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プロフィール

カリフォルニアばあさん
カリフォルニア シリコンバレーに
1972年から住んでいます。
息子も娘も家を離れてン十年。
20年5カ月可愛がった犬もいなくなり
今はじいさんと二人きりになりました。
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コメント一覧 (30)
思い通りに行かないこと、うまくいかない事のほうに目を向けがちですが、自分が恵まれている部分に目を向けることはとても大切なことですね。それに、実はとっても周りに支えられている。
自分のためです。
後から後悔しないように、私も毎日を感謝の気持ちで両親と接して、過ごしたいです。
なかなか精神的に大人になれず、つい、いらいらしてしまうたちなので、今朝は散歩をしながら、空を眺めて、ちょうどそんなことを考えたところでした。
定職についていた頃は、一生の仕事と思い、辞めたらすべてが水の泡、親の死に目にあえなくても当然、くらいの思いつめた気持ちでしたが、辞めてしまえばなんてことなかった!(笑)
そんなものより、もっと大切のものが、人生にはあると今は思います。
いつも良いお話をありがとうございます!
最近買い始めた猫と犬の世話に追われて忙しそうにしています。
長崎と鹿児島で離れはいるのですが いつまで母と一緒に色々な事ができたり電話したりできるのかな、と思います。
認知症になられたのですね、お母様。バッグを持ってどこに行きたいって おっしゃってましたか?
義理の母も認知症になり 若い頃に暮らしていたそこだけを思いだして、そこへ帰るって言ってました。亡くなっていた義父の事も子供の事も なく 若かった自分の当時に戻りたがっているようでした。
私が認知症になったら いつの時代の自分で 生きるのだろうか?
でもやはり考えなければならないかな。ありがとうございます。
そして、それをサポートされたchiblitsさんとご主人も大変でしたね。
私も5年前から介護の真っ只中にいます。
母は老人専門の病院に入院していますが、長期戦ですので毎日通う兄嫁を少しでも負担を軽くさせるために姉、私も加わり交代で通っています。
病院も手が充分に行き届きませんので出来るだけ3人で交代で看ています。
介護と一口で言ってもそれはそれは大変なんですから。
まだ20代の私にとって「親を亡くす」というのはまだ想像し難いことですが、離れて暮らす親とSkypeで話したり昔と今の写真を見たりすると、「ああ、もう若くないんだな」と感じることもしばしばです。いくつになっても、子にとって親はいつでもそばにいてくれる強い存在だと思っていたのですが、自分が大人になり、自分も親になってふと気がつくと、強くて大きな存在だった親が小さくか弱く見えてしまって、なんだか寂しくなります。
今のところ、私の両親も夫の両親も元気でいてくれていますが、今日何が起こるか分からない世の中、後悔のないように出来る限りの親孝行をしたいと思います。
Chiblitsさんのご両親との最期は大変なものだったと察しますが、最期に立ち会えることができたとのこと、私もそうできたら良いなと思います。私自身は親から離れて暮らしていますが、退職後はChiblitsさんのように、大人になった自分の子どもたちと近くに暮らせたら何よりだなぁと願わずにはいられません。
私のように朝になったらもう逝ってしまっていて、夕べのおやすみなさいが最後でしたから、ありがとうが言えなかった、母は毎晩ありがとうって言ってくれたのに。
そうですね〜子供さんが高校生になったらちょっとははずせますけどね。 76歳と80歳でお元気ならまだまだ大丈夫ですよ。父は75歳までとても元気だったのですが胃癌の手術をしてから体力が落ちて他の病気も始まったりして。母の場合は父の病気のストレスやら心配で同時に弱くなりましたね。でもいくら今考えても本当に将来はどんな病気になるのかわかりませんから計画のしようがないような気がします。
私も体を壊して仕事を辞めるとき、折角ここまで頑張ってやめちゃうのかって悩みましたけど一旦やめてしまったらほんと!なんてことなかった!そして直ぐに始まった父の病気。神様が私に仕事をやめるように仕向けてくださったのかと思います。
価値観は人それぞれですから自分の価値観を押し付けようとは思いませんが私の場合はこれでよかったです。
アリスさんも帰られて良かったですよ。
83歳でお元気そうですね!
鹿児島のお年寄りって凄くお元気ですよ! 鹿児島ではよくバスに乗るのですが80代の方たち、60代くらいに見える方も多くて本当にびっくりします。
母は最期は自分の家じゃないと言っていました。だから自分の家に帰るって。 それが名古屋の実家を思っていたのか昔住んだ平之町の家だったのか、それはよく分かりませんでした。 幻視もよくあって今ここにいる子供達は誰なの?とか言っていました。不思議だったのは亡くなる1月前に名古屋から会いに来た上の姉(私の伯母)と姪達二人(私のいとこ)、姪は40年ぶりだったのに直ぐに分かったのです。でも私は誰かわからなかったです。
それはいいアイディアですね。何かあった時に入るところ、入院できるところ調べておくといいですね。 でも本当にこれだけはどんな病気でどんな寝込み方をするのか分からないので計画は立てにくいですね。私も母が認知症になることは考えもしていませんでしたけど、自分も、じいさんもその可能性はあるわkで、そうなったらどうしょうって今は何も考えていませんけどもう自分達のこともちゃんと考えておかないとですね。 認知症でも色々ありあすからいくら自分でみたいと思っていてもお互いに年をとって見られないこともあるし。でも考えておかないと家族に迷惑をかけたくないですからね。
お留守番は簡単なものでしたよって 私はほとんど何もしていませんでしたけど。
介護は本当に色々状況で違いますから簡単に介護しなさいってしたこともない人に言われたくないっていう気持ちはありますよね。知人に自分はアメリカに来て何も親の面倒を見なかったのに周囲のお友達には「あの人は自分の親をしっかりみていない。ちゃんと親を見るように言った」とか言っているのを聞くと 腹が立つくらいでした。父は最期まで頭がシャープだったので介護もとても楽でしたが認知症の介護は想像を絶するものがありますね。 母のお友達で脳梗塞で15年も寝たきりの方もいらしたし本当に一口では言えませんよね。
この記事を読んで、涙がとまりません。アメリカで結婚して7年目に60になった父の病気が発覚しました。その1年半後に完全介護が必要になり、夫婦で帰国しました。それが1年前。帰国して家族と共に在宅介護が出来る環境にあった事、本当に感謝しているし幸せな事だと思っていました。
でも色々な事情から、丁度きのう長期の施設に移りました。そして今は「ごめんね」と思う気持ちで胸が痛いです。同年代の友達とこの覚悟、無念、葛藤を分かり合える事が難しく、いつも通り明るく振る舞ってしまい、気持ちが押さえつけられている気分でした。そんなときのこの記事、ありがとうございます。いつかすべてがこれで良かったと思える日が来る事を願います。
国際結婚の先輩のいろ〜んなお話、これからも楽しみにしていますね♪
チブリッツさんのブログを読んだら
後何日もつかわからない父を置いてアメリカには帰れないと決心しました。2週間の予定で来ていますけど、父の危篤状態は先週土曜日に到着してからずっと続いています。毎日病院へ行っては意識がほとんどない父と時間を過ごしてくるんですけど、でもそれでも父にありがとうと私の言葉を伝えることができて本当に良かったと思います。
私の母親は85歳ですけどそばにはいられないけど頻繁に電話をするようにしています。
あまり体調がよくないようでたぶん暑さのためだと思いますけど。
体力が弱くなってると、いつどうなるかわからない気がするから食べたいものを食べて今を楽しみたいといっておりました。
数年前では絶対に施設には行かないと言い張っていた母ですけど周囲の人がボケたり体調をくずしているのを見ることが多いためでしょうか自分のことが自分でできなくなったらすぐ施設に行くというようになりました。
今行ってもいいけど年は行っていてもまだ今は介護認定はさせないのでいけないけどといっていますけど。。。
先週友人と外出していて道に迷って行き着いた場所が素敵なシニアコミュニティーでした。
友人といってみようかということで立ち寄ってパンフィレットをもらってきました。
将来のために見てきました。
アメリカの介護はほとんどが施設でしょうね。
後は費用の点で在宅看護でしょうか。
母そして義母をみていて学んだことそれはもし私に子供がいたら同じ思いをさせたくないということです。
私の母は子供にも遠慮をするのです。母に他人じゃないのだから余計な気は使わないで欲しいと思うですけど弱気を見せないで頑固なのです。
たぶんそれは私が遠くにいるから心配をさせたくないという気があるのかなとおもいます。
そうすると私はもっと心配してしまうのです。
反対に義母は気を使わないというかもう少し気配りがあったらねとおもうですけど。。。
私が日本人だからでしょうかこうおもうのは、たまには主人に「いつも悪いね」と声をかけてくれてもいいのにと思うのですけど。。。
私も父親が亡くなるまで親は元気でいつまでも生きていると思っていましたね。
母には父にできなかったことをしたいと思います。
私の母は大腿骨の骨折から少しずつ痴呆が始まり歩くことも出来ないのに動くからベッドから落ちたり、眠りも浅いから看てないと動くから危険なんです。
はい!私の母も「帰りたい」が口癖でしたよ。その度に連れて帰ってたのですが「違う!ここは私の家とは違う」と興奮して言い張ります。
医者に聞くと生まれ育った家が痴呆になった年寄りが望む家なんだそうです。
生まれた家はもう何代も変わっていますので近代的な家に変わっています。
最近では動きも鈍くなりまして、いつ息が止まるか分らない状態ですのに一番母から面倒見てもらった弟は5年間に1回きり。弟嫁は見もきませんよ。
お返事は要りませんよ。聞いてもらいたかっただけです。
いつもご訪問ありがとうございます。
私ももう10年前になるのですがSkypeのようなソフトで毎日カリフォルニアと鹿児島はつながっていました。私がカリフォルニアにいる時は朝からほとんど一日中オンにしていましたよ。 遠くに離れているという感じがなくなりますよね。
私も息子が2時間離れていますがこんな距離は近いうちですよね。私が一つ残念だったのは両親の最後に孫たちも立ち会えなかったことです。 私は家族全員が一緒に立ち会うというのがすごく大切だと思ったのですがこれができなくて残念でした。
カイシャさんは本当に幸せでしたね。 最後までお母様と散歩ができて毎日一緒に暮らせたとのは海外在住では珍しいです。私も後悔していることいっぱいあります。主にあの時こういってあげればよかったと思うことが沢山あります。 でもね その時はもう直ぐ亡くなるとか考えたくないし照れもあるし。でも照れていたらだめですね〜。
初めまして!
7年といえばやっと新しい土地にも慣れて落ち着いてきた時期だったでしょうに大きな決断をなさったのですね。 私も仕事を辞めるとき自分の夢であった開業ができて順調にいっている時に辞める事には悩みました。これまで仕事を下さった歯医者さんへの義理もあるし。でも辞めてしまったらなんていうことなかったです。私もアバアバさんと同様、自分が選んだ道のほうがはるかに良かったです。かえって遅すぎたくらいでした。
上でアリスさんも書かれていますけどこれは自分の為なんですよね。
後悔することを少なくしておきたいですよね。
私も沢山のレシピを皆さんからいただいていますよ。 レシピは自分の為の覚書として便利です。
私は3年看たのに父の最期の時はCAにクリスマスに2週間帰った間だったのです。2週間後に息子を連れて実家に戻るつもりでしたが息子と鹿児島に向かう飛行機を羽田で待っている間に亡くなったのです。それが心残りで今でもこれをタイプしながら涙が出てしまいます。 あの時帰らなければよかったと自分を責めてしまうのです。私も声に出してありがとうと言えばよかったと思うと涙がとまりません。
本当にね〜。 昔20代の頃よく50代の大家さんと話をしたのですがいつも介護の話ばかりでしたね。
今は自分が健康のことばかり話しています。
恵さん、良い施設が見つかったら教えてくださいね。 私もできる限りは自宅にいたいけど、子供には迷惑をかけたくないし、そうなると施設しかありませんからね。 でも周囲の話を見たり聞いたりすると施設は恐ろしく高いですよ。 自宅がある人は安いところに入れないのです。私の知っている台湾人のお年よりは家を買うときに子供名義にしているので安くて良いところに入っています。
母は自分の家じゃないといい始めた頃は骨折をして歩けなくなったので徘徊はできない状態で夜いなくなるという心配はなかったです。それでもハンドバッグをもって寝床から這い出して外に出ようとしていました。 ある時は紐を母の手と私の手とつけていた時期もありました。父が亡くなってから急激に認知症が進んだのです。父が亡くなったら母をアメリカに連れて一緒に住もうと思い家族の賛成は得ていたのですが脳梗塞も起こしてとても連れて行ける状態ではなくて姉と交代で見ると決めたのです。多分あの状態では入れる施設もなかったでしょうね。家族は負担を分担するべきですよね。 しないと大変さが分かりませんから。
度々入院することがあり今回短期で帰国してきました。
わたしは、学校でコ-スが始まったばかり。
親のサポートや度々の帰国など多額な出費をかんがえると、学校に行っている場合ではないと、焦ってきました。
となると何でもいいから仕事を探す事になり、将来を考えてコースをとることを決めた事が。。
収入が優先なら仕方ないと思いますが、どうしていいかわからないままです。
早く決断して行動しないと時間を無駄にすることもできませんし。
人生タイミングが大事とつくずつおもっています。
初めまして。 色々な大切な事が重なってくると本当にどうしたらいいのか分からないですね。 私は ピグちゃんが無理しないで自然と決めた事が一番結果が良いのではないかと思います。 私もアメリカにきて勉強のし直しをしたかったのですが そうすると仕事ができず収入もありません。 それは厳しい事だったので結局は仕事を優先して学校には退職してから行きました。(笑)結果今思うとそれで良かったと思っています。 でも学校に行っていたらもっと違う職種になったかもと思うことはないです。 お母様はピグちゃん自身の選択で喜ばれると思います。 親は子供の幸せが一番で自分の為に犠牲にしてほしくはないですから。ピグちゃんが幸せでいる事が一番の親孝行です。
私は今、海外から、母の介護のことや自分の将来の事など、がんじがらめの状態になっています。
とても苦しいです。前も聞いていただいたとうり、今始めた資格をやめ、働く事が優先と思っても色々後悔しないか、ああじゃないかこうじゃないかと周りつずけています。
1人これから資金の必要になる母の為自分の生活の為と思っても、不安でたまりません。
果たしてその仕事でやっていかれるのか?
仕事を始めても、ははになにかあったら、
すぐ帰らなければとなると、仕事は始めても、最悪止めなければいけなくなるかもとおもうと、どうしていいのかわからなくなります。
どう進めていいか、不安で手探りの生活から抜けだしたいです。
親の介護を海外から考えて実行に移す事の大変さを本当に大変な事だと、実感しています。
一人なのですか。 全部一人でお母様の介護ですか。 それは大変ですね。 ご兄弟がいたら今はお願いしますと言えるのにね〜。 私も姉と交代でしたから楽でしたが でも自分の当番の時は100%一人だったので 母が認知症になってからは夜寝られる状態じゃなくて こちらも意識がもうろうとなるくらいに睡眠不足で 困っている時に介護マネージャーに出会ったのです。 それから夜は眠られるようになりました。 ピグちゃんも福祉の方相談してみてはどうですか。 私は介護のヘルパーさん達に救われましたよ。
私は地域の福祉に相談してみるのが一番良いと思うのですが。 私も途方にくれていた時にケアマネージャーさんから助けられましたよ。 色々な方法があるのではないでしょうか。 当時 ヘルパーさんの中には寝たきりの一人住まいのお年寄りを夜中に見まわる係りの方もいました。 確か交代です。 うちに来て下さった方も交代でした。