◎先日、NHKスペシャルで再放送の番組「ヒロシマ 世界を動かした2人の少女」を見ました。保存していると思っていたのですがチェックすると残っていません。そこでネットで探してみました。6月2日になっていますので、私が見たのは7月の再放送だったのでしょう。
シリーズ 核の80年(2)ヒロシマ 世界を動かした2人の少女
初回放送日:2025年6月2日
今年、アメリカの科学雑誌が発表した「終末時計」は、過去最短の残り89秒を示した。時計の針を押し止めようとする力となった2人の少女がいた。広島で被爆した佐々木禎子と中村節子。禎子は白血病を患い折り鶴に希望を託しながら12歳でこの世を去る。節子は生き埋めから奇跡的に生還、戦後カナダに移住し、英語で原爆被害を生々しく伝え続けた。2人の願いは大きなうねりを起こし、21世紀、核兵器禁止条約成立へとつながる。

◎最初の一人は『原爆の子の像』となった佐々木禎子さん。折り鶴を掲げる像で知られていますが、白血病で小学6年生で亡くなります。死の床で折り続けた千羽鶴のお話が伝えられています。Wikipedia:
原爆の子の像(げんばくのこのぞう)は、広島県広島市の広島平和記念公園内にある、佐々木禎子(像のモデル、原爆による白血病で死去)の幟町中学校の同級生らによる募金運動により作られた像。制作者は菊池一雄。1958年5月5日完成。
禎子の死から像の設立まで
1955年11月8日に、新聞で禎子の死を知った男の子から「禎子さんを始め、原爆で死んだ子の霊を慰める石碑を創ろう」と、禎子の同級生に提案があり、その設置に関する活動が始まった。
11月12日に全日本中学校長会場で、『禎子の同級生8人によるビラ配り』が行われ、全国の中学校からも寄付金が寄せられた。12月に入ると広島市内の小・中・高校へも活動の参加を呼びかけ、『広島平和をきづく児童・生徒の会』が組織された。翌年(1956年)には、街中での募金活動が繰り返し行われ、年末までになんと540万円もの寄付金を集めた。
後に募金活動の波紋が広がり、全国から3000校以上の学校が参加をするに至り、海外からも寄せられた。そうした事実に基づく映画作品である『千羽鶴』(木村荘十二監督)も公開され、図書館(Video、DVD)などで鑑賞が行える。

◎二人目の節子さんは、あのカナダ在住のサーロ・節子さんです。13歳で被曝ということですので、今年93歳。岸田元首相とは親戚関係にあるそうです。
13歳で被爆、目に焼きつく4歳の甥の姿「小さな体は溶けて黒い肉の塊に」 サーロー節子さん「なぜ核廃絶ができないのか」世界中で伝え続ける原爆の記憶 #戦争の記憶
https://news.yahoo.co.jp/articles/8d54f393fb6bc612950528b58a1446a8f6a8c164?page=1
◎サーロ・節子さんの被爆体験のお話の中で、建物の下敷きになっている時に、兵隊さんが「明るい方へ、明るい方へ」と声をかけ続けてくれたというお話がありました。

(ネットで見つけた写真です)
私はこの「明るい方へ」という言葉で、金子みすゞの詩を思い出しました。植物が太陽の光を求めるように、人も明るい方を求めることで生き延びられるということでしょうか。金子みすゞさんの詩を引用です:
明るいほうへ
明るい方へ
明るい方へ。
一つの葉でも
陽の洩るとこへ。
やぶかげの草は。
明るい方へ
明るい方へ。
はねはこげよと
灯のあるとこへ。
夜とぶ虫は。
明るい方へ
明るい方へ。
一分もひろく
日のさすとこへ。
都会(まち)に住む子らは。
(引用元「金子みすゞ童謡集 明るいほうへ」)
◎改めてWikipediaで、サーロ・節子さんの箇所を読み返してみると、著作のところに「光に向かって這っていけ」という文言がありビックリしました。被曝の時のお話はその後の生き方の核となっているのですね:
- サーロー節子・金崎由美『光に向かって這っていけ 核なき世界を追い求めて』(2019年7月23日 / 岩波書店 / ISBN 9784000245371)