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4月のお茶のお稽古と万博

◎金曜日は午後からお茶のお稽古でした。2月は風邪で休んで、3月は池田のお寿司屋さんで食事をして、Bさんの運転する車で先生のお宅まで戻ってからのお稽古でした。

4月の昨日は久しぶりに3人揃ってお部屋で。米寿を過ぎておられる先生は、9日に京都の二条城で大茶会?があって、丁度、枝垂れや染井吉野や八重の桜も咲いていて素晴らしかったそうですが、たくさん歩かれたためか長く座っておられたせいか、足を痛めたと顔をしかめておられました。それもあってか、30分以上雑談、と言っても今回はお一人が息子さんとご夫婦三人で万博へ行ってきたということで、万博のお話をタップリ聞きました。

大屋根リングは見ごたえがあるし、リングの外の日本館も、リングの中の海外の国のパビリオンもよかったとのこと。早い時期の今行くとチケットも安く行けるそうです。夜は夜でライトアップがきれいで花火?やドローンも飛んでよかったとか。

但し、どこに入るにも、息子さんがスマホで3人分の予約を取ってくれたので入れたとのこと。<スマホで予約>、これが、ややこしくて高齢者には一寸厄介な関門です。どの建物やパビリオンに入るにも、スマホを叩いて、3人分の予約を取ってからでないと入れないとか。トイレはどこもきれいだったけど、子供用トイレの丸見えはよくないとのことでした。

↑ 門扉に近いところに咲いていた白花のヤマブキの花。手前の黒いのがタネ。

黄色のヤマブキには実がならないので、太田道灌の故事で有名な歌が残っています。

『七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき」

「あいにく雨を凌ぐの一つも無いのが悲しい」と農家の娘が、黄色の山吹の花を差し出して、かけ言葉で返したのですが、白花のヤマブキはこんなに黒々とした立派な実がなります。でも、よく見ると、花は一重で、『七重八重』とはなっていません。葉は同じような葉っぱですが。

↓ 真っ赤なボケの花と白い釣り鐘型の小花が密生している馬酔木(あせび)の花。

箕面の山にも自生しているシャガの花。今年初めての花でした。

さて、お部屋に入って、生けてあるお花は紅白の椿とナルコユリ。椿はツボミと言われていましたが、この日は23,4℃あったので開いたのかな? お軸は、先月と同じ、枝垂れ桜の花の掛け軸でした。

先生手作りのお菓子。生菓子は桜色の桜の形。干菓子は落雁の蝶と梅。

お茶碗、私は桜の花が散らしてあるぼってりした楽茶碗と右端の薄手の遠山というお茶碗を替え茶碗に選びました。

4月は暖かくなるので釜は天井から吊るす小ぶりの釜で、その分五徳もなく、白い灰が見えて、全体に暑苦しさがなく、軽やかな感じになります。

箱型の棚には旅ダンスと名前がついています。利休さんが太閤秀吉が外でもお茶をたてて飲めるように考えたものだそうです。

お点前の写真がピント外れですが、真ん中の棚板を外して斜めに敷きます。

これは野点では、土や草の上なので、棚板を敷いて、棗と茶筅を置きます。

お点前が終わって、水差しから柄杓で水を足すとき、いつもより釜の口が狭いので、灰の上にも少し水をこぼしてしまいました。注意不足でした。

片付ける時は、棚板を元に戻し、柄杓(ひしゃく)の合(ごう)を切り込みに引掛けて納め、蓋置で柄杓の柄を押し込むように置きます。棗(なつめ)を真ん中に置いて、旅ダンスの左横に立てかけた蓋を元に戻して、鉄製の閂(かんぬき)で閉めます。

最後に正座できないAさんの立礼式お点前。先生が炉の菊炭を片付けられて、扇形のテーブルの左端のくぼみにセットしてある電熱器のスイッチを入れて、炉の釜を移します。

ずんぐりむっくりながら艶々と光った水差しは、解けて流れたトロンとしたような釉薬の模様が面白い。 丹波焼だそうです。

足の悪いAさん用の小さくて低いテーブルとこれまた超低くて座面の小さな椅子が空いたので、この日は、私が座らせてもらました。

甘い落雁のお菓子を口にした後から、タップリのお抹茶をいただきます。

美味しかった。来月のお稽古日を決めて、お終い。

◎夕食時、この日は山行に出かけていた夫も万博の話を聞いてきて、行きたいというので、近いうちに出かけることになるかもしれません。テレビでは在阪民放も軒並み夕方にはその日の万博を取り上げていますし、70年万博(吹田市)もこんなだったのかな~と想像しました。当時静岡県沼津にいた私でしたが、それでも職場の同僚が行きたいというので母に頼んで実家に泊まってもらったことがありました。私はその年70年の10月初め生まれの長男がお腹にいたので人で混みあう万博には行かない方が良いと言われていました。実家は、加賀市からの大勢の親戚の人たちの宿になったと母も言ってましたので、大騒ぎだったのでした。

夢洲はゴミの島ですが、あの辺りはバブル時代に高層ビルを建てたり、イタリアのデザイナーによる特異なスタイルのごみ処理場が出来たりしていました。大阪府の職員だった先輩が学生時代のサークルの同窓会に使ってほしいということで出かけたことがありましたが、電車もビルも人気が無くてがらんとしていました。USJが出来る前でしたが、あれ以来なので、見て来ようかと思っています。




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