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プロフィール

カリフォルニアばあさん
カリフォルニア シリコンバレーに
1972年から住んでいます。
息子も娘も家を離れてン十年。
20年5カ月可愛がった犬もいなくなり
今はじいさんと二人きりになりました。
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コメント一覧 (42)
ただ単に能天気だからとは思えません。
でも素敵ですねぇ〜、こうして自分の若かったときの『リアルタイム』がお嬢さんにちゃんと継がれて行く‥‥。
子ども達って、親にも子ども時代があったのだとは露ほども想像してないような一面ってありますから、親にもちゃんと柔らかい心を持て余し、傷ついたり泣いたり悩んだりして来たからこその経験がある、って分かってもらえたら嬉しいですね。
実際の物がなくても、33歳のお嬢さんだったらとっくに想像力が働いてはいることでしょうが、我が家の16歳ではまだだいぶ先のことになりそうです‥‥。
とてもいいお話に、ホロリとしました。
絵を拝見してお嬢さんの才能の原点はここにあったと納得です‼
私も先日、書類の整理をしていたら、はがきや絵葉書をファイルした小さなアルバムが出て来たんですよ。すっかり忘れていたんですが、1995年末ごろに友達からもらったはがきや絵葉書が50枚くらい。そのころ私は、仕事でアメリカへの赴任が決まって、日本を出る準備を始め、みんなにもお知らせした時分だったんです。「アメリカでの新しいチャレンジ、がんばってください!」と書かれたものが沢山ありました。前の会社でお世話になった女性とか、仕事関係の人の年賀状、今でもおつきあいのある京都や大阪の友達、それから名前を見ても思い出せない人もありましたです!飛行機事故で亡くなった友人のものもあり、涙が流れました。
その中に、ある男性からのEメールのプリントがありました。その人の事を当時は少ししか知らなかったのですが、その後アメリカに来てその人と結婚することになろうとは・・・。今の主人です。この出会いも、いろんな方の激励を受けてここまできたということも、本当に神様に感謝しているところです。
ちょびこさんの子猫ちゃんたち、里親さんが見つかりそうで、よかったですね。うまくいきますように。
ところで、47年前にモンタナにホームステイとはすごい。その頃の私なんて「外国」のことを考えたことも、頭に浮かぶことすらありませんでした。
その頃から世界に目を向けていらっしゃったなんて感動的です。
今の時代でも一生を日本から出ることなく人生を終わる人もたくさんいるはずです。それがちっとも苦にならない人もいるし。
私は自分の娘たちに広い世界を見せてあげたいけれど、叶っていません。いつか、色々な所を旅してくれるといいな、と思います。(母はもう非力なので自力で、あはは)
Chiblitsさん、すごくお上手ですね。なんだか絵の丁寧さにその時のchiblitsさんの思いが凝縮されているようです。
ひとりぼっちで、自分しか頼れないような感じだったのでしょうか。でも、それがあってのいまのChiblitsさんですからね。
私も自分にそんな時間があったかな、と問いかけながら、しんみりしてしまいました。
そんなかなしいときにじぶんをみつめながらすけっちしてるわかいときのChiblitsさん、素敵だと思います。
外国に暮らしていると、特にアメリカのように日本と全然違う国では、最初の頃はいろいろありますよねえ。泣きたくなったこともたくさんおありだったのではないでしょうか。
でもそこで家族を作って長く生活されることになったのですよね。とても長い時間が経っているのに、絵を文をちらっと拝見して、なぜかChibilitsさんの本質的なところは何も変わっていないんだなという気がしました。良いものが見つかってよかったですね。
アメリカから帰国して5年目の夫。頑張っても頑張っても、うまくいかないこともあり、夫もわたしも心が晴れない日もあります。
そんなときは、chiblitsさんレシピのおいしいものを食べて、夫と励まし合っています。
でも、ときどき、気持ちが張りつめすぎて、はじけそうになっちゃうんですよね。今日はchiblitsさんの記事を読んで、涙も出て、ガス抜きできました。ありがとうございます。
それにしても、お料理や文才だけでなく、絵の才能もおありだなんて。うらやましい限りです。
よくぞ1967年作の絵を失くさずとっておくことが出来たと、感嘆致します。
ただ今、カリフォルニアから姪っ子が夏休みを利用して日本に遊びに来ています。
ひょっとして二度と会えないかもしれないから、精一杯のおもてなしをしようと思いました。
40年後、彼女に日本での思い出が親しみととみに鮮明に蘇るように、気持ちをこめて。
ブログを読ませていただいて、しみじみそう思った次第です。
心温まるお話しです。そしてチブリッツさんのお上手な絵に驚きました!(写真だけ見た時、お嬢さんが描かれたのかな?と・・)遺伝子ですね。
実家から持って来たコンパクトな雛飾りがあります。ガラスケースや人形達は当時のままです。
311の震災を経て感じます。
今まで災害の被害に遭うことなく無事に過ごせた事への感謝。
しかし、将来息子やその先の子供達が同じように過せるか?分かりません。
85歳の母は東京大空襲の中を逃げ延びました。母が居なければ現在の私も存在しません。
どうか核の無い戦争のない平和な世界が続きますように。
また、今起きている愚かな戦争が一日でも早く終わりますように、願わずにいられません。
しっかり眺めたくて絵の写真に顔を近づけすぎました
私も子供が産まれて、ふと思うことがあります。
この子達はどんな将来が待っているんだろう?
娘も外国に何かを学びに行くのだろうか?と。
私はイギリスに1年ほどいましたが、若いだけに危険知らず?今考えるととんでもなく怖い行動をしていたようにもおもいます。と言っても夜にクラブに友達と繰り出したり、女の子だけでふらっと旅行をして、とても暗い夜道を歩いてユースホステルにたどり着いたり、今の若者からすれはなんてことは無いことかもしれませんが
そして、テレビでいつか食料難になる!と言う番組を見て以来ついつい、畑に果物の木を植え続けてしまいます。少しでも将来家族がおなかを空かせて苦しい思いをしないようにと
まずは自分の心配をしろ!という言葉も色んなところから聞こえてきそうですが
ご両親が、よっぽど教育に関心が強かったんでしょうね。
私の母なんかは、教育には少しは関心がありましたが、金銭的に無理なので習い事や学校のクラブ活動など、できない家庭でした。
それに比べると、いい青春時代を過ごされたんですね。
また、娘さんといい時間が共有され羨ましいです。
今回ブログを見させていただきました。
また、見させていただきます。
1967年、モンタナでchiblitsさんがホームステイされていた頃、私は指宿で中学2年生 テニスで真っ黒になり当時は中間、期末のテスト順位がが張り出されていて一喜一憂していたときでした。
海外へのあこがれが強く 小学6年生の社会の自由研究でアメリカを担当して以来 アメリカに特に興味を持っていた時期でもありました。
そんな時に海の向こうのアメリカで18歳のお姉さんが 色々な事を考えながら絵を描かれていたんだな、と思うと感慨深いものがあります。47年の歳月、、過ぎてしまうと早いものですねぇ
普段はChiblitsさんのブログを欠かさずチェックしているのですが、現在アラスカを旅行中。
この旅行中はキャンピングカーでの移動もあり、今日久しぶりにここにお邪魔しました。
今日のChiblitsさんの記事を読んでいろいろなことを思いました。
13歳の夏休みに近所の道ばたで水彩の風景画を描いていると、近所のおばさんが炎天下の中暑いだろうと冷らせたゼリーをくれたこと。
大学生の頃ドイツ語に興味を持ち、1年間ドイツでベビーシッターをし、よいことばかりではなかったこと。
絵が好きだった私が、ドイツで絵の勉強をしている時に現在のアメリカ人の彼と出会いました。
実は昨日アラスカにてアメリカ人の彼と入籍&挙式をしました。
結婚指輪はポーランド系の彼のおばあさんの指輪をいただきました。
人も物もすべてつながっていくのですね。
建物の絵をこんなに丁寧にお描きになるのに!
お人柄がにじんでいると思います。
でもね去年、フォークソングに凝っていた若い頃大量に書きまくった楽譜集を子供達が見つけ、細かい楽譜や沢山の挿絵を見て妙に感激してました。思えば25歳前後の今の娘達よりちょっと若かった頃ですけど娘達にはあんな情熱はなかった様な・・・、何だか感性的にはまだ15歳の息子の方がすでにあの頃の私の情熱を持ってますね。
haru1000さんは今アラスカですか!
大自然の中でのご結婚おめでとうございます!!5年前の夏お隣のユーコンに今住んでるカナダ留学時代の親友に会いに家族で尋ねた時友達の案内で車でアラスカも旅行しましたけど、道中何度も感動しました。ああいう大自然に戻ると心がでっかくなりますね、懐かしいわ〜。Blue Hillsさんは今カナダだし、ああ私もカナダに行きたい〜。あっ、でも今度はユーコンには真冬のオーロラを見に行くんだったわ、超寒そうだから全然実現しそうにないなあ。
でも、一生共にする伴侶と巡り合う良い出会いがありました
遠近感が良く出ていて素敵な絵画ですね。娘さんは良いDNAを受け継がれましたね。
ヘルシーさが違う(-_-;)反省_| ̄|○
chiblitsさん、本当に、なんと絵がお上手なのでしょう。
線の繊細さ、パースペクティヴの正確さには脱帽です。
そして、ホームステイしていた時、ホストマザーに嫌われたと思い込んでおられたとのこと。
他人の家に住む、というのは、気遣いその他で大変なことですよね。
まして、余計なことは言わず遠慮深くするようしつけられた日本人の女の子で、そして、たぶん、英語での自己表現力も完璧でなかったであろう18歳の頃であれば。
その時、どれほど身の置き所のないような孤独なお気持ちでおられたことか、想像すると、涙が出ます。
でも、今では、じいさん様や娘さんがいらして、本当に良かった。
そして、アナログ時代だったからこそ、こういうものが残っていたのだなあ、と感慨深く思います。
デジタルだと、創作物は残りにくいですものね。
娘が最近言っていましたね〜。嬉しいこともつらい事も同じように忘れてしまうけどいいことだって。
昔自分が書いたものを見て、この紙を高校生だった自分が触ったんだと思うと不思議な気持ちになります。人間は変わるのにものは変わらないんですね〜。
ほぜこさんのコメントで思い出しました。娘はあのYokoさんの本を読んでどう思ったのかな。 年代で感じることが違うんですね。
私の絵はクリエーティブじゃなくて真似なので才能なしですよ〜。
この時にとった8mmの動画が沢山あるのですがこういう物って又動画とは全然気持ちが違うんですね。 それに動画は映写機をだして見るのも大変だし。
え〜〜〜飛行機事故でなくなられた友人もですか。 最近サンフランシスコの事故でちょっと飛ぶのが怖くなっています。
ご主人様との出会い。 本当にご縁って不思議ですね〜。あの時ここに行かなかったら。。あの時 あの時 ちょっとした選択や偶然で人生が変わってしまうんですものね〜。私も全くちがう人生を送る可能性もあったわけで。。。矢張り運命なのでしょうね〜。
きっと時代だと思うんですよ。私の時代では中学生で英語を習い始めると皆アメリカ行きたい願望でしたよ。
今の若い方たちはきっと日本で満ち足りているからでしょう。
私も両親がいる時長く滞在するとこのまま日本に、絶対に鹿児島に住みたいと思いました。矢張り鹿児島弁で話せるところはいいなぁと思いました。もし子供たちがいなくて独りだったら絶対に鹿児島に帰っていると思います。
有難うございます。
上手じゃないです。私のはいつも写実で絶対に自分では買いたくないタイプの絵です。
昔を思い出すものっていいものですね。 中学時代のものはアルバムしか残っていません。お友達と交換日記もしたのにね〜。
絵素敵♪
すごいですね娘さんも見つけた時感動モノだったですよね@@!
そう言えば 私も 数年前 旅行おみやげ(徳川家康の人生訓)で 前家に飾ってあったものを帰省した時に見つけた時に何気に裏を見たら祖父の字で
やって見せて
言って聞かせて
させてみて
ほめてやらねば
人は動かじ
昭和五一年十月二日
新聞記事より
と書いてありました。
孫としては 祖父からの今の私へのメッセージに思いました。
今は日本のホームタウンでだんご3兄弟の育児中ですが、ボストンの大学を卒業しました。大学入学前にカリフォルニアのLake Forestで半年間ホームステイしていた時、大好きなマムと喧嘩し、すごく悲しかったことを思い出しました。
あ〜若かったあの頃…私も家をスケッチしとけば良かったなぁ、と思いました。😃
こんな絵を褒めてくださって有難うございます。 絵はどうでもよかったのですが一応写真を載せたほうがいいかなとおもってのですがお恥ずかしいです。
はい、色々あります。国の習慣が違うのですから仕方がないことですね。今でもその違いを感じて失敗に思うことがありますから。
私もこの走り書きを読んで人間って本質的には変わらないものなんだなぁ〜って思いました。
頑張っていたらきっとよい展開になりますよ。
私は今でもここには書けない心配事が沢山あります。 ブログは気分転換になります。 気持ちを前向きに持つことが一番大切と最近思うようになりました。 ちょっと引っかかることがあったら別なことをして気持ちがそちらにいかないようにしています。
文才も絵心もないですよ〜〜。 とんでもないですよ〜。
私もどうしてこれだけが残ったのがとても不思議です。 両親は私が大人になってからも4〜5回引越しをしているので中学時代のお友達との交換日記、もうとっくに捨てられました。
姪っ子さんですか!若い時の旅行って本当に一生思い出に残りますよね。
凌ぎ易い東京になりましたか!
アメリカは全国的に熱波で全国ニュースになっていました。 相変わらず山火事も続いています。
本当に私も孫の時代が心配です。 福島は未だに放射能を出しているしそれはカリフォルニアにも来るし、世界中を回っています。きっとまたどこかで事故があるでしょう、。というか事故はニュースにならないだけで沢山起こっているのですよね。 カリフォルニアの産物はほとんど汚染されていますね。 今全部原発をやめたとしても未だ危険な地球なのに本当に悲しくなります。
あははは ちょっとふみちさんがモニターに顔を近づけているのを想像しておかしくなりました。
イギリスにもそんなに治安の悪い場所があるんですか。 ここシリコンバレーでは最近ギャングの闘争が激しくなり、そうそう、ギャングのイニシエーション(入会儀式)に殺人があるそうで毎日どこかで殺人事件が相次いでいます。 治安の悪い地区に間違えて入り込んでしまうととても怖いですからそういう場所を知っていることは死活問題です。私はモンタナ州の田舎だったのでその点安心でした。 が、当時未成年は夜の10時以降は外を歩いていてはいけないとう法律みたいな決まりがありましたよ。
でも若いからできたということがありますよね。それもいい思い出です。
私も本当に恵まれていたと思います。 当時は円を年間500ドルしか持ち出せない法律があったので私の滞在費、食費 授業料、全てホストファミリーが負担してくださったので本当にラッキーでした。そのホストファミリーが高校の校長先生で学校の給食も無料にしてくださったのです。 とてもよくしてくださったと思っています。
ご訪問有難うございます。
またいらしてくださいませ。
私もどうやってこれが余りかまできたのか凄く不思議なんです。絵はいっぱい描いたのに。
へ〜みいぼさんは当時中学生だったのですか! あははは あの当時の成績って教室に張り出されて誰が一番が直ぐにわかるんですよね。今頃はあんなことはしないのでしょうね。 未だ上位10番とかならいいですよ。でも私の高校ではクラス1番からびり55番まで名前が分かりましたからね〜。 あの頃は私たちも中学で英語を習いはじめて英語の教科書に出てくるアメリカの生活にあこがれていましたよ。 英語の担任の先生が鹿大を卒業したばかりのフルブライト留学経験の英語教師でとても教え方が素晴らしい先生でした。本当に47年なんてあっという間に過ぎてしまいましたね〜。この調子であと残りの10年もあっという間かと思うとさびしいですよね。
ひえ〜〜〜今アラスカですか!! キャンピングカーで移動って凄い! そちらは夏でも寒いくらいでしょうね。
うわ〜〜〜入籍したばかりですか!!おめでとうございます! アラスカで入籍 挙式って珍しくないですね!
素晴らしい新婚生活のスタートでしたね! これからも沢山幸せなことが続きますように〜。
本当は凄く大雑把なのです。じいさんの保障つきです。私のすることは信じられないといいますよ。
ありがとう chiblitsさん。
いま、ちょっとつらいんですが、お話のこと読んでたら、少し浮上しそうです。
ありがとう。
私は自分で描いていながら自分の絵は好きじゃないです。好みは印象派。
私は中学の時にお友達と交換日記をしていたんですよ。その時の日記はとっくに捨てられたようですが今見てみたいです。あははは もし子供が日本語が読めたら矢張り恥ずかしいですよ。
はらさんは作曲していたんですか。確かに昔はネットやTVがなかった分、もっと色々なことをしていましたよね〜。考えたら交換日記だって今はテキストチャットみたいなもんですからね〜。
本当に子供ですよね〜。でも感情的なところは大人のところもあるし、でもすることは子供。今考えると恥ずかしいですよ。
この走り書きをしたときはまさかじいさんともう一度会うようになることすら思いもしませんでしたね。 本当に人生分かりません。
私も今まではベーグルには必ずクリームチーズでしたよ。でもできるだけクリームチーズは避けています。
そんな〜大げさですよ〜〜
お恥ずかしい。
本当に他人の家に住むって難しいですね。未だ高校生って矢張り色々なルールが分かっていませんから。しかも国の習慣の違い宗教の違いもありますから難しいですね。 でもホストファーザーがとても寛大な方であまり細かいことは気にしないのでそれだけでもうれしかったです。そうですね〜アナログ時代だから残るんですよね。でも本当はもっともっとあったのですが実家は何度も何度も引っ越したのでその度に思い出のものを捨てられましたよ。でも私の場合全て日本語ですから私が最後ですからね〜。あとの人には意味が分かりませんからその点はとても残念です。
娘が私の走り書きを読めなくてよかったとも思うし読めたらよかったのにとも思うしちょっと複雑ですね〜。
うわ〜〜〜筆跡って本当に感激するものです。 その人が書いたものって写真よりも何か存在感があるんですよね。 筆跡は変わりませんから故人が偲ばれます。 私も父の手紙を見つけると凄くうれしいです。そういえば娘は父からの手紙も見つけていました。
お祖父さまからのメッセージ 再発見でよかったですね。娘もおじいちゃまからの手紙は大学時代に受けとった手紙でした。
カリフォルニアでホームステイをしていらしたのですか。 その後ボストンの大学を卒業って優秀ですね!! 私は10ヶ月いたのにとてもともて大学に入れるような英語にはなりませんでした。
大好きなマムと喧嘩だったのですか。 そういう経験を思い出すのは今でも悲しいですよね。