試乗インプレッション

ボルボ「クラシック・ガレージ」の「1800ES」(1973年式)に乗った

当時のゴージャスな雰囲気を味わえる立派な“実用車”

 2年前の東京オートサロンで、ボルボ・カー・ジャパンの木村隆之社長はボルボ車を愛してくれるオーナーのためにレストア事業を展開すると宣言した。

 あれから2年が経過してボルボのクラシックカー事業は着々と進み、その一部を試乗会という形でわれわれに体験するチャンスを与えてくれた。数台試乗する機会が与えられたが、取材時間も考えて1台をチョイスした。われわれが選んだのはボルボの中でもレアな存在で、日本に20台だけが輸入されたシューティングブレーク「1800ES」である。

 1800ESのベースとなった「P1800」自体は、以前に木村社長がお持ちの車両を乗ることができたので、その経験も踏まえてESに乗れるのは嬉しい。

 ボルボのクラシックカーを扱うのはボルボ・カー東京 東名横浜支店に設定された「KLASSISK GARAGE(クラシック・ガレージ)」で、マネージャーの阿部さんはボルボの生き字引でもある。「740」&「760」は言うに及ばず、「アマゾン」や「PV544」にいたるまで豊富な知識をお持ちだ。

 旧車で心配なパーツの供給もしっかりしており、主要なパーツは本国にオーダーしてから2週間ほどで手に入るとされ、頼もしい。ボルボのオーナーに対するケアがいかに整っているかが分かるだろう。従って大抵の修理は各ディーラーでできるが、やはり知識の豊富なKLASSISK GARAGEの存在は大きい。

筆者とリアビューが印象的なボルボ「1800ES」

 さて、今回試乗する1800ESの前に、そのルーツであるP1800に話を遡ろう。P1800はイタリアのカロッツェリア フルアでデザインされ、初代モデルは1960年にデビューして世界中の注目を集めた。この当時のエンジンは1.8リッターの直列4気筒であったためにP1800の名称がつけられたようだ。

 ベースはセダンのアマゾンでホイールベースは2450mm。全長4380mm、全幅1690mmできっちり5ナンバーサイズに収まる。これに対して全高はわずかに1290mmで、いかにスタイリッシュなクーペか分かるだろう。

 サスペンション構造はフロントは当時の定番であるダブルウィッシュボーン、リアはトレーリングアーム+パナールロッドの固定軸だ。

ボディサイズは4380×1690×1290mm(全長×全幅×全高)、ホイールベースは2450mm。車両重量は1180kg
内側に向かってゆるやかにアーチを描くフロントグリルの縦桟は、「90」シリーズ以降の最新モデルにデザインモチーフとして継承されている
ボルボ車のアイデンティティである「アイアンマーク」は、このモデルではバッヂとして装着されている
ドア後方に向けてキックアップするウエストラインが与えられている

 車両の生産は英国のジェンセンで行なわれていたが、スウェーデンの本社と品質上の行き違いがあり、1963年にスウェーデン本社に生産移管された。このスウェーデン製の生産になってから1800の後ろにSWEDENのSが付いて「1800S」となった。この後、エンジンも2.0リッターに排気量アップされているが名称は2000ではなく1800のまま変わらない。

 その後、1970年にキャブレターからボッシュ製のD-ジェトロニックのフューエルインジェクションに変更されてから「1800E」と呼ばれるようになり、出力は初期の100PSから130PSにパワーアップされた。

 この華麗なクーペは1972年にモデルチェンジされ、シューティングブレークに生まれ変わった。ルーフの後端を伸ばして2ドア+ガラスハッチバックとし、フロントシートの後ろに小さなシートが設置されている。日本では法律の関係で、助手席後方のシートのみ大人が乗れるシートとして認められた3人乗りとなる。その後方のフラットなラゲッジルームにはかさばる荷物も積めるようになっている。これが今回話を進めるESの登場である。

 余談だが、このラゲッジルームに薔薇の花束を敷き詰めて奥さまにプレゼントしたというなんとも粋な前オーナーのエピソードも、このガラスハッチならインスピレーションが沸く。

リアバンパーのクロームメッキも、約半世紀の歴史を持つ車両とは思えないコンディション。ガラスハッチに「Automatic」のステッカーが誇らしげに貼られている
リアコンビネーションランプと1800ESの車名バッヂなど
給油口はフューエルリッドが内側のキャップを兼ねる構造で、現代の欧州車でも採用されているキャップレススタイルとなっている
ガラスハッチのガスダンパーもしっかり機能を果たしている。広い開口部も魅力的だ
奥行きのあるラゲッジルーム。フロアボードの下がサブトランクになっている

ハンドルは極めつきで重い

 試乗した1800ESは、1973年に登録された1800シリーズの最後のモデルになる。トランスミッションはジャガーにも搭載された3速のトルコンATという珍しい組み合わせだ。

 見事にレストアされたESは、ほとんどオリジナルパーツで構成されており、クローム部分も分厚いメッキのおかげで修復は容易だったという。販売当時の「サンシャインイエロー」に再塗装されたボディは、板金精度や細部の造詣上の工夫などが見事で、当時のクオリティを物語っている。見れば見るほどほれぼれとする仕上がりだ。

 ボルボのデザインアイコンとしての1800の意義は大きく、例えばフロントグリルに使われているくぼんだ縦バーは現在の「V90」などに蘇り、ドアサイドに入ったウエストラインのキックアップは「V40」に継承されている。

1800ESのインパネ

 キーを渡されて乗り込むが、さすがに46年を経過したドアやイグニッションなどは少し渋くなっている。それでも愛情(?)とコツをもって回すと、心を開いてくれ、ドアやハッチゲートの開閉もスムーズに行なえた。分厚いドアは当時からボルボの根幹にある安全に対する姿勢だ。3点式シートベルトはボルボが最初に採用して、パッシブセーフティの基幹と言ってもいいものだが、ESではすでにプリテンショナーがついており、さらにアンカーの形状が今のようにシンプルなものではなく、当時の航空機の流れを汲んだもので特別感がある。

 そしてバケットシートは柔らかく、心地よく体を包んでくれる。現在のボルボ車のシートは硬めだが、それとは正反対のフワリとした座り心地だ。

リアシートは背もたれが一体で前方に倒れ、荷室容量の拡大が可能
座面の長い助手席後方側(写真右側)が乗員スペース。運転席の後ろは荷物置き場として利用されていたとのこと
フロントシートはヘッドレスト一体型のバケットシート
フロントシート間に設置されたシートベルトバックル。赤いレバーを引き上げてリリースする仕組み
パーキングブレーキは運転席とドアの間にレイアウトされている

 イグニッションキーを回すとD-ジェトロのエンジンは一発でかかった。キャブ車のような儀式が必要ないので気楽である。しばらく暖気運転をしていると油温計の針も動き出す。3速のちょっと曖昧なゲート付きシフトレバーをDに入れ、恐る恐る走り出すが、エンジンは快調でそれほどばらつきもなく回る。

 その代わり、ハンドルは極めつきで重い。腕力には多少の自信はあるが、久々に手ごわい相手に遭遇した。涼しい顔で運転していたが、実はハンドルの応答遅れがないように気を遣っていたのである。しかもハンドルの3本のスポークは等分にホイールに伸びているので、水平がどこにあるのか分からない。昔のクルマはハンドルがかように重かったので、ハンドルを上から回せるようにスポークが水平ではなかったことを思い出した。

3速ATのシフトセレクターはゲート式
細身の3本スポークステアリングを採用
インパネ中央の3連メーター。左からアナログ時計、油圧計、燃料計
メーターパネルは4連式。スピードメーターは200km/hスケールとなっている
ステアリング左奥にワイパーなどのスイッチ類を配置
ハザードスイッチは押すと赤く点灯する
アナログ表示のラジオが助手席前方に置かれている

当時のゴージャスな雰囲気を味わえる

 タイヤは最近になってミシュランがクラシックモデル用に再生産した「XWX」で、サイズは185/70 VR15という当時としては大きなもの。グリップは現代流に高いので、ハンドルも想定以上に重くなっているはずだ。ESではすでに4輪ディスクブレーキを採用しており、制動安定性も当時のトップレベルだったに違いない。

 今ではエンジン出力も130PSは出ていないと思うが、トルクの唐突な山もないので、エンジンは粘り強く使いやすい。1180kgの重量でも想像以上によく走る。

 水温計の針はそれほど変わらないが、油温計が上がり気味だ。渋滞気味の東名高速道路を流しているのに変だなと思っていると、どうもギヤが2速に入っていたようだ。スミスのタコメーターは止まったままだったが、エンジン回転音が高かったので気になっていた。車速も低かったのでこんなものかなと思っていたのが失敗だった。すぐにシフトゲートを確認して入れ直したら、エンジン音も静かになり、油温もすぐに下がり始めた。エンジンはあいかわらず快調だ。

前ヒンジのボンネット下に直列4気筒 2.0リッターエンジンを搭載

 ボール&ナットのステアリングはこの時代のクルマの常で、経年変化で遊びが大きくなっており、高速のクルージングでは時折進行方向を修正してやる必要がある。また、コーナリングに際しては遊びを見越して早めに操舵してやらなければならないが、ロールも少なくスーと旋回していき気持ちがよい。

 乗り心地は今でも通用する快適さで、当時のゴージャスなシューティングブレークの雰囲気を味わえる。インパネも新品同然で、ヒビなどはどこにも入っていない。到底半世紀も前のクルマとは思えない。

ミシュランがクラシックモデル用に再生産した「XWX」を装着。タイヤサイズは185/70 VR15

実用車として使うのがボルボの旧車に対する考え方

 取材をしていると持ち時間は瞬く間に過ぎ、早々に1800ESとの別れの時間がやってきた。明るいキャビンを眺めていると、以前にお借りした木村社長のP1800が懐かしく思い出された。その車両は4速MTだったが、オーバードライブボタンが付いており、高速クルージングではコクンとギヤが入り妙に人間臭かった。そのP1800もハンドルの遊びが大きかったが、今はステアリング系を交換して、着々とオリジナルに近づいているという。

 古いクルマとの対話は人間臭くて面白い。その古いクルマを、コレクションというよりも実用車として使うのがボルボの旧車に対する考え方で、旧車のパーツが容易に手に入るよう準備されているのもそのためだ。

 古いクルマほど税金が高くなる極東の国ではなかなか難しいが、未来を投影する過去を振り返るのも大切だ。懐かしさと共にさまざまな対話ができたボルボ 1800ESとのショートトリップだった。

日下部保雄

1949年12月28日生 東京都出身
■モータージャーナリスト/AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員/16~17年日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員
 大学時代からモータースポーツの魅力にとりつかれ、参戦。その経験を活かし、大学卒業後、モータージャーナリズムの世界に入り、専門誌をはじめ雑誌等に新型車の試乗レポートやコラムを寄稿。自動車ジャーナリストとして30年以上のキャリアを積む。モータースポーツ歴は全日本ラリー選手権を中心に活動、1979年・マレーシアで日本人として初の海外ラリー優勝を飾るなど輝かしい成績を誇る。ジャーナリストとしては、新型車や自動車部品の評価、時事問題の提起など、活動は多義にわたり、TVのモーターランド2、自動車専門誌、一般紙、Webなどで活動。

Photo:安田 剛