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3人の写真

柴崎友香-遠くまで歩くを読んだ。素晴らしかった。ここ数作はどれがどの話かわからないくらい(それが良いのだが)話という話もない小説であったが今回も似たようで、それでも視点の交差という意味で小説であると思う。小説内で行われる生涯学習のリモート講座の課題で3枚の写真に物語をつけるというものがったが、確かに2枚では物語のルートがある程度限定されるのに対して3枚になることで色々な可能性が生まれる。自分のバンドでも3ピースでやっていることがすごく良いと感じていて、それをなかなか言語化できないのだけれど、例えば練習終わりに飲んでいる時もやはり3人で話すわけで、これが4人であれば2-2で分かれて話すこともできるが3人になると独特のリズムが生まれるように思う。2人ほど簡潔に親密にやりとりするわけでなく、4人や5人ほどそれぞれの輪郭がぼやけないギリギリのライン。そういえばバンドでなくても、3人で飲む時が一番楽しい気がする。自分の話したいこと、相手の話の意味とか、相槌とか、沈黙とか、全てがちょうどいいように思う。

 

前にも書いたけれど、フレドリックトールフレドリクソンのコールドフィーバーという映画の中で永瀬正敏が墓地で写真を撮られるシーンがあるのだが、写真を撮られる側の背景と切り返しで写るカメラマン側の背景が全然違う国みたいで驚いたことがある。カメラ、映画といったものは撮った人と撮られた人という意味では二人の世界にも見えるのだが、実はその撮られたもの(写真や映画)を見る第三者の視点を考えるととても不思議な構造になる。

見つめ合う二人の視点をその外側から見るもう一人の視点がある。そして外側の視点からはその対象物に干渉することができないけれど映像や音によってこちら側でその内側とは別のもう一つの世界を自分の頭の中に作ることができる。コールドフィーバーのシーンで驚けるのは映画をみている自分だけで、映画内の人物にはそれは自然な事象であり、そういった驚きの繋がり、画面の構成が自分にとって映画を見るということにつながっているのだと最近強く思う。

今見ているツインピークスThe Returnもストーリーはどうでもよくて、謎な空間や人物のシーンを見て興奮するわけだし、ここ数年、ホセ・ドノソとか大江健三郎とかいわゆる難読とされる本を読んでいても全然流れるように読めるようになったのはそういうところに興味が移っているのだと思う。逆にストーリーによった小説を読むと冷めてしまうようになってきてもいるのでどっちがいいというのもないけれど、過度に物語性に入り込まずに外側の視点で見るように感覚が推移しているのかもしれない。

それはここ数年、スリーピースバンドを続けて毎月バンドで飲んで会話しているもの関係しているのかもしれない。

 

バンドも力を抜いて(というか過度に物語性を付随させずに)やりたいようにやりたいと思っていて今のところそういう意味ではうまくいっていると思う。アレンジや作曲の面でも気合とか気持ちに行かずに(それも必要だけど第一条件ではない)、それこそ3枚の写真のように物語ではなく起承転結でもない、そのはざまで漂ったままで留められたらと思う。

数週間前に見たホン・サンスクレアのカメラにまったく映画内で登場しない、登場できない写真が一瞬だけ提示されるのだが、そのシーンがあることであの映画はただの物語ではなく、なんだかわからない外側の視点を感じることができるのだと思う。あれはなんなのだろう、と思いながらそれが最後まで解決されないという意味ではデヴィッド・リンチ的でもある。

 

だんだん気温も上がってきているので公園で読書をする日も増えてきた。公園にはベンチがあって日の当たる場所も時間によって違うので猫のように日向を狙って座る。ヘッダーの写真は読書中にふと見上げた時の時計の風景で光の当たり方や気温の感じがとてもよくてなんだか幸せな気分になった。同じ風景を何度も何度も見ているのだけれどそれでも気づく感覚がまだまだある。それは自分の1秒を全てどういう気持ちになるか検討しながら生きている人などいないのだから当たり前だが(そんなことを考えるのに1秒以上かかる)こういう覚醒がまだまだ無限にその断片がどこかに散らばっているというのはとても楽しいことだ。

 

”How small a thought it takes to fill a whole life! ”とヴィドゲンシュタインは言った。

”なんとわずかな思考がその一生を満たすのか”

 

ローリングストーンズのブルーアンドロンサムをなんとなく聴いたらめちゃくちゃよくて、そういえば聴いていなかったA bigger bangも聴いてこれもよくて驚く。そして今まであまり意識して聴いてこなかったブルースを聴き返してみたりする。ハウリン・ウルフ、Tボーンウォーカー、エルモアジェイムス。めちゃくちゃにカッコ良い。今の音楽がハネない8ビートが当たり前なようにブルースの頃はハネるビートが当たり前でそれが早くなればロックンロールやダンスミュージックになるしスローテンポになれば6/8のバラードになる。

ブルースにおいて黒人音楽を搾取して白人たちのみが利益を得たみたいな言い方もされるけれど、例えばストーンズはハネるビートとハネないビートの中間を見つけて演奏していたり、ブルーアンドロンサムのように先人の音楽の凄さを忘れていない。音楽の最終目的が金であるのであれば上記の批判も正しいのかもしれないがい(もしくは当時のブルースミュージシャンが経験した貧困が自分が想像する何千倍も辛いものなのだとしても)音楽がよりすごい、面白い、自分の考えるカッコ良い、音楽であるために作ったのであればストーンズがいることが一つの結果なのだと思う。

 

ブルースタジオでペドロコスタを上映していて観に行きたい。あと、アメリカンエピックを今更観たくなったが配信もしてないしDVDもない。




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