昨日の唐池公園

◎朝日新聞4月22日の「オピニオン」頁「耕論」のタイトルが「『戦後』は終わったのか」でした。

いまは「新しい戦前」だ―――ウクライナで戦争が始まってから、こんな言い方が広まりました。日本の「戦後」は終わったのでしょうか。終戦から80年の節目に改めて考えます。
◎今年は戦争が終わって80年。昭和19(1944)年4月生まれの私は81歳になりました。私のこれまでの人生が即戦後そのものとも言えます。私の記憶の最も早いものでは4歳くらいからですので、昭和23(1947)年ぐらいからです。
母親たちが敵国だったアメリカの古着(中古品)をバザー(?)で買って来て、純毛の毛糸をほどいてこどものセーターを編んだり、ドレスを解体してスカートを作ったりしていたこと。ある日、母が出かけて私が家の前の路地でスケートに乗ってその辺りの子どもたちと遊んでいたら、我が家に泥棒が入って、父の背広をリュックサックにいれて、帰ってきた母と鉢合わせになり、母が「ドロボー」と言って追いかけたこと。私は自分の所為だと思って、ちょっと気まずい思いで見ていたことが・・・これらが、一番古い私の記憶です。
それ以外は、お寺の幼稚園での『因幡の白うさぎ』のお芝居(学芸会?)や、幼稚園から遠足で枚方(ひらかた / 岡田准一の出身地)の菊人形を見に行った時、母が妹を背負って付き添いで来ていたことなどです。戦争について知ったのは、小学校に入って1年生の2学期から、すなわち、箕面に引っ越してからでした。
箕面の山に遊びに行くと防空壕として堀ったという大きな洞穴がドライブウエー沿いに幾つかありました。そして、斜面の畑には大きな穴が開いていて、米軍が落とした爆弾の跡だと聞きました。当時でも伊丹空港のあたりの空に、暗くなるとサーチライトがゆっくり東西に弧を描いていたこと。それを見て、母がB29の話をしてくれました。母が田舎で戦争中、代用教員をしていた頃、音楽の授業で「B29の音はピアノのこの音だから、この音が聞こえたら防空壕に逃げるように」と子どもたちに教えていたそうです。
そして、何よりも戦争を生々しく感じたのは、滝道の入り口に箱を持って立つ白衣の傷痍軍人さんの姿と、梅田の地下街の壁際に寝転ぶ真っ黒になった『浮浪児』たちの姿でした。 ”衣服も顔も黒い浮浪児”ほど、子ども心に、戦争は怖い、戦争は嫌だ、と思わせるものはなかったと思います。あとは、阪急電車の伊丹空港駅の蛍池には、米軍の関係者の住む家が山の方に点在して見えたのと、蛍池から時に乗降車する落下傘スカートでパーマをかけ濃いお化粧をしたパンパンと呼ばれた女性たちでした。
小学校の低学年の時だったと思いますが、伊丹空港に天皇陛下が来られるというのでクラス全員(学年単位だったのか学校全員だったのか?)で日の丸の小旗を持って道路に並びました。天皇陛下が通られるので、顔を上げたらいけないと言われましたが、私は、見たくて、下げたふりしてチラ見をしていたような気がしますが、実際はどうだったのかは定かではありません。風俗的な戦後が80年後の今、消えてしまっているのは当然として、問題は意識ですね。
朝日のこの紙面については、ブログ仲間の「AO153’s diary」さんが4月23日に「戦後は終わったのか」と題して取り上げておられますので、こちらで:https://a0153.hatenablog.com/entry/2025/04/23/094616?_gl=1*e113ye*_gcl_au*NDk0ODYxODMuMTc0NDc2MTk2Mg..
◎母との思い出で、付け加えなければいけないのが、母が持っていた古い世界地図帳でした。母が東南アジアの地図を見せて、戦争が終わるまでは日本はこんなだったのと見せてくれたのが、真っ赤に染まった地図でした。今から思うとその赤は毒々しいまでの赤色で、母が、ひどい話よね、中国大陸のこの赤い所にも、もともと人が住んでいたのに押しかけて分捕ったんだからというようなことを、私に言い聞かせるというよりは独り言のように言っていました。
「もう謝罪は不要 新秩序を」
「戦後80年に意味があるとすれば、歴史を正しく知り、今後の日本がなすべきことを考える機会にすべき」。
(「もう謝罪は不要」という点で、ダメ。酷いことをしたと思えば謝るのは自然。その自然な人間感情を何らかの意図で押さえているわけですから、こういう意見は信用できないと思います。)
「『平和と繁栄』 転換のとき」

私は「新しい戦前」が来るとは思っていません。しかし、国境と関係なく、私達人類は今、めったに起こらない大きな歴史的転換に立ち会っています。(写真につづく)
(「そんな地球で日本人は『戦後末』と呼ぶべき時代を経験していると思います。」)

3)山本昭宏さん 歴史社会学者
「民主主義映すジブリ 響く」

つづき
けれども、米同時多発テロ後の「ハウルの動く城」(2004年)の主人公は、戦争には行きたくないけど大切な人たちを守るために行かざるを得ない。「みなさん、戦わなくてはいけなくなった時どうしますか」と問うている。数行略
戦後民主主義は過去の遺物のように言われて久しいです。経済大国化に伴いナショナリズムへの抵抗感が薄れ、「国際貢献できる国に」のかけ声のもと、憲法9条は理想主義的で地に足が着いていないとみられるようになりました。この世界は戦う場所なのだ、と新自由主義的な競争原理も強調されています。

◎「戦後」とは、戦後民主主義のことであり、対米従属と憲法9条の平和主義に基づく戦後という意味だったのだと思います。少なくとも私(私たち世代と言ってもいいかも)にはそうでした。それが、今後どうなるのか、新しい戦前になるのか、アメリカとの関係をどうするのかは、今のところ、人口比では65歳以上の高齢者人口が全体の2割以上を占め、80歳以上は700万人を突破している私たち世代も、未だ、大いに関係のある問題ではあります。
