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プロフィール

カリフォルニアばあさん
カリフォルニア シリコンバレーに
1972年から住んでいます。
息子も娘も家を離れてン十年。
20年5カ月可愛がった犬もいなくなり
今はじいさんと二人きりになりました。
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コメント
コメント一覧 (32)
子供服専門の月刊誌もあって、すごく参考になりましたし、素適な着せやすい服が沢山出来ました。
ところがいつの間にか洋服は買うものになっていますね。子供用の洋服の雑誌も20年くらい前に廃刊なってしまいました。引っ越しを機会に捨ててしまったことを今でも後悔しています。
既製品よりずっと個性的で可愛らしい洋服がいっぱいありました。当時は作った方がずっと安くできましたが、今はボタンなどの付属品がとても高いですし、お店自体がすごく減りました。
chiblitsさんの日記を読みながら、手軽に安く衣類が買えるようになったことはよいことだけど....失われてしまったいろいろなことを、複雑な気持ちで考えております。
今娘のバレエ学校でくるみ割り人形の公演真っ只中なのですが、衣装を直したり、アイロンかけたり、いろいろ仕事があって、こんな時も、あ〜、母のいうことを聞いて、少しは洋裁習っておけばよかった、と思います。チブリッツさんのお嬢様はラッキーですね。
昔の人って、お裁縫など、夜なべにしてたんですよね。えらいなぁ。しかも、きっと、今みたいに明るくない照明のもとで。しかも、日中働いて疲れているだろうに、、、。なんだか、自分が何もしてないような気がしてきました。
わたしは、最近クロシェを、時々してます。手を使っているとなんだか、ホッとします。
chiblitsさんお母様との思いで素敵ですね。
私は学生の時家庭課の時間にブラウスを作る時にダーツをチャコで印したにも関わらずダーツを切ってしまつて悲しい思い出があります。
今では娘の服は卒業してワンコ服に夢中になってます。ミシンを掛けて服ができるまでが一番楽しいです。
chiblitsさん私の実家は鹿児島の大隅半島なんですが妹が吉野に嫁いでいってます。吉野公園もわりと近いですよ。
今年は夏にも車で帰省したのですが父親の体調があまり良くないので年末も28日の夜から車で家族で帰省します。昨年から息子も車の運転を手伝ってくれるので主人も助かってます。
鹿児島の様子桜島&開聞岳沢山載せますね。
電車の中で、娘さんに料理を教えたり、常識的な話だったり、服の選び方だったりと、私には娘がいないので、いいなぁ〜と思い見ています。
尊敬されていますね〜♪
軽いベストですが、2年前だったと思います。
息子にベストか、袖付きかどっち?
といって、軽いダウンって云うのを買いましたから〜
私もかなり小さい時から、椅子に座ると足が届かないので片足立ちでミシンに向かって
人形の洋服や着物を縫ったりしたものです。
ドイツに来てからも、わからない部分は電話で聞くと直ぐ教えてくれて、
本を見てああだこうだ考えたのがウソのように数秒で解決したことも何度もありました。
今は認知症がすすみ、殆どベットです。
施設の母の部屋で傍に座っているだけというのが辛くて編物を持ち込んでいるのですが、
前回の帰国で、編みかけの針を手に持たせたら、なんと2目ほど編んだのですよ
びっくりしました。手が覚えていたのですね。
なんかすごいタイムリーな話題です。
先日職場の友達と料理するように見える?とか洋裁するように見える?
の話題になったのです。
私の母に冬以外外で仕事をしていたので唯一一緒に居られるのは冬の時間でした。一緒にいたいがために母の横で同じように編み物をしたり縫い物をしました。
見よう見真似ですが、一生懸命やりましたよ。リカちゃん人形の洋服も作りました。
懐かしいです。
数年前までは子供のステージの衣装を作ったりしました。型紙作れないので着れなくなった洋服を解いて作りました。
なんか読んでて涙が出てきちゃいました。
へんなsanpoです。
自分のパンタロンとか作れるなんてすごすぎです!尊敬してしまいます。
アイロン、ミシン、棒針、は必需品で常に何か作っていました。
祖母も上手でした。自分の分と母の分とタイトスカートを作っていたのを思い出しました。
chiblitsさんのお嬢さんもお母さんがお手本なのでやる気さえあれば大丈夫ですね。
私たちの母は編み物をして、洋服も
縫ってくれました。
その上、和裁もできましたね。
だから、結婚する前は、習うように
しつこく言われ、いやいや習った
洋裁が役に立った事!
今、娘が同じように繕いやボタン付けまで、持ってきます。
針を持つと、スカートのすそ上げ
位でも、穏やかな優しい気持ちに
なります。なんでなのかしら?
と思います。
初めてコメントさせていただきます。いつも心温まるブログに共感します。
わたしは、祖母が編み物、叔母は洋裁をしていたことを覚えています。
母は仕事で忙しく、でも繕い物なんかちゃちゃっとしてました。
お嬢さん尊敬のまなざしでしょうかね。家庭科の時間がなつかしいです。
コンピューターミシン??なんてあるのですか!
あははは 掃除機は人気がなかったのですか!それはきっとお父様の策略だったのかもしれませんよ。
何を趣味にするかは姉妹でも違いますよね。私と姉が共通しているのはお料理だけです。 姉はデジカメで写真をとるのにも全く興味がないです。3びきママさんが危ないからといってもする子はするししない子はしないかも。 娘はりんごの皮むきが下手です〜。 手はとても器用なんですけど包丁の使い方は下手ですよ。
これは栗爪っていうのですか! つい最近娘とじいさんが爪の話をしていました。 確かじいさんも栗爪なのですよ。 先が白い爪のことですよね。じいさんも爪先が真っ白なんですよ。これは遺伝なんでしょうね。私の爪先は透明感があります。
私も子供達の洋服を縫いましたよ。 全部ではありませんでしたけど。 私が洋裁を覚えた頃はパターンの作り方にドレメ式と文化式がありました。私のはドレメ式です。
仰るとおり、いつの間にか洋服は買ものになりましたね。本当に!アメリカでパターンを買って布までかったら既製品の何倍もしますよ!でも自分で洋服を作るって楽しかったのですよね。自分の寸法ぴったりに作れるし。
母からは色々なことを習いましたね〜 家庭菜園も上手でしたよ。
うわ〜BJ Mamaさんのお母様はプロフェッショナルだったのですね。 75歳でまだなさるんですか。心強いですね!
私も母にもっと色々習っておけばよかったと後悔しています。その中に鹿児島の白味噌です。 後悔先に立たずですね〜。娘は忘れないようにビデオに記録しておこうかななんて云っていましたよ。何をかって 玉留めですよ。
私のは技術ってほどのこともないのですよ。 ドレメ式の教科書を2冊もっていてこれを見たら誰でも原型やパターンができます。
お裁縫は楽しかったですよ〜〜〜。 昔はブログなんてありませんから
お母様に編み物が習えるのですか!!いいですね〜〜。母も編み物が大好きで実家には4台くらい編み物の機械があるんですよ! 私が使えるのは母が私が小学校の頃使っていた機械でものさしみたいなものを突っ込んで編む機械でした。 実家からもってきたいのは編み物の機械と刺繍の機械。 でも使い方を教えてくれる母はなし。
ハンニバル強子さんはめまいの持病がありましたよね。 Magさんがめまいを治す方法、予防する方法色々情報提供してくれています。
ここのMagさんのコメントが4つほどありますから読んでみてください。
http://blog.livedoor.jp/chiblits/archives/51957748.html#comments
こんばんは〜
う〜〜ダーツを切ってしまったのですか!でも考えられる事ですね。ありそうなことです。洋裁は楽しいですよね。特に子供服は凄く楽しいです。段階が、段々出来上がって仮縫いとかするときはわくわくですよね。
そうですか、お父様の体調がよくないのですか。ジェニママさんが帰られたらそれだけでも元気が出るでしょう。息子さん頼もしいですね。 大隅半島ですか。大隅半島にはあまり行った事がないのですよ。桜島!載せてくださいね!私も帰りたいです。
息子も料理をききますよ。 嫁GGがお仕事の日は息子がお料理当番みたいです。 近いうちに簡単料理レシピを息子に送ろうかと思っています。ベストは袖がないので仕事がしやすいですよね。
母親がしているのをみていて子供は何となく楽しそうだと思うのでしょうね。 私も母がミシンを踏むのを見ていてこんなに早く縫えるって凄いって思いましたね〜。 ドイツのばあさんもお人形の洋服を縫いましたか!
うわ〜〜全く私も同じでした。父が亡くなって母が認知症になって姉と交代で実家に帰っていたのですが傍に座っているだけでは私も辛くて毎日3時間ヘルパーさんが来てくださったのですが、その時毛糸屋さんに行って毛糸をかって30年振りでセーターを編みました。母が亡くなったのでそのせーがーも完成することもなく3年くらい放っておいたら編み物の好きな娘が教えるから最後まで編みなさいと励ましてくれて4年後に完成しましたよ。 あのセーターを見ると母を思い出します。凄いですね!お母様覚えていらしたのですね! 母は自分でスカートのボタンをつけようとしてできなくて私がつけてあげました。
妹と私の服も ほとんど 母の手作りでした。セーターも ネルのの寝間着も浴衣も、
父の転勤で鹿児島の田舎の町を転々としていたもので おしゃれな服が手に入りにくい事もひとつあったのでしょうが、手仕事が好きだった事と暮らしが豊かでなかった事が大きな要因だったと、思います。 垢抜けた素敵な服をたくさん作ってくれました。大学2年生の頃まで服を作ってくれてましたが、段々 既製服のおしゃれなのが買いやすい値段で出始めて もう母の私たちへの手作り服は終了、でした。でも、娘が生まれたら 又 可愛い幼児服を作ってくれました。着やすくて かわいらしい服は 娘もお気に入りでした。 ひ孫が誕生すると ホワイトキルトのおくるみを縫ってくれました。 私は針を見るとめまいがするとか、何とか言って家庭科の宿題はすべて母に、してもらっていましたが、門前の小僧、とでもいうのでしょうが、なんとそんな私でも 娘の小学校の卒業式にはジャンバースカートとボレロを作って着せたのでした。
娘は、針も、お料理も、何も関心がないようで 特に色々聞いてきません。 聞いてもさほど答えられないので これ、幸いと思っていましたが、 chiblitsさん親子のご様子を見ると、ちょっと寂しく感じましたね。私もちょっとモーションをかけてみようかな(^^)
うわ〜りかちゃん人形の洋服を作られたのですか。 母がカリフォルニアに遊びにくると母は孫娘にこれもりかちゃん人形の洋服を作っていましたね〜。それを見ていて私も作りたくなり、母が帰国してからも娘にりかちゃん人形の洋服をつくってあげました。 未だその洋服ありますよ。
子供さんのステージの衣装まで作られたのですか! アメリカ人のおかあさん達、よく子供のハロウィーン衣装とか作りますね。でも私は衣装は一度も作ったことがなかったです。
昔の人は皆さんしていたんですね〜。 母がここに未だ置いてある洋服は母が自分で縫った洋服です。何枚かありますが今は形見です。
娘はお料理よりもこちらのほうが好きみたいです。
そういう時代だったのですね〜。 戦争を体験した年代ですから何でも自分で作らないと買えるものではなかったのでしょう。そうですね。和裁もですね。そして布団も!布団の張替えも普通にしていましたよね。
本当に!! すそあげとかするとなんか充実感がありますよね。
初めまして!! 昨日はサニーベールでランチでしたよ!!S MurphyのYuというレストランで。
Kayさんの時も家庭科がありましたか。 今はどうなんでしょう。 娘に聞いたら選択であったそうです。 そういえば娘も中学の時にスカートを縫ったことがありましたね。
もっともっと習っておけばよかったと思いますね。
今日は一日 お料理していました!明日も朝からお良です。
むべさんもよいクリスマスをお過ごし下さい!!お天気がよくなるといいですね。
そういう時代だったのですね〜。 今シニアブログで楽しみに読んでいるブロガーさん、私より10歳くらい上の方で自分史をかいていらっしゃるのですが彼女のブログを読むと母達が洋服を縫っていたのが納得できます。 戦後?戦前? 帽子もない時代で自分で作るものだったようですから。考えると母達はそんな時代を生きてきて着る物を作るのは当然だったのでしょうね。
みいぼさんは私よりもお若いですよね? でも似た時代ですね。私の母は私が自分の洋服を作るようになってからは私の洋服を縫うのは止めましたね。夏休みに実家に帰って洋裁をするのが楽しみでした。本当にいい時代でしたね〜。 そういえば最近娘は雑巾を2枚縫って大喜びしていましたよ。 私も雑巾欲しいです。