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孤高の意味を取り違えていた件

時々サカナクションの山口一郎さんの配信切り抜きを見る。ご本人がうつ病や難聴などを克服しつつミュージシャンとして活動している苦労人であり、彼の配信での言葉に勇気づけられたりしている。

その彼の配信のなかで孤高であれという言葉があった。

 

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こういう動画にいちいち影響されやすい私は、この動画を見て、素晴らしいなあ、私も孤独を超えて孤高を目指すぞ!とか安直に考えていたわけだが、これが間違いだった。

 

動画に影響された私は授業が始まるまでの一ヶ月を有意義に過ごすぞ!と意気込み、外に出ることもなく家でフランス語勉強したり絵を描いたりしていたのだが、結果として帯状疱疹にかかってしまったのである。まだ私はフランスの国民健康保険に入れておらず、何の病気かも最初はわからなかったのでかなり恐怖を感じた。日本にいる妻や家族に相談しながら何とか病院を受診し、抗ウイルス薬を服用したので、今は快方に向かっているが、マジでキツかったし、フランスで全部自分で何とかしよう、一人でやろうとすると普通に死ぬ事が分かった。

 

 

そこでようやく気づいたのが私は孤高であることの意味を表面的に捉えていてその本当の意味をわかってなかったということである。ようは孤独と孤高を一緒くたに考えてしまっていたのである。孤高でいるというのは孤独でいることではない。人間は社会的な動物であり一人で生きることはできない。ましてや海外で暮らすとなれば、周りに助けてもらいながらでないと生きていけない。その代わりに時には周りの人を助けながら同じような境遇の人と連帯して生きていく必要がある。何よりも、孤独でいることは思ったよりもストレスが溜まる。帯状疱疹にかかったのも無意識のストレスが溜まっていた結果だと思う(あと食事バランスと不摂生)。孤高=孤独に耐えると思っていた私は自分から誰かと関わるのを避けていた。孤独であることは自分から能動的に動く必要がないので楽だったからのもある。ただ単に孤独になるのは簡単である。結果、病気になったわけだが。

 

では、孤高であるという事の真の意味は何か?といえば、人との繋がりを断つのではなく、人と積極的に交流しながらも確固たる自分を持ち続けることなのだと思った。

 

私が好きな岡本太郎の「自分の中に毒を持て」という本の中で、孤高であるなら、尚の事人に優しくなれという事を言っている箇所がある。自分を貫くから周りは関係ないではなく、自分を貫く分、周りに対してより気を遣って接しろということだったと思う。

 

孤高である人は他人に優しくできるんだろうと思う。なぜなら自分の考えが他人と違っても、もしそれが自分一人だけが持っている考えであったとしても、それを他人に押し付けたり、他人から認められようとしないからである。自分の人生に責任を持ち、他の人の助けを受けながらも、自分で自分の道を作っていける人間が孤高な人間なんだろう。

 




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