”量子コンピューターとは何か”を読んで、20年前の技術書(というか技術雑誌の記者がわかりやすくまとめた入門書")なので現代では解釈が変わっているものではあるが、序章からフェンダーデラックスリバーブの回路の話から構造主義的な思考で、量子力学の難解な部分を大まかに括ってブラックボックスを作り、飛躍を持って解釈をしていくという力技に感動する。一種のフィクションとして、リチャードパワーズの小説を読んでいるような興奮で読めた。
20年前の技術書というのも加味してリチャードパワーズ的なフィクションとして読んでる。 pic.twitter.com/JjSeYbVtMJ
— Akira.I (@outtakesrecords) 2026年2月23日
過去と未来の重ね合わせの中で、確定をさせずに、保ち続ける。エリックドルフィーが放ったあの最後の台詞が少しだけ矛盾を持って蘇るようだ。
When you hear music after it’s over, it’s gone in the air, you can never capture it again.
なんとなく見た閃光のハサウェイがめちゃくちゃよくて、今やってる第二章のキルケーの魔女も映画館に観にいく。テロリストの話なので夜間のシーンが多く、そして画面がちゃんと暗い。戦闘シーンも少なくて暗いのでガンダムの全貌もちゃんと見えないのがいい。第一章の唯一のガンダム戦闘シーンで落下するコンテナからガンダムの手が現れるシーンはエヴァかと思った。そして、キルケーの魔女を見て自分が見たかったシン・エヴァがここにあったと割と真面目に思った。エヴァもなんか続編作るようだが、、
偶然にも?去年、逆襲のシャアを観ていて、ハサウェイの生い立ちみたいなのもわかった上で2作を観たので明らかなトラウマを持って、矛盾の中で狂っていく様は怖いけれど惹きつけられる。ギギが黒幕っぽくも見えるのだけれど(魔女のようで実際は全て把握していた)といったオチはあまりにこの物語には合わないので多分違うのだろう。頻発するプールのイメージとか、クエスやアムロが実像を持って出てくる感じとか、明らかに不安神経症の怖さが節々にあって、症状持っている人が見たら発狂するんじゃないかってくらい怖い。
キルケーの魔女を見ている最中、背景のリアルさ/動きのなめらかさとか、一貫して意思を持った演出とか、混乱を極める状況でも面白さを失わない脚本とか、それこそクリストファーノーランの映画を観ているくらいの安心とドキドキの感覚がずっとあって、これを日本で作れているのが本当に信じられないなと持った。(アニメ映画は基本見ないけど、それこそ鬼滅の刃とかチェンソーマンとか売れているアニメ映画は多分こういった映画としての完成度というのとは違う方向なんだろうなと思う。見てないけど、広告で流れてくる映像とかの感じで)
去年見たオダギリジョーの映画もよかったし邦画が意外と面白い。
ガンダムの方はちゃんと興行収入もあるみたいなのでこういうのがもっと活発になっていくと良いなと外部の人間としては思う。
この間いったzazen boysのライブSEがずっとニールヤングで、それ以来ニールヤングばかり聴いている。それでいちばんすきなTonight's the nightが50周年版として配信されていて聴いたり、三部作の一枚目(time fades away)が配信されているのを今更知って聴いたりしている。ニールヤングのギターはレスポールそのものみたいな音だけど、一発でニールヤングとわかるのがすごい。骨太なのに中心に空があるようなイメージ。そして曲も何か特徴的な構造があるわけではなく、明確なサビへの盛り上げがあるわけでもないのにグッとくる瞬間がたくさんある。この軽さと重さの重ね合わせによって確定せずに過去から未来へ拡散する音が、記録されたレコードで(電波に乗ったデータファイルで)再生される私の部屋で確定する。
そんなイメージが湧いてきて、曲がたくさん作れる気がしてきた。
近所の公園にあるビオトープに去年ごろから三脚カメラをたづさえたおっさんたちが溢れかえっていて、まあ趣味を謳歌するのはいいと思うけど、ビオトープの機能としては全然意図と違うのではと見るたび思ってしまう。大きめの鷺とか知らない鳥が結構居着いている場所なので写真を撮りたい気持ちはわかるし、カメラの性能を試すみたいなメカ的な視点もわかるけれど、例えば携帯のライトで照らして花壇の花を撮影するの見かけたりすると、それはもうなんの意味があるんだという気持ちに。森山大道とか中平卓馬が街をスナップする様を映画とか特集で見たことあるけど、あの人たちは盗み取るという行為を自覚した上で、その後ろめたさを込みで(隠れて、コンデジで、ファインダーを覗かずに、と色々と工夫して)街にその存在を気づかれないように写真を掠め撮っていく。その様を知っているから、ビオトープに三脚を立てて大勢たむろして罪悪感なく、誰かが育てた花や動物それ自体を掠めていくのはなんともダサいと思う。