ランドスケープとして音楽の土台とその上に乗る建物としての音楽ジャンルを捉える。そういう視点でカバー曲をいくつか考えてみる。
今バンドでやっているカバーがニルヴァーナのBreedとThe Whoのマイジェネレーションで、グルーヴが出やすいのはThe Whoの方に感じる。ニルヴァーナの方はリズム自体は割と単調でシンコペーション等はなく音色や声で持っていく感じ。音色側が土台に繋がっていてリズムはオルタナ側にあるような構造なので音色の配色がうまく行っていないといい演奏にならないのだと思う。The Whoの方ははねたリズムとキメ、ブレイクが多い(というかそれのみで成り立っている様な)曲なのでリズム側の構造を把握した上で演奏すればうまくいく。
逆に考えると、ニルヴァーナのリズムを編曲する or The Whoの音色を変える等すればより遠くに接続できるのかもしれない。
OASISがカバーしたMy Generationが結構好きで、これは音色がブリティッシュロックでリズムがハネ→8ビートの間くらいの感じで絶妙。
土台とする箇所を可変的に捉えられればより遠くに飛べるのか。
土台を経由せずに別ジャンルに飛ぶと散漫になるけれども、(例えば自分が全く知見がないボカロ系の音楽はそのジャンルにつからないとわからないところで曲が作られているのだと思う。つまり土台に接続していない。そのジャンル内で完結しているから例えばジャズっぽいアレンジであってもジャンル内の幅/強度は高まるかもしれないが偏在性はないのだと思う)まずはリズムか音色/コード感のどちらかを土台として別のジャンルへ移りそこからさらに進化させるルートを辿れば接続性を保てるのかもしれない。
ロバートグラスパーがカバーしたニルヴァーナを見るとリズムもコード感も全く別物のように思えるが、コードのループ感(Aメロとサビで同じコードで進む感じ)に感応している。ジャズからのHipHopを通してのニルヴァーナを捉えれば土台を介して接続できるということだろう。
逆に捉えればそのループ感からオルタナ→Hiphop→ジャズのルートもありえそうだ。
自分のバンドでのBreedの演奏の遍在性を高めるためにはそういった変換も良さそうだと考える。
リヴェットの"セリーヌとジュリーは舟でゆく"、キアロスタミの"そして人生はつづく"を家で見る。どちらも風景を捉えた映画であるがその目指すところはやはり全然違う。キアロスタミはロメール的と言われがちのように思うが自分としては全然違くて、移動する風景を捉えている点ですごく動的に見える。ロメールは静止した中で揺れる木々の動きというか、ある程度箱庭として街を捉えているように思うが(それによって繰り返し、変化していく様に心が動かされる)、キアロスタミは風景自体は移動して人間のカットはあくまで静的になる。ドライバーや後部座席のカットはほぼ数視点しかないが、画面の繋ぎ方や光の加減によって映らない外の景色が内在している。
Switch2が発表になる。ちょうど去年の今頃に若干京都の某社に移るかもという話があって、発表内容を見てなるほどなと思った。ゲーム業界は今年荒れそうだな。
フリクリ繋がりで誘われてガンダム・ジークアクスの先行上映を見に行く。導入が長いなーとは思ったけど本編は良さげ。主要格の人物の目つきの悪さがフリクリを思い出して良い。ロボットものの楽しみ方がいまいちわからんけど(スパロボは好きだけど)重力と空と思春期のメタファーがフリクリの先のようで楽しみ。メタファーと訳のわからん台詞回しを使った人物側の話にしてほしいなと願う。ガンダムファンはあまりこういうのは好きではないのかもしれないけれど。
乗代雄介の二十四五が発売されたので読む。100ページほどの中編だけれどもとても良い。姉と弟の会話がなんだか昔の自分のことを少し思い出すくらいのちょうどいいリアル感があって家族との会話の恥ずかしいけど少し心地よい感じを思い出して熱っぽく読む。
阿佐美サーガものはいつかまとめられるのだろうか。