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プロフィール

カリフォルニアばあさん
カリフォルニア シリコンバレーに
1972年から住んでいます。
息子も娘も家を離れてン十年。
20年5カ月可愛がった犬もいなくなり
今はじいさんと二人きりになりました。
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コメント
コメント一覧 (92)
私は2週間前にアルバイトを始めましたが失敗続きで首になりそうなんです。
5年ぶりに仕事をしてこの結果です。
泣きたいです。
失敗は自分の常識の無さから出たものばかりです。
今更後悔しても遅いけれどどうしてあの時機転を利かせてああしなかったのかとばかり考えて頭の中がグルグルします。悲しいです。
心痛めながら拝読させていただきました。長沢公園がオープンしても、あの世で
長沢氏は「何を今さら遅すぎる!」と思っていらっしゃるでしょうね!
世界中に、この様な方が沢山いらっしゃるでしょう。今の幸せに感謝しなくては!
きっと今はお幸せだと信じます(ポチッ)
ここで息子さんは挙式されたんですね。
息子さんもお幸せでいらっしゃることと思いますがステキな場所で挙げられたんですね。
以前、人それぞれに色々な苦難や苦労があるけれども逃げずに前に進むと必ず報われる時が来ると教えて下さった恩師がいます。私もその言葉を忘れずに前向きに行こうとchiblitsさんのブログで再認識させていただきました(チョット内容が逸れてしまいました^^;)
…Amyさんkosukeさんが残りの人生を心安らかに暮らされる事を祈ります。…
当時のアメリカにいらっしゃったら、いろいろと
大変だったことでしょう。
このぶどう園はすばらしいですよね。カリフォルニアワインの元を築いたのが日本人だったなんて
誇らしいでしよね!
味も安定していて飲みやすく美味しいです。
もっと自信を持って、県外の友人にも勧めたいと思います。
昔習ったのに、すっかり忘れていた長沢鼎の話を思い出させてくださってありがとうございます。
だって・・・ここはカリフォルニアでしょ? 私、今、カリフォルニアに方と、こんなに簡単に通信してるんでしょ?
私の住んでいる州にも意外にも日系人が多いところがあるんですが、西海岸から離れているので、強制収容されなかったらしいです。最近まで知りませんでした。
このようなお話があったんですね。
自分が築きあげたものが無くなってしまう
やりきれない気持ちはどこにもぶつけられなかったでしょう。辛かったでしょうね。
ブドウ園、よく戻ってきましたね。
カリフォルニアワインを飲む時は長沢氏の事を想い、いただくことにします。
シフォンケーキ作りました〜♪
chiblitsさんのレシピでおいしく出来て
スポンジケーキ苦手だったのを克服できました(*^^)v
家族にも好評でした。ありがとう!
記事の中でリンクさせていただきました(^^)
ホント、膨らんでうれしかったです♪
けれども故郷喪失者とみなされてそのお金は全額返送されてしまったのです。彼の傷心は深まりました。一説によると西南戦争に帰国しなかったことがその理由だとされています。・・・故郷でも彼は冷遇されてしまったのです。
心のバトンありがとうございました。私は先日例の中村晋也美術館の保管庫で長沢鼎氏の晩年の像を見てきました。また近くご紹介いたします。
今のこの便利な時代にだった、異国で生活するって、色々な思いをするってのに、時代背景が比較にならないほど、こじれている時の事なのでしょうから、その苦労は“筆舌に尽くしがたく・・・”なんでしょうね。
ご健在のお二人の幸せもですが、長沢氏本人が“幸せな人生だった。”と思える最期を迎えられたであろう事を願わずにはいられません。
何故かコメントが混雑で入らなくなりました。ここで失礼。
19世紀の終わりにかなりの日本人がアメリカに移民したそうですが、長沢氏はその最初の人だったようですから、移民の開拓者ですね。日本領事館と一緒にアメリカに働きかけて、多くの日本人を呼んだそうです。あの時代の差別はアメリカでも場所によっては未だちゃんとあるんですよね。カルフォルニアでこそ、あまり感じませんが。ドイツでは日本人に対してどうなんでしょうか?
今まで読んだところの寄ると、排日運動や禁酒法、土地法等辛い事が重なって、幸せそうには見えませんが、でもアメリカワインのトップに入ったという実績は彼にとっては満足だったでしょうね。カルフォルニアワインの90%を生産して、賞を何度も獲得したそうですから。自分の好きな事で尊敬された事と、サンタローザの土地も自分の物で幸せな時もあったことは確かだと思います。
どこの国にも恥ずべく歴史がありますね。
我々にとっては誇りに思う人物です。
それ以外にも歴史に名を刻まずに無念にも散って行った人々は数え切れないのでしょうけれど。
少し言い難いですが、U.S.も他国の過去の所業に非難決議を重ねている場合じゃないと最近思っています。
ライブドアのコメントが入らなくなっていますからここでレスします。
私もそう思いました。長沢鼎氏の事は氷山の一角でまだまだ同じ様な境遇で不幸に終わった人が多いと思います。知られていないだけで。大土地だけじゃなくても普通の家だって、それを取られてしまうって大変な事ですから。私だってやっと住宅ローン終わったこの家を取られたらどこに住めば良いのか路頭に迷います。
時々ニュースで見ますが、今はアラブ人がテロリストと間違えられて刑務所に入っている人がかなりいるようですが、今でもそんな事があるんですね。悲しい事です。
今日の日記を読み終えた後、言葉では言い表せない気持ちになりました。
彼らがいたから、彼らが辛い時期を過して来たから
、
過せる人も大勢いるのでしょう。
長沢氏、天国で、どんな気持ちで自分の家族達を見守って
いるのでしょうか…。
私も、今、お2人が幸せと感じて暮らされている事を祈ります。
ブログって色々な事を知るものですね。私も他の方のブログから沢山の事を学んでいます。灯台下暗しでアメリカの事は日本のブロガーさんから。(笑)
今の時代にはこんな事があったなんて信じられないですよね。日本人は土地が持てないとかいう法律が成立しただなんて。それを考えるとアラブ人で無実の罪でテロリスト容疑者として刑務所に居る人達、可哀想ですね。こんな時代だけに、厳しくしてもらわないと困りますが。その中で犠牲になっている人もあるんですね。
本当に!このお二人お幸せだといいですね。でもAmyさん、素敵な笑い顔ですよね。
ワイン好きなのに、ワインやワイナリーの裏話には詳しくないのがバレバレですね〜。(笑)あっ、でも長沢鼎は知ってますよ、ご安心を。
Kosuke氏の一言が、何だか切ないですよねぇ。
太平洋戦争の頃にUSに住んでいた日系人の方たちは本当にたいへんな目に遭われたんだろうな〜と思うと胸が痛みます。
私たちに出来ることは戦争をしないこと…だと思っています。
そしてAmyさんとKosukeさんが今を幸せに過ごされている事を祈っています♪
長沢様ご苦労なさったのですね。私が今休みがない何て文句を言っているのが罰があたりそうですね。
何だか私がとても小さい人間のようです。
長沢様のこれからの人生が少しでも幸せである事を心から祈ります。
失敗にめげないで又頑張ってください!気持ちが下を向いていると、結果も下を向いてしまいます。こんな失敗もあるさと思って、昨日の失敗はすっかり忘れて、前向きに明るく又挑戦してください。失敗は必ず自分の糧になります。既にあの時ああすれば良かったと思っていらっしゃるじゃないですか。何でも気持ち次第です。失敗をプラスにして行こうという気持ちがあれば、相手にも必ずその熱意は伝わります。未だ結果は出ていないのですから、これから次第です。頑張ってください!
昔鹿児島の叔父が長沢というカルフォルニアでできるワインが鹿児島でも売られていて、美味しいという話はきいていたのですが、単に鹿児島の人が始めたワイナリーとしか思っていなくて、しかも息子の居るところがそこだったなんて雪虫さんのブログを読むまで全く知りませんでした。
この公園が完成する前は別な名前が付いていたのですが、なぜ長沢に変わったのか、下のニュースの
http://www.pacificcitizen.org/content/2007/national/aug3-lin-nagasawa.htm
続き:「Paying Homage to the King, 74 YearsLater 」一番下の段に書かれています。カルフォルニアワインを有名にした先駆者であるのに、なぜ未だに誰も知らない存在なのか、本当に腹が立ってきます。道路の名前も長沢に変えて欲しいくらい。
お祖母様、カルフォルニアでしたら収容所に送られたんですね。自分が今この年齢で家を、財産を取り上げられ、収容所に行かされるなんて考えただけでも気が遠くなりそうです。一世、2世の方たちは本当に苦労があったのですね。
公園の開園式のニュースにも戦前の排日運動、戦争中の強制収容所で苦労した日系アメリカ人の話が出ています。この公園も計画された時は別の名前がついていたのですが、今の日系人が市の名前を変えるように働きかけたそうです。記事には「遅すぎた敬意」とありますが、本当に遅すぎです。中国も、韓国も、ユダヤ人も不等に扱われた事に対して大声で世界にわめいていますが、カルフォルニアの日系人もわめいていいんですよね。日系人の絶対数が少ないのもありますが、日系人の政治家とか声を出せる立場の人達には頑張ってもらわないとです。ノーマンミネタさんももうお年ですしね。
本当に人間の縁って不思議な事が多いです。
15年ほど前から鹿児島のワイン好きの叔父からさんざんカルフォルニアには長沢ワインがあるって聞いていました。何しろ地元ですから、地元のデパートではこのワインが売られているそう。でもまさか息子が今そこに住んでいるなんて思いもしませんでした。結婚式の時、式場に行く途中で「あっこんなところにワイナリーがあるんだわ」って思っていただけ。長沢という名前じゃないですから。まだまだ不思議な事が続きましたよ。もう書くときりがないです。(笑)
ご苦労されたでしょうが、
お二人の笑顔に救われました。
主人の両親も鹿児島の出身で、
関西に住んでもう長いのですが、
いまだに食品を送ってもらっています。
さつま揚げはとても美味しいですね。
我が家のお正月の定番です(^ー^)
私の年代ではまゆみんさんが書かれた様に、第二次世界大戦のときアメリカ西海岸に住む日系アメリカ人達が強制収容所に入っていた事は殆どの人が知っている事なんですけど、10代、20代、30代の方には知られていないのでしょうか。最近はそういう話題もアメリカでさえも少なくなりましたからね。その頃の年代の方がだんだん少なくなっている事もあります。どのくらいの日本人が知っているのか、とても興味があります。
いつも前向き姿勢っていうのは人生で大切な事ですよね。前向きだと福を呼ぶような気がします。
大変だったでしょうね。それを考えると今は変わりましたね。
1920年頃は排日運動、外国人土地法、しかも禁酒法まであったので、何年間か、随分長い間長沢氏はワインを作る事もできなかったそうです。その頃はグレープジュースを作っていたとか。長沢氏が亡くなった年に禁酒法が廃止になったそうです。外国人土地法と言ったって、外国人でも白人ならOKなんですから本当に酷い話ですよね。カルフォルニアワインを有名にしたのは長沢だったという事、殆ど知られていないのが悔しいです。
ありがとうございます。
とにかく働くと決めたのですから今の職場がダメでも新しく探して働きます。がんばります。
本当にありがとうございます。
よくご存知ですね!菊ちゃん、ワインはお好きなんですか?叔父がワイン大好きで、15年ほど前から、私に「長沢のワインを知っているか?」って聞いていました。私は「知らん」ですよ。飲まないし、歴史は興味がなかったしで。ここのワイナリーで2005年のシャドネーを買ってきたのですが、これ、山形屋ではいくらくらいするのですか?店員さんが、「このワインはこのワイナリーでしか買えないのよ」って言っていました。で思ったのですが、もしかしたら山形屋とは提携しているのかも。因みにこれは27ドルくらいでした。
このような経験をされたのは彼らだけではないのですから、一言では言えません、彼らはきっとこのPARKだけでも名前が残り良い方かもしれませんね。戦争はやっぱし戦争、誰が悪いって両方ですよね。でも彼らのお子さんたちがこれからワインの事何か変えてくれるように願います。
あ、ちなみにサクラメントのアメリカのおばあちゃんってのは実の祖母ではないですがあたしがお世話になったおばあちゃんで2世ですからキャンプには入ってなかったけど彼女のお母さんたちは入ってたって何度も聞かされました。
本当に不思議ですよ!
だって、鹿児島の雪虫さんのブログに会わなかったら、未だに知らないところですし、公園の事も椿さんから聞かなかったら、未だに知らないところです。だってそこに住んでいる息子も嫁もワイナリーがあるって事さえも知らず、公園ができた事もしらないんですもん。日本のブロガーさん達を通してカルフォルニアの事が分かるってね〜。
この年になっても知らない事だらけです!
私も今回長沢氏の事をネットで色々読んでいる間に初めて知った事は、収容所に送られたのは西海岸に住む日系人だけだった事です。私は全土の日本人が送られたのかと思っていました。1985年くらいだったかしら。当時の収容所の映画がアメリカでできたんですよね。テレビ放送されました。洋子さんはこの映画を見ましたか?私の親友Rさんのお祖父様はハワイの方なのですが、日系人の送金を手伝ってあげた為に、スパイの容疑がかかり、テキサスの刑務所に送られ謎の死を遂げました。未だ20代でした。なのでRさんのお父様は自分の父親を覚えていません。今はアラブ人の人達が同じような目にあっていますね。昔ほどは多くないのかも知れませんが。
私は全然アルコール類は飲めないので、ここのワインも味わえないのが残念です。でも今度の感謝祭にワイン好きな人がいらっしゃいますから、試飲していただこうと買ってきましたよ。
うちは頂いたワインは料理に使ってしまいます。(笑)
シフォンケーキ作りましたか〜!
今拝見してきましたよ〜!綺麗に焼けてる〜ぅ!パチパチパチパチパチ!
凄く綺麗に膨らみましたね!スポンジケーキより簡単でしょう?そしてスポンジケーキよりふわふわで美味しいでしょう?
これでバニラプリン。さんもシフォンの虜。これに、紅茶の葉をすり潰したのとか入れると美味しいですよ。そうそう、このレシピでロールケーキも簡単です!レシピ集にリンク貼らせてくださいね!
悲しいことですが、そういう過去があったということなのですね。未来に同じことがおこらないように祈るばかりです。
うひゃっ〜!
リンクのご挨拶に行こうと思いながら、間に合わなかったですね!勝手にリンク致してすみません。
はい、そのお話は雪虫さん、以前書かれていましたよね。覚えています。
今度は長沢氏に関して鹿児島ではどんな資料があるのか興味が沸いてきます。ワイナリーの歴史展示室には(本当にがら〜んとして人も来ないような感じでした)明治天皇から表彰された記事を読んだ記憶がありますが、どこに書いてあったのか、分からなくなりました。島津(の誰か覚えていませんが)サンフランシスコに寄航した時、このワイナリーを訪問されたそうです。その時、長沢氏は土下座をして迎えたとも書かれてありました、これもどこで読んだのか忘れましたけど。尊敬されていた長沢が土下座をするのを見て、アメリカ人はびっくりしたそうです。
続き:アメリカでも19世紀の終わりごろから排日運動があり、日本人は酷く差別されましたが、長沢は男爵と呼ばれるほどに、白人社会でも尊敬されていたので、他の日本人から嫉妬され、壁ができたそうです。祖国からも見放され他の日系人からも敬遠されてしまったのですね。
初めて知りました〜このお話。
雪虫さんのところも回らせていただき磯永彦助さんの話など見せていただきました。
すごい歴史があるんですね!
ブラジルに渡った日本人もそうですが当時異国で生活する人達の苦労は私には
とうてい計り知れないものがあります。
今もご健在のAmyさんとkosukeさんの笑顔素敵です〜☆
この地にもいつか訪れてみたいです〜
ところで、そちらでご覧になったアンのDVD私も見てみたいです。こちらにもあるのかな?
長沢鼎という人のことを少しでも伝えたいと思いました。
私もロスに住んでいたころ、日系アメリカ人の強制収容所を訪れがことがあります。多分マンザナールだったのではないかと思いますが。砂漠地帯の真ん中にぽつんとある記念碑。こんな不毛なところに追いやられて生活していたんだなあ、と思いました。
それにしても13歳で遠い異国のアメリカに渡るとは。親御さんはどんな気持ちだったでしょうね。本人も並大抵の苦労じゃなかったでしょうね。
長沢鼎さんという方のこと、とくと心に刻みました。ありがとうございます♪
流石にChicoさん、長沢ワインをご存知でしたか!私は鹿児島出身なのでたまたま鹿児島人がワイナリーをしているという話だけは聞いていましたけど。叔父から。
でもアメリカ人が今は作っていて、本人長沢氏が居ないワイナリーでは昔のワインの味はしないのでしょうね。きっと。
きっとその収容所は未だのこっているのでしょうね。そういうところは残していて欲しいです。私も今回まで知らなかったのですが、収容所に送られたのは西海岸に居る日本人だけだったようです。(カルフォルニア、オレゴン等)でもその頃の日系人人口は西海岸に集中していたと思いますのでかなりの日本人でしょう。
本当にAmyさんとKosukeさんの人生はどんなだったのでしょうね。本があったら読みたいくらいです。
そうですね。矢張り同じ故郷からと思うと親近感が沸きます。それと息子がサンタローザに来るず〜っと前から叔父から長沢ワインの話は聞いていましたから。でもただ鹿児島の人が作っている(現在も)ワインくらいにしか考えていませんでした。正確にはもう長沢のワインの味じゃないんですよね。名前は長沢になっていますが。そしてここのワイナリーでは他の葡萄園でできた葡萄をかって長沢以外の名前でも売っています。長沢と呼ばれるワインはここで取れる葡萄で作っているので数が少ないそうです。
大変でしたでしょうけど、それだけに自分のワインが賞をとった時とか、ヨーロッパに輸出が決まった時とかやりがいはあったでしょうね。何でもそうですよね。一生懸命していると報いられるでしょうから。子豚のママさんもお忙しいでしょうけど、自分の商売ですからやりがいは人一倍大きいですね。
お二人とも長生きをしていらしゃいますから、それなりにお幸せだったと思います。
椿さんからこの公園の話を聞いたんですよね。上のエントリーに追加しました。
長沢公園はファウンテングルーブというとおりに面していて息子の所に行く前にここを通るんですよ。でも写真でもお分かりのようにあまり目立たない入り口で、ここに漢字で「長沢」って書いてあると直ぐ目にはいるのでしょうけど。公園は大きいですが、芝のある公園ではなく、ハイキングコースになっているようです。春になったら歩いてみたいです。椿さんが聞いたのはラジオのニュースだったのですか!私はテレビだとばかり思っていました。椿さんからこのニュースを聞いて息子に電話で聞いたら、知らないって!地元のニュースを日本のブロガーさんから知るなんて面白いですね!
お二人とも高齢でも開園式には出席できて、揃ってこうして笑っていらっしゃると何だかほっとしますね。この記事にも載っていましたが、日系人一世がよく使う言葉は「仕方がない」だそうです。色々な過酷な体験を乗り越えてその度に出た言葉なのでしょう。
ご主人様のご両親は鹿児島ですか!私と同じくらいのお年かしら。鹿児島から送ってくださる家族が未だいらっしゃるっていう事ですね。いいですね〜。
泣かせてしまってごめんなさい。
でも私も同じような気持ちでず〜っと仕事をしてきました。特に5年間のブランクは大きいですよ。でも直ぐ取り戻します。頑張ってくださいね!
ひゃ〜サンディアゴからワシントンに往復ですか!3日かかりですね。うちはここからロスまで行くのに大変だと思ったのに。
サンタローザは101号線にあるので、カルフォルニア縦断の5号線からはちょっと回り道になるんですよね。それでいらした事がないのかも。この当たりの海岸線もとても素敵ですよ。マンディシノとか。今年は秋にナッパに行きたいです。あそこの葡萄園の紅葉がとても綺麗なんです。
現在、外国で暮らしている私たちは、大いなる苦労の遺産に支えられていると改めて実感します。
しかし、、、日本くらいでしょうね。お金さえあれば、外国人でも土地が購入できるのは。
ブログ仲間の在独奥様たちは、国際結婚をしているので気づいていらっしゃらないようだけど、ドイツは外国人に土地を売りません。法律なので抜け道はあるでしょうけど、集合住宅の分譲物件は買えても、土地つき一戸建てとかはダメなんです。
ドイツ人の立場になれば納得しますが、同じ納税者としては、なんとも・・・。
財産没収になった人達の数はこんなものじゃないでしょうね。長沢は江戸時代の終わりにアメリカに移民した3人目ぐらいの日本人です。その前はペリーの通訳をした万次郎(?)と船の遭難で流れ着いたもう一人の日本人と3人目が長沢らしいです。長沢が19世紀の終わりくらいに日本からの移民を呼んでいますから移民の先駆者ですね。なるほど、それで移民には鹿児島人が多いわけです。サリーナスには鹿児島人が多いんですよ。鹿児島にはアメリカ村って言われるくらい大勢移民した町があるくらい。でも新天地に行くわけですからそれ相応の覚悟はあったでしょうね。皆さん。
ふふふ、ユッチャニイさんは3世かと思いましたよ。
昔程に露骨ではありませんが、今のアラブ人、テロがあってから、テロリストと疑われて無実で未だに刑務所から出られない人達がいるようです。週刊誌で問題になっていた一人は、9・11の後、貯水池の写真を撮っていて連行され、それ以来6年も刑務所らしいです。テロリストは怖いですけど、間違われて捕まった人達を思うと悪い歴史は繰り返されているって感じます。
アンのDVD、絶対にあると思いますよ!確か3枚か4枚になっているはず。
アンの成長が分かって凄い映画です。16年も同じ役者ですものね!最初の16歳のメーガンが可愛い事!DVDにはこの役を得る前のオーディションのアンが出るんですよ。それと撮影中のメーガンのインタビューも。
あの時代にアメリカの移民って凄い事ですよね。今と違って本当に未知の国に行くわけですから。日本の発展は日系人にも誇りであったでしょうね。私もトヨタのランキングが高いと嬉しいですから。
夕張メロンさ〜ん!
夕張メロンさんさんのブログにコメントが入りません!も〜1月以上も!サーバーが何かしているようですよ。ばぶおさんのブログもそうでしたから。
13歳で凄いですね。13歳でも侍ですからね。多分生まれた時から侍としてそだったのでしょうから根性が違うんでしょう。それと藩の学校で秀才だったそうです。13歳で選ばれるくらいですから、本当に秀才だったのでしょう。そういう頭の良さがワイン作りにも貢献したのでしょうね。ワイン作りの神童と言われるくらいに研究をして居たらしいですから。頭の良さは鬼に金棒です。
本当に知られていないと思います。
知られていない理由は、西南の役に帰ってこなかった長沢を薩摩は故郷を捨てたとみなして、雪虫さんも上で書いていらっしゃるように、長沢からの寄付金も返しているんですね。その後は長沢氏のアメリカにおける実績も大きかったので大分態度が和らいできたそうですが。そして生憎丁度アメリカでは排日運動の頃ですから、長沢のカルフォルニアワインの業績も無視されたのでしょう。とても悲しい事です。これがヨーロッパ人だった今頃ナッパバレーでも知らない人は居ないくらいに有名になっているところでしょうけど。
本当に昔の人達の苦労を思うと、今は楽です。ぶつぶつ言っていられない気持ちになりますよね。
私は収容所を未だ写真でしか見たことがないです。いつかは絶対に見てみたいと思っています。
夫のお友達3世の方で小学校の時収容所に入っていたそうです。その方は未だ子供なので、日本人の子供が集まってとても毎日楽しかったと言っていました。食事は家で食べていた食事よりも収容所の方がず〜っと良かったとも言っていました。それは子供だからそう思えたんでしょうね。でも子供だけでもそういう楽しい思い出になったと聞いて嬉しかったです。
え〜っ!そうなんですか!
私はこのエントリーを書きながら、ドイツに渡った日本人達はどうだったのかしらと考えていました。ドイツと日本は一緒に戦った国ですからこういう差別はなかったのではないかと思っていますけど。でも外国人は土地をもてないのですか!今頃そんな!驚きです。アメリカでは考えられないですね。
アメリカではテロ事件いらい厳しくなりましたけど、その前は一億円以上の資産をアメリカに持ってくれば、自動的に永住権が取れるとかは聞いた事がありました。
ヨーロッパは他の国でもそうなんでしょうかね。でもスペインに日本人が退職後住む人が居るって聞きましたから、国によってちがうのでしょうか。
故郷でも冷遇されてしまったなんて、本当に心が痛みます。
ドイツでも外国人が増えるに連れて、ネオナチ等の事件も絶えません。
普通のドイツ人は日本人も、中国人も、ベトナム人もアジア人で区別がつかないし、戦時中一緒に闘ってたとか、もう全然関係ないですしね。
そして、たまに知り合いになる日本人に(在外期間が長いと)「ドイツ人になっちゃったねぇ〜」と冗談っぽく言われることがあるんですが、不意に傷つく瞬間があるんですよねぇ。
今回の長沢さんのお話を知って、他国で頑張って後に何かを残せる人もいるんだってちょっと心強く感じました!
私の母方のひいおじいさんは、ジョン万次郎のように米国にわたり、船の船長さんにフィラデルフィアのハイスクールに入れてもらったそうです。
今年83歳になる伯父の回想録で知りました。
英語をマスターしてハワイに渡り、ホテルマンになり、その後、朝鮮に渡り、廻船問屋のようなことをして、神戸にもどり、会話が出来るので商社につとめ、外国との貿易、通訳などをしていたそうです。
祖母はオアフ島で生まれ、朝鮮で育ち、祖父と結婚、東京で暮らしていたころ、関東大震災にあい職がなくなり、祖父が台湾に渡りました。私の母は台湾で生まれました。第二次大戦で小倉に引き上げてきました。
おなじ一生ですが、今の私には考えられない行動力と反乱万丈の人生です。
確かに。もうこの時代昔日本と一緒に戦ったなんて知っている若者もいないくらいでしょうからね。アジア人の顔をしていれば皆同じに見えますし。アメリカにも未だKKKがいますからね。でも最近はKKKより潜んでいるテロリストの方が怖いかも。
Busukeさんはドイツも〜長いんですか。私もアメリカでの年月の方が2倍くらいに長くなったのですが、何時までも日本人が抜け切れないというか、アメリカ人にはなりきれないです。Busukeさんだってそうですよね。なれるわけがないですよ。もう30年以上住んでいるんですからネイティブの英語になってもいいのにね〜。未だに鹿児島弁ですから、最初に習った言葉って凄いですよね。子供の頭って一生残るんですね。
Naoさんのひいおじいさんって凄い方ですね!その時代にですから!全くジョン万次郎と同じですね!お祖父様の回想記、素晴らしいですね。私の祖父も回想記を書いたんですよ。残念ながら私の手元にはコピーがないのです。従姉妹が持っているのですが、近いうちにコピーしょうかと思っています。孫になると知らない事が沢山ありますよね。私も頑張って書こうかな。特に子供達は私の祖父母になると全くしりませんから。問題は英語で書かないといけない!(爆)
本当に波乱万丈の一生でしたね。それを見ると昔の人って強いですよね。戦争も行きぬいたのですから。因みに私は戦後生まれで、苦労を知らない世代です。
昔と違って、アメリカは凄くリベラルになっていると思います。まあ最近はテロなどの影響でグリーンカードすら持たない私にはなかなか厳しいですが・・・。それでもこの国で私たち日本人が生活できるのは先人たちの努力の結果だと思います。感謝。乱文失礼。
初めまして、コメント有難うございます。
本当にアメリカも変わりましたね。
ロスの黒人暴動も歴史になっています。ましてや日本人への偏見も。Matsudaさんはカルフォルニア在住ですか?カルフォルニアは外国人が住むには最高の場所だと思います。自分の気持ち次第で色んな可能性があるところですね。本当に仰るとおり。ここまで来るには先人の努力があったからですね。先日PBSで日本人強制収容所のドキュメンタリーを見ました。まだまだ知らない事が沢山ありました。改めて日系二世の大変な過去を知りました。今70〜80代の方々ですね。そして改めて日本人って良い性格をしていると思いました。
3、4世になると日本の歴史を知らない人が多いでしょうね。といいながら私も大分忘れています。
中国人でも3、4世になると話せない人が多いです。学校で英語だけになっちゃうと難しいようですね。親が最後まで母国語で話すのが一番大切なのでしょう。うちの子供たち、かなり上手に話せたのですが、家を離れてから忘れてしまいましたね。私が日本語だけで話すようにすればよかったのですが。これは失敗でしたね。
初めまして。コメント有難うございます。
一世の日本人、今では想像もできないような辛い時代を生き抜いたのですね。だから日本人の財閥が少ないのでしょう。財産全部没収でしたから。でも皆さん明るいです。本当に、今の日本人にはないものがあったのでしょう。
82歳という彼女、とても幸せそうで若々しいです。お兄さんも90歳で毎日ゴルフしていらっしゃるそうです。あの朗らかな笑顔からは伺えないご苦労があったんですね。
勉強になりました。ありがとうございました。
ご返事がすっかり遅くなって申し訳ありません。今日は又公園のお話がでたのでここを開いたらさらママさんのコメントに気がつきました。
凄い!!Amyさんにお会いしたのですか!!Amyさんは82歳ですか! 本当に最近のお話だったのですね〜。写真を見ると一昔前のお話のようですがあれから未だそんなに時間は経っていないのですね。でもお元気そうでお幸せそうで本当に嬉しいです。
先日、父や叔父が参加している鹿児島歴史の会に付き添いとして記念碑を2時間で廻るイベントに参加した際に長沢の事を学び、現在ワイナリーがどうなっているのかを知りたくて検索していてこちらへ参りました。
日系の方々が苦労した事は色々なドキュメンタリーやドラマで知っていましたが、長沢ワインにもこんな悲しい話があったのですね。じーんと来てしまいました。
LAでお仕事をしていた時に長沢公園とワイナリーへ行ってみたかったです。(知らずにスターリングに行ってしまいました ^^;
)
実は私は、長沢鼎翁を大叔父様にもちサンフランシスコ在住のアーティストであるMary Ijichiさんと知り合いです。
彼女から長沢鼎氏の話を聞き、とても興味を持ちました。
残念ながらマリーさんのお父様、Ijichi
Koさんは一昨年の感謝祭の時に90歳を超えるご高齢でお亡くなりになりました。
今回、来月7月に、マリーさんらアメリカのご子孫であられるIjichi家総勢十数人が、いちき串木野市に開館する『薩摩藩英国留学生記念館』式典に、招待ではじめて鹿児島を訪れるそうです。
長沢鼎氏の日本側のご親戚にも、初めて会われることになるそうです。
残念ながら英語の資料が少ない関係で、
長沢翁が日本を出てこられた当時の状況等はあまりご存知ではなく、日本語の資料から得た私からの少ない情報を今回、喜んでくれました。
ファウンテングローブは1960年代にオランダ系移民一家のものとなり、今はパラダイスロッジとして営業しています。建物の中に長沢鼎氏をたたえる小さな記念館がありたくさんの家族写真や、日本を出た当時持参した刀などが展示されています。
今回、2代目の現在のオーナーも、記念館式典に参加されるそうです。
時代に翻弄された悲しい歴史をもつIjichiさんご一家ですが、この土地を継承した新しいオーナーと、原点であるいちき串木野市で接触を持たれることが新しい歴史の幕開けになればと遠くから願っています。
以上、長沢鼎氏直系の子孫、アメリカにいるIjichi 家の現在の状況を簡単に記しました。ご参考になれば光栄です。
長沢鼎翁が大叔父様ですか!
Mary IjichiさんはAmyさんかKosukeさんの娘さんですか? Ijichi KoさんとはKosukeさんの省略名ですか? Ijichi Koさんは一昨年(2012年)に90歳を過ぎる年齢で亡くなられたというと Kosukeさんのことですね。 2007年に私が調べた時 新聞記事に88歳と出ていましたから2012年に93歳になりますから計算が合います!! そうですか Kosukeさんは亡くなられたのですか。 Amyさんは健在ですか?
今Wikiで(英語)調べたらThomas Lake Harrisのことした出てこないのです。Thomas Lake Harrisのところに長沢氏の名前が出てくるだけで。 こんなに偉大な方 カリフォルニアワインの土台を築いた方がただ戦争の為に日本人だからという理由でWikiに情報が見つからないのはとてもともて悲しいです。 どなたかご家族にWikiに長沢氏の情報を載せるように是非提案してみてください。 日本語のWikiにはちゃんとあるのに。 財産没収の事実も ちゃんと家族に遺産が残らなかったことも書いて欲しいです。
私の中学の数学の先生が伊地知先生でした。 地方からの出身でしたからもしかしたら伊地知家のご親戚だったのかもと思いました。
早速のお返事ありがとうございます。
おっしゃる通り、Mary IjichiさんはKosuke Ijichiさんの娘さんです。英語表記ではKosuke Ijichはi Ko ijichi, Kosukeさんのお父様、つまりMaryさんのおじいさまで長沢鼎翁の甥の伊地知共喜さんは、Tomo Ijichiとなっています。
Amyさんに関してはまだご健在だと思いますがくわしくは知りません。
長沢鼎翁が築いた全財産のその後の経緯については、Ijichi家にとっても感情的にも敏感な問題で、Koさんもご家族にはあまり語らなかったそうです。そういう状況下、他人の私が介入できる領域ではないと思いますので、その辺はご了承ください。
ただ家族の歴史をもっと詳しく知りたいであろうMaryさんに、今回の長沢鼎大叔父の誕生地を訪問することで新しい発見ができればいいなと思っています。
『伊地知』という名前は鹿児島独特の名前のようです。案外遠縁だったりするかもしれませんね。
Tomo Ijichiさんが日本から移民してこられたのですね。 そしてアメリカでKosukeさんとAmyさんが生まれた。。。ですね。
そうでしょうね。 財産がうやむやになってしまったことだけでなく その裏にはどこにも向けられない怒りや悲しさやあったことでしょう。 今のワイナリーの一階にはすべての事が書かれています。 私はあそこに行って長沢ワイナリーの歴史を読みました。 いつかあそこに書かれてあることがそのまま Wikiに載せて世界の人に公開できたらいいですね。 あそこに書かれてあることを読むまで 長沢氏がカリフォルニアワインの土台を築いた方とは全く知らなかったです。 鹿児島とサンタローザが姉妹市なんですね! 私はそのことを2003年に知りました。 母の介護に来てくださった方がサンタローザからの交換留学生の世話をなさっていたのです。 その4年後にあのワイナリーに行って 成るほど〜と何故 サンタローザと?のなぞが解けました。
今回Maryさんが日本に行かれたら会われたことがないご親戚にも会えますね。 ルートを求めて。。。 実り多い旅になりますように。
ご理解していただいてありがとうございます。
Maryさんのお話だと、長沢鼎翁がご存命中にTomoさん(ご夫妻?)を日本から呼び寄せたそうです。それはご夫妻のお子さんに継がせるためだったそうです。
鹿児島市とサンタローザ市が姉妹都市だったとは知りませんでした。これも長沢鼎翁の功績をたたえてということなんでしょうね。
今は他人の手に渡ってしまったワイナリーにはMaryさんはじめIjichi家ご一家はあまり行かれないようです。おっしゃる通り、Maryさんの話だと、お父様のKoさんの怒りや悲しみは大変なものだったそうですが、子供達の前ではあまり表さなかったとか。でもMaryさんたち子供は、父親の内なる複雑な感情を察して、あえてワイナリーには足を運ばなかったのではないでしょうか。今のオーナーさんのこともあまりご存知ないようです。
今回の旅が本当にいろいろな意味で実り多い旅になるように、そしてそのお話を聞く事を楽しみにしている私です。
Tomoさんご夫婦を日本から呼び寄せたお話はワイナリーの展示室に書いてあったような。 後でゆっくり読もうと思って書かれてあったこと 写真に撮ってきたのです。 また出して読んでみたくなりました。 Koさんのお怒り 大変なものだったでしょう。 Tomoさんが訴えた事 どこかで読みましたが裁判では負けてしまったのですね。 外国人にはとても厳しい時代だったのでしょう。 今のワイナリーに行きたくないお気持ち そうでしょうね。 あの直ぐ近くに4年前だったか 公園ができたのです。 サンタローザ市は何とかというアメリカ人の名前にすると決めていたのですがそこは昔長沢氏の土地。 当地の日本人Communityが長沢氏を称えるべきだと意見が出て 結局 Nagasawa Parkという名前になりました。 本当はKoさんの土地だったのにね。 息子の家から直ぐ近くで何度か行きましたよ。
ご返事が遅れて本当に申し訳ありません。 コメントに気がつきませんでした。
2008年に帰国した時 照国神社に行ったのです。 境内の前に小さな屋根のついたお知らせのようなものが並んでいて それを読んだら長沢氏の事だったのでびっくりしました! 長沢氏の事は鹿児島でも近年になるまであまり知られていなかったのですね。 帰国しなかった使節として 薩摩藩からは好意的に見られていなかったからのようです。 でも時代が変わってこうして功績が認められるようになってとても嬉しいです。
その頃農場を経営していた日本人は成功した人が多く、人種差別やねたみの対象になっていました。取り上げられた農場、トラック、家は二束三文で売られたそうです。こうして日系人は全てを失ったのですが、後に2万?の補償金が支払われた時には、もう多くの人が(夫の父、祖父母を含め)亡くなったあとでした。
最近日本では韓国や中国を攻撃する『嫌韓嫌中』本が売れているそうです。戦争の怖さや記憶は体験者から若者に、そしてその後もずっと継承してほしいものです。
Nagasawa Parkについては前回ワイナリーを訪問したあと知ったので見逃してしまいました。
長沢鼎氏の軌跡や功績、その後の家族の歴史について、私はまだまだ未熟です。Maryさんに話を聞いたり、もっと勉強して、次回は是非Parkも訪ねてみたいと思っています
日本での評価がどうであれ、江戸時代末期の日本の一武士が遠い異国で残した功績は尊敬に値します。今回、主に長沢鼎氏をたたえた『薩摩藩英国留学生記念館』を長沢氏の地元で開館することは、Ijichiさんご一家にとっても大変名誉で嬉しいことだと思います。これを機に、日本での『長沢鼎』への評価が一段と高くなることを願っています。
日本語がいくらか話せる人と友人になったそうです。また 私も オレゴンの日系の人々の会を読んでみると 歴史を学びたいと痛切に思います。会報誌を希望してみようかと思っていました。
http://www.japanjournals.com/index.php?option=com_content&view=article&id=1544%3A2011-10-20-08-59-29&catid=72%3Asurvivor&Itemid=103
カリフォルニア・ワインの創始者であり、日本でもアメリカでももっとその偉業が讃えられるべき方なのですね。Wikiにも殆ど長沢氏の情報はありません。長沢氏の生涯をドキュメンタリーにして、世界中にその名を広めてほしいです。
まだ若いならやり直しもできますが 私の年でキャンプに追われた方達の気持ちを思うと気が遠くなりそうです。 今まで一生かかって築き上げたものがなくなるのですから。 家は安住の場所、それがとられてしまうなんて 本当に想像もできない時代だったのですね。 私の2軒先は日系人が住んでいますが 2万ドルでレキサスを買っておられました。 でも家や土地の賠償にはとてもともて足りない金額ですよね。 憎しみはいけませんよね。 憎しみからよいものが生まれるわけがありません。 本当に戦争体験者が少なくなることは怖いです。
鹿児島も今は長沢氏を称えていますよ!! 英雄になっています。 13歳から使節に選ばれるような優等生だったのでしょうから 外国でも大成功するのは頷けます。 薩摩藩英国留学生記念館を検索してみました! 平成26年7月完成予定って出ていました! 今平成何年ですかね? 笑 串木野市の海のそば! 素敵なところですね。 いとこを説得して次回帰省したときは行って見たいです! 26年って来年ですかね?
長沢氏の歴史は映画にもドキュメンタリーにもなるべきでしょう。 でもアメリカでは実現しないかもですね。 でも日本では映画化するべきお話だと思います。 ポートランド 行ったことがあります! ちょっとサンフランシスコのような感じでしたね。
段々 一世や二世が少なくなっているからでしょうね。 むべさんが住んでいるところも日本人がすくないですか。 最近アメリカに来る日本人よりも昔来た日本人の方が日本人会に属す方が多いかもですね。
私も鹿児島に住んでいたのに知りませんでしたけど 帰国するたびに叔父がカリフォルニアの長沢ワインってしっている? 鹿児島の人なんだよって言っていたのを思い出したのです。 叔父はワインが好きですからそして地元のデパートでは長沢ワインが売られているのです。
このサイトは知りませんでした。 本当に!すべてが書かれてありますね。 これが英語のWikiにも出ていたらいいのにね〜。 URL有難うございました。 叔父に教えてあげなくちゃ!
パソコンを持っていないのでプリントして送ってあげたいです。
長沢氏の映画かドキュメンタリーができるといいですね〜。
いえ、平成26年は今年ですよ。ですからMary Ijichiさんご一家が招待されて今月、大叔父様の出身地で開館される『薩摩英国留学生記念館』の開館式典のためにアメリカから行かれるわけです。
わたしもいつか是非訪ねてみたいと思います。
そうですか、鹿児島では長沢氏の評価は高いわけですね。安心しました。
優秀だけでなく、成功するためにはご本人も相当の努力をされたのでしょうね。長沢氏は本当の意味で『ラストサムライ』なのかもしれません。長沢氏から3代下がったMaryさんたちご子孫ですが、その精神を受け継いでいるようにお見受けします。
今回日本でまた大叔父様について新らしいしいことを発見してほしいと思っています。
今年は26年でしたか!! 開会式の為に行かれるんでしたね!
Under a Vast Skyさんは日本で生まれたのですか? ご出身は鹿児島ですか?
Maryさんがいらっしゃることには梅雨が明けているといいですね。 鹿児島はとてもともて暑いのでサンフランシスコの夏からではびっくりされるでしょうね。 楽しい旅になるといいですね。
私は東京生まれの東京育ちですが、結婚を機に海外生活が始まり30年がたちました。
もともと日本の歴史が大好きですから、今回Maryさんから長沢鼎氏の話を聞き、とても興味を持ちました。
鹿児島は行った事がありませんが、是非一度訪ねてみたいと思います。
Mary さんたちが日本へ行かれる7月中旬には大雨や台風等、自然災害がなければいいなと思います。
そうですね。 大雨や台風がなければいいですね。 毎年 7月の中旬頃から梅雨明けでした。 開会式の頃は梅雨明けしているといいですね。 急に暑くはなりますが。
鹿児島生まれ鹿児島育ちでアメリカ在住の45歳男性です。アメリカには13年前から住んでますが、CAには去年移ってきました。長沢鼎のことは、中学、高校を通じて学校や巷でよく聞いていました。時には山形屋でNagasawa wineが売られていることもありました。CAに引っ越してきたので、今週末念願のNagasawa parkやワイナリーを訪れます。とても悲しい物語ですが、先人の偉大な方に学びたいと思っています。
え〜〜〜〜「長沢鼎のことは、中学、高校を通じて学校や巷でよく聞いていました」 そうなんですか! 私は全く聞いていませんでした。 長沢氏が日本に帰らなかったので薩摩の命令に背いたとして何十年も長沢氏は帰国できなかったようですね。 でも2008年に帰国した時 照国神社に写真や功績がたたえられていたので びっくりしました。 あれはいつできたのでしょうね。 前からあったけど私が知らなかっただけでしょうか。 直ぐ近くに住んでいたのですけど。
それにしても 本当にカリフォルニアワインの土台を築いた方ですね。 カリフォルニアで名前が知れ渡っていないのがとても残念です。
Paradise Ridge の中にある小さな記念館に展示してあった長沢鼎翁の業績を称えた数々の品、若干13歳で日本を出発したときに身につけていた紋付袴や刀など、、たくさんの貴重なものが全部失われてしまいました。知り合いのMary Ijichiさん〜長沢鼎翁の後継者だったTomo Ijichiさんのお孫さん、Ko ijichiさんの娘さん〜が『全部失くなってしまった!残ったのは思い出だけ!』ととても嘆かれていました。私にとっても本当に悲しい出来事でした。
サンタローザの住宅街はまるで原爆投下あとの広島市内、終戦時の焼け野原・東京のようです。たくさんの方が家を失い、亡くなられたり行方不明になったりしています。
とてもショックで悲しい一週間でした。
亡くなられた方のご冥福を祈ると同時に残された方々が一日も早く立ち直る事をお祈り致します。またサンタローザ市はじめ、被害に遭った土地が早く復興できますように願ってやみません。