれに従う。まるでパーティーのようにはしゃぎまわる2人。そして、たまった雨水を飲む。あれは思い通りにならない人生を送ってきた2人の、現状への決別宣言だったのだろうか。ここから抜け出したいという……。
その後、治の身に衝撃的な出来事が起きる。そんな中、恵子は新たな道を歩もうとする。そこで治は、「自分には最初から息子なんていなかったのかもしれない」とつぶやく。
さらに優子も新たな道へと向かう。別れ際、お気に入りの帽子を治に渡す優子。
最後に映る治の表情。それは何か吹っ切れたような表情にも見えた。多くの喪失を経験して、彼もまた新しい道へ踏み出すのかもしれない。微かな希望らしきものを感じさせるエンディングだった。
カタルシスが味わえるような映画ではないが、じんわりとくる作品だった。後になればなるほど効いてくる。つかみどころのない登場人物によるドラマだが、逆にそれがリアルな人生を感じさせた。戯曲が原作ではあるものの、映画的な魅力にもあふれた作品だ。

◆「夏の砂の上」
(2025年 日本)(上映時間1時間41分)
監督・脚本:玉田真也
出演:オダギリジョー、髙石あかり、松たか子、森山直太朗、高橋文哉、篠原ゆき子、満島ひかり、斉藤陽一郎、浅井浩介、花瀬琴音、光石研
*TOHOシネマズ日比谷ほかにて公開中
ホームぺージ https://natsunosunanoue-movie.asmik-ace.co.jp/
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