◎9月11日と言えば2001年の「9・11」アメリカ同時多発テロ発生の日。テレビで見た高層ビルに突っ込むハイジャックされた旅客機の映像が思い浮かびます。24年後の今、ガザやウクライナのことを思うと世界は進んでいるのか後退しているのか・・・
◎写真の取り込みが出来ないので、お借りした写真で。玄関の下駄箱の上の花瓶に今はこの爽やかな水色のルリマツリとエンジ色の可愛いワレモコウの花を挿しています。色合いも形状もピッタリだなと思って、出入りの度に愛でています。
玄関先の大きなポットに植え込んでいるルリマツリですが、今年は次から次へと蕾に花を咲かせてくれますので、初めて、枝を切って花瓶に挿しました。花持ちもいいし、色が爽やかで涼しげ。残暑厳しいこの頃ですが、助かっています。

ワレモコウは高さも広がりも動きもあって、とても面白い組み合わせになっています。

◎手元に日本原水爆被害者団体協議会が発行している機関紙「被団協No.560」があります。朝日新聞なら「天声人語」に当たる欄に「閃光」というコラムがあります。これと、「被曝80年声明」を書き移してみます。
閃光
8月15日の全国戦没者追悼式の式辞で石破首相が「反省」の言葉を使い、殊勝の式辞として13年ぶりと話題になりました
▼石破首相は1月8日にノーベル平和賞受賞への祝意を伝えるとした日本被団協との面会で「あの戦争への反省と検証が大事」と言い、「なぜ負けたのか、なぜ多くの国民が犠牲になったのか」と続けました。そして「核兵器が発射されたとき撃ち落とせる力を持てばよい」「国民を核攻撃から守るためにシェルターの整備が必要」と
▼反省すべきは、なぜ戦争を始めたのか、負けると分った時点でなぜ終わらせなかったのか、でしょう▼沖縄と満州が「捨て石」にされ、都市への空襲、広島・長崎への原爆投下で多くの市民が殺された、この責任をとらない「反省」はありえません。
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被曝80年声明
広島・長崎に原爆が投下され、人類が書く時代に入って80年、暑い夏が老いた身に格別にこたえます。廃墟の中から立ち上がって先人たちが初めて表舞台に出た第1回原水爆禁止世界大会から70年の節目でもあります。日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)結成の出発点になった画期的な年でした。
今や、被爆者健康手帳所持者は10万人を割り、平均年齢は86歳を超え、残された時間は少なくなりました。一方で、核リスクは極限に達し、科学者が警告する「世界週末時計」が週末まで89秒とこれまでで最短時間を示すなど、かつてない危機に直面しています。
ウクライナやパレスチナ・ガザの惨状、イスラエル対イランや印パの報復の連鎖…戦争は収まらず、いずれも核保有国が関わって、第三次世界大戦、核使用の危機が増しています。国際法も無視した核軍拡競争に、核拡散に歯止めがかかりません。
日本被団協は昨年、ノーベル平和賞を受賞しました。私たちが一貫して訴えてきた「核兵器をなくせ」「戦争をなくせ」「ふたたび被爆者をつくるな」に今こそ耳を傾けようと、ノルウェー・ノーベル委員会が世界に呼びかけたのです。裏返せば、国際社会が被爆者の声にすがらなければならないほど、危機打開の手立てに窮した表れとも言えましょう。
今、最優先の課題は、私たちにそっぽを向いている核保有国を、そのリーダーたちを1ミリでも動かすことです。「核軍縮から廃絶」と「核被害者援助」を進める唯一の実効力ある核兵器禁止条約に早く近づけることです。それには、「唯一の戦争被爆国」を自称する日本政府の役割が不可欠ですが、同条約の締約国会議へのオブザーバー参加さえも拒否。防衛費を増大し、有事を想定した日米演習に核使用を求めるに至っては、「各共有」へ進む危うさがぬぐえません。国是の非核3原則の破壊、「核なき世界」への逆行を到底、許すことは出来ません。
「国家補償」を軍人・軍属には適用し、受忍論を盾に一般戦災者を置き去りにしてきた日本政府。この憲法違反の不条理・不公正を是正せずして戦後は終わりません。また米国は、明白な国際法違反である核使用(原爆投下)の責任を逃れることは出来ません。核時代を深化させた科学者の責任の重大さを問い、平和研究を強化する要請も急がなくてはなりません。
私たちの運動は国内外の多くの支援のおかげで持続してきました。この運動を次の世代のみなさんがさらに工夫して築いていかれることを期待します。
私たちは、核兵器が人間とは共存できないことを、命ある限り訴えてまいります。
国民と世界の皆さん、平和国家の道を確かにして人類の危機を救うため、共に核兵器も戦争もない人間社会を求めてまいりましょう。
2025年8月5日
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🔲阪神が早々と優勝を決めてしまいました。中学校1,2年はソフトボールクラブで府下8強の試合で日生球場に出かけました。野球のマウンドが本当に小山みたいに高いのを見て、あんな高い所から(ソフトボールのボールより)小さいボールで速球を投げられたら打てないな~と思ったことがありました。その頃、プロ野球の阪神でショートを守っていた牛若丸と言われた吉田義男選手がお手本でした。確かに、その頃でも、なんで、自分も含めてみんな阪神びいきの阪神ファンだったのか?と思ったこともありました。その阪神の優勝パレードを大阪府が主催してというのは、やはり、ちょっと無理かな・・・