今日12日は、前日11日の「山の日」の振り替え休日で3連休の人も。我が家の息子は今日は、いつも通りの仕事日。新しい平坦な道を見つけたので、今朝は自転車で出かけました。昨日からやっと夕方には涼しさが戻って、終日エアコンつけっ放しの生活から抜け出せました。今日は9日の長崎の平和祈念式典を振り返ってみます。
◎原爆の犠牲者を悼む9日の平和祈念式典で、鈴木史郎長崎市長は被曝した詩人・福田須磨子(1922~74)の「原爆を作る人々に」と題する詩を読みました。鈴木市長自身、被曝2世でもあるそうです。
原爆を作る人々よ!
しばし手を休め 眼を閉じ給え
昭和二十年八月九日!
あなた方が作った 原爆で
幾万の尊い生命が奪われ
家、財産が一瞬にして無に帰し
平和な家庭が破壊しつくされたのだ
「原爆を作る人々に」届け 詩人・福田須磨子さん、没後50年で注目 [長崎県]:朝日新聞デジタル (asahi.com)
「母の誕生日祝ったことない」長崎市鈴木市長 両親の8月9日【被爆78年 NO MORE…#5】#戦争の記憶 | TBS NEWS DIG (1ページ)
10日(土)の朝日新聞が一面トップの大見出しで、被曝79年「核廃絶 長崎は誓う/ 米欧大使来ずとも」として記事を、そして2頁では「世界の分断 長崎で鮮明」としてイスラエル非招待で米欧六カ国が欠席したことを取り上げ、社会面では、長崎市長の「平和宣言」で取り上げた詩を書いた福田須磨子を紹介しています。
◎「追悼から発信へ 広げてきた思い」と題するコラムで私は初めて、広島と長崎の追悼式典の呼び方の違いに気づきました。記事から引用です:
広島は「平和記念式典」で、1947年「平和祭」がスタートで、52年に平和記念公園にある原爆死没者慰霊碑が除幕され、それ以降はこの前で式典が行われる今の形に。当初数千人規模だったのが、54年の第五福竜丸事件で2万人が参加、56年には「平和宣言」に「原水爆禁止」が盛り込まれた。
長崎の式典のスタートは1948年。「平和祈念式典」となったのはサンフランシスコ講和条約が発効した52年から。74年以降は「平和宣言文起草委員会」が宣言を検討する形になり、被爆者らも「平和宣言」づくりに参加。
首相の初参列は、広島が71年、長崎は76年。閣僚、衆参両院議長らの参列も定着するなど国家的な行事になっていく。
近年は国際発信色も強め、広島市は98年から核保有7か国の駐日大使の招待を始めた。当時市長だった平岡敬さん(96)は「特に核を持っている国には、ヒロシマのことを知ってもらわなければならないと思った」。
長崎市にも2011年から米政府関係者が出席し、22年の参列国は83カ国だった。
◎「被爆地と核なき世界への主なあゆみ」年表。


◎式典のような集まりは「来るを拒まず、去るを追わず」が一番良いとは思いますが、今回の日本を除くG7の国々のやり方は、アメリカ主導のイスラエル寄りで極めて政治的な判断であって、特にアメリカは原爆を落とした国の向き合い方ではなかったと思います。この頁の遠藤乾さんという東大教授のコラム、『米欧の歪な正義』という呼び方が当たっていると思いました。山崎雅弘氏もリポストで取り上げています。


🔲最後に内田氏のリポストから:
🔲エマニュエル大使のミドルネームが「イスラエル」とは!? なるほど、Wikipediaによると<イスラエルとの二重国籍を持った「シオニスト」で、自他共に認める「ユダヤ・ロビー」の1人であると反ユダヤ的イデオロギーの強い敵対勢力から中傷されることがある>そうで、今回の行動は『確信犯的』ということ:
🔲米大使、長崎の平和式典を欠席 イスラエル非招待理由に (msn.com)



