月曜日は木更津に行って火曜日から土曜日まで海外にいた一週間。日曜日朝に帰ってきて泥のように眠る。海外中は結局ガルシアマルケスの悪い時を読んでいた。判事=町長≒神父のような感覚があったが、登場人物の多さからなのかわからず。秘密のビラによって疫病のように拡散される不安感はそのモチーフだけで幻惑的であるが、確かに百年の孤独の前の小説という位置付けもあって広がりという意味では閉じている。(その閉じ具合が小説の閉塞感にもなっていて個人的には面白いが)
そういえば"ママグランデの葬儀"はどこかで読んだことあると思っていたが家に戻って短編とかを漁っても題名がなくて、未読かもしれない。
海外の夜は外は交通量が多くて騒がしいのだけれど、本を読むしかやることがないので心は静かに過ぎていく。有難い話で航空チケットとかホテルとかの手配はほとんど勝手にやってくれる環境で朝も9時までに準備すれば良いので結構時間がある。MLBで大谷を見たり、本を読んだり、動画を見たり。なんとなく日本にもセカンドハウス的な一部屋をどこかに持っておくのも良いのかもと思ったりした。地方であればそこまで家賃かからないし。テレワークとかにも良さそう。
飛行機ではいつもぴあフィルムフェスティバルの受賞作を見ているのだが今月のは結構短編が多くてすぐに全部見てしまった。商業化を前提としていない作品たちはアイディアいっぱつで撮られているもの、それでも商業的な演出の秀作としてあるもの、全く文化圏の違うもの、とかほんとに色々あってべつに批評できる立場ではないけれどここから始まるといった感じ。
そんで時間が余ったので見たことなかった"アメリ"を観る。なんだかフランス映画でこれをやってしまうのは勿体無いとは思うけれど、ヒットするのはわかる。自分はウェスアンダーソンは苦手で、ロイアンダーソンが好きなのだが(別に比べるものでもないけど、ストレンジな人たちの映画を撮る人という意味で)、アメリはちょうど中間といったところでなんとか見れた。それでゼロ年代に日本のミニシアターで溢れていたあの感じたちはここからきてたんだなとも思ったりした。
帰りの空港のラウンジで本当にふとceroの武蔵野クルーズエキゾチカの歌詞が頭でループしてまだ配信してないのかなと思って調べたら下のインタビューが出てきた。
ヘタウマとはちょっと違うけれどスキルではなくアイディアをとるというのは自分の感覚にもあって、ceroが出てきた時はもう全部やられてしまったと思ったものだ。yellow magus以降にスキルを求め出したというのも勇気があってすごいと思ったし実際にそこから街の報せまでの流れは完璧だったと思う。PLMS以降はスキルが極まり過ぎている感があってあまり積極的には聞かないのだけれど。ディケイドの話で言うと25年からはまたこういった精神的な隙間のある音楽がどんどん出てくるのではと思っている。
日曜日に黒沢清のトウキョウソナタを観る。途中まで結構辛いと言うか不快というかそこまで悪い感じに撮らなくてもというシーンが続くが小泉今日子が逃避行し出すあたりからグッと面白くなる。ラストはご都合主義のようにも思えるけれど拍手喝采で終わるのではなく静かに元の家へ戻っていく様が良い。
〇写生文 ベトナムハイフォン 5/28朝6時
ホテルのレストランでバイキングを食べる。雨季だからか雨は降っていないが湿気で景色も湿気っている。これで冬、春、梅雨と同じホテルに来たが梅雨がやはりいちばん匂いがたつ。ベトナムでもランニングする人はいて健康志向があるのかもと思うが、ネットの世界で色々な基準が見えるからなのだろうか。昨日は電車で1時間、飛行機で5時間、車で2時間移動したから泥のように眠れて朝から調子が良い。適度な疲労は体には良い気もする。部屋に戻ってテレビをつけたら昨夜から日本のスポーツ中継にあわせていたので丁度大谷翔平が20号ホームランをうった瞬間だった。世界のどこでも今日も誰かが何かをしているのだ。