最近思うのだが、何か大きな進捗を得られるときって大抵「こんなすごいことをやってやろう!」というモチベーションで始めるよりも、「暇だからやろ」的な感じで素朴な思いから、テキトーに始めたときが多い。
基本的に自分はクソくだらないことをやっていて、世の中の人は私が何をしているかなんかどーでもいいし、自分のやっていることなんて社会にとってクソの役にも立たないということを念頭に置いておいたほうが、心軽やかにスッと行動できるのは私だけだろうか。多分本質的に意味がないからこそ何やってもいいなと思えるからかもしれない。


何かすごいことをやろうとか、ここまでにこれをやらなきゃならない!と過度に意識し始めると一気にやる気が減退するのが私である。それよりもマジでどーでもいい、けどスマホを見て、私の感情を刺激してPV稼ごうとするクソ共の罠にハマるよりはマシだからやるくらいのスタンスでいたほうがモチベーションが持続しやすい。
大体最初は素朴な考えから何かを作り始めるが、途中で邪念が沸いてきて、これはこれに役に立つとか、こういう方向で考えたら就活に使えるとか、こんなもん作って意味あるのか?とか考え出すと最初の純粋な思いが消え失せ、打算だけになってしまい手が止まってしまうのである。そうなりそうなときは一度立ち止まって、「基本的に誰も私がやることを気にしてないし、別にこんなモノ、人様のなんの役にも立たないけど、勝手に自己満足でなんか面白えからやってる」くらいに思い直すと心が軽くなり作業を続けられる。俺がやってることなんて本質的にはしょうもないと考えると何故かまたやる気が出てくるので不思議である(けどまた時間が経つとなんだか高尚なことをやっている気分になってきてモチベーションが下がるのでつくづく愚かである)。
基本的に自分はとても怠け者であるにもかかわらず、変に完璧主義なのがよくない気がしている。だから何を作ろうが何をしようが、どーでもいいし意味がないと考えることでこの完璧主義を手放す。あと自分は頑張っているという自意識も邪魔である。別に頑張ってない。暇だからテキトーに過ごしているだけであるし、他人から褒められたものでもない。呪術廻戦で宿儺が言ってた俺は俺の身の丈で生きているだけだという考え方が近いかもしれない。

基本的に人間の人生に意味も価値もなく、だからこそ何やってもいいんだという開き直りのもとに人生を謳歌していきたいところである。