今朝のオオデマリの花

黄色い藤の花のようなキングサリの花

◎今日4月29日は私たち世代(戦争中あるいは戦後生まれ)には「天皇誕生日」として学校がお休みの日で馴染んでいましたが、2025年の今は『昭和の日』だそうです。調べてみると、平成19年からで、その前、平成元年から19年までは「みどりの日」でした。
では、29日の1日前、4月28日は何の日だったかといえば、サンフランシスコ講和条約が発効して日本が独立を回復した日。でも、これによって本土と切り離された沖縄にとっては沖縄返還の1972年まで続く米軍統治下・・・そして、それ以後の・・・
沖縄を見れば、沖縄を知れば、日本とアメリカの本当の関係が解ると思ってきました。アメリカが世界の大国であることを自ら止め始めている今、日本にとっては対等の関係を築く政治的なチャンスではないかと思います。
昨日の朝日の「素粒子」コラムです:

◎4・28「屈辱の日」を迎える沖縄の琉球新報社の、前日27日の社説をコピーで:
<社説>あす4・28「屈辱の日」 歴史繰り返さない決意を

沖縄はあす「屈辱の日」を迎える。1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約の発効によって、日本の独立と引き換えに沖縄や奄美群島、小笠原諸島は日本から切り離された。沖縄で27年間にわたる米統治が始まった日である。
80年前の沖縄戦では、日本本土防衛の「捨て石」とされ、敗戦後は米国に差し出された。米軍は軍事基地を自由に使用し、「銃剣とブルドーザー」で農地を奪い軍事基地を建設した。講和条約と同時に日米安全保障条約、日米地位協定の前身である日米行政協定も発効し、県民の基本的人権はないがしろにされ、「軍事植民地化」とも言える状況に置かれたのだ。
県民は圧政からの脱却と「基地のない平和の島」を求め、沖縄は72年5月15日に日本復帰を果たした。しかし、復帰後も広大な米軍基地は残り、安保条約や地位協定によって米軍基地の自由使用を続けている。
「世界一危険」と言われる米軍普天間飛行場の返還合意から29年が経過したが、県民の多くが反対の意思を示しているにもかかわらず、日本政府は辺野古移設に固執し、早期の危険性除去は放置されたままだ。県民の安全よりも米軍の意向が優先され、それに日本政府が追従する構図は、今も変わっていない。
米兵による事件・事故も依然、後を絶たない。2024年6月には米兵による少女誘拐暴行事件が明らかになり、同年12月には沖縄市で県民大会が開かれ参加した2500人(主催者発表)が怒りの声を上げた。今年に入っても、1月と3月に米兵による不同意性交事件が発生した。県民の人権もまた蹂躙(じゅうりん)され続けているのだ。
「台湾有事」を名目にした自衛隊の南西シフトも急速に進む。与那国など離島地域に陸上自衛隊の駐屯地を開設、那覇に拠点を置く陸自第15旅団は、26年にも「師団」へ格上げされる。有事の際の自衛隊などによる利用に備えて整備する「特定利用空港・港湾」の指定対象は、道路にまで及びはじめた。米軍だけでなく日米が一体となり、沖縄の「要塞(ようさい)化」をもくろんでいると断じざるを得ない。
「屈辱の日」は日本が主権を回復した日であるが、米国への追従が始まった日でもある。安全保障を米国に委ね、在日米軍基地を維持するために巨額の「思いやり予算」を負担してきた。在日米軍に法的特権を認めた地位協定についても、改定には及び腰だ。果たして米国と「対等な関係」と言えるのだろうか。
戦後80年を迎えた今、「軍隊は住民を守らない」という沖縄戦の教訓とともに「屈辱の日」の歴史的経緯を再確認したい。米国とそれに追従する日本政府の都合で沖縄の運命が決まることは、二度とあってはならない。沖縄のことは沖縄自身が決める、そのことを改めて誓う日としたい。