金曜日に休みをとって池袋でインターステラーを見る。imaxの一番すごいやつ。imax初めて見たけど振動が伝わってきて映画というより体験という感じ。ノーランの作品は結構好き嫌いがあるけどインターステラーは遍在についての話だと思うので良い。(といっても見るのは公開時以来で今回2回だが)。話だけ取るとインデペンデンスデイ的なダサい感動ものになりそう(というかそういった誤読もよく見かけるけど)、あの5 次元空間が最初のショットから映像で提示されていて3時間かけてどれだけ時間も距離も離れたとして閉じられたあの空間に戻ってくるという、ある種の運命論的な視点に自分は惹かれる。どれだけ結果が決まっていようと、そこまでの過程を経験しなければならないし、そうしないことにはたどり着けない、という話だと思う。
あとはimaxでインターステラーを見てノーランの映画は映像技術側に結構振り切っていて、家で見てもあまり効果が薄いのかもなと思ったり。音響の低音の出し方とか、宇宙でのカットで多用する真空下でのちょっとハレーションされてる映像効果とか。そういう新しい技術の使い方を模索するのが楽しい監督なんだろうと思った。なので冷静に家で脚本が、演出が、どうのこうの考えながら見ると、質は高いけどやたら長く引き伸ばされた映画に感じてしまうのかもしれない(オッペンハイマーがまさにそんな感じだった)
帰宅してインセプションでも見るかと思ったが30分くらいでやめてしまったのもそんな理由。
多和田葉子の百年の散歩を読む。ことば遊びっぽく捉えられそうな小説であるが、自分は散歩時の思考をわりとそのまま文章化したもののように感じて気分よく読めた。地名や名詞を音で誤読していく冒頭はまさに頭の中の文といった感じで、そこから景色を見ることで想起される記憶にジャンプしたり戻ったり、考えたり、休んだりする様がまさに散歩といった感じ。散歩をしている時に思いつくことは自分としては結構いいアイディアが多くて、それはこういった外部からの要因によって予測していない記憶と今考えていることが接続されて、予定調和でない考えへ飛躍できるからで、そういった飛躍の流れを文章にされると、なるほどこうやって混沌とした直列な思考になるのかと妙に納得してしまった。
夏目漱石を明暗まで再読して、さて次は何を読もうかと考えてまた夏目漱石の猫を読む。(田山花袋か古井由吉をもう少し読もうかとも思ったけど、暗い気持ちになりそうなのでやめる)
アメリカ文学は今はちょっと読めない感じだ。
配信で亡霊学級がきていたので観る。90年代のあのかっこいいカットで繋いでいく感じ。素晴らしい。ただ、黒沢清とかがやっていた学校の怪談シリーズとは違って割と直接的に幽霊が人間に接触してくるのでアクションぽくもある。90年代は映画版の学校の怪談とかもあって、SFXとフィルムの質感がちょうど良い映画が多くあったが2000年以降のデジタル化に伴って画質が良くなることであの闇の感じが消えてしまってからはJホラーもあんまり惹かれるシーンやカットが少なくなった気がする。ここ最近、90年代的な画質の再現がより精度を増しているが、その技術を使ったホラーが出てきたら面白いのにと思ったりする。
作ってる曲がなんとか形になりそうなので日曜日はいったん休憩。
先週とつぜん思い出した記憶の風景がある和戸に行く。
前に来た時は和戸駅で降りて気に入った緑道を見つけたのだったが、googlemap上で観ると杉戸高野台駅からの方がアクセスが良さそうだったのでそちら側から行く。
それで杉戸高野台駅に降りたら西口の目の前から歩道者専用の緑道が公園までまっすぐ続いていて驚く。(車のアクセスどうするんだとも思ったが)自転車の中学生とかおじいさんとかそれぞれが散歩をしている中緑道を目指すと、その駅からの大通りの両側に枝分かれする歩道が無数にあってそれぞれがそれぞれの路地に消えていく。車のアクセスのできない道がこんなに無数にあることに感動する。
それで、頭に残っていた緑道も本当に当時のままで、天気も良く、良い感じで散歩。
緑道は川に沿って造られていて、反対側は住宅街や学校が設置される。住宅街は緑道の垣根を越えればすぐに移動でき歩道の大動脈としてまず緑道(川)があり、その脇に家や学校(施設)が建てられたのがわかる。なので過去の道(緑道)とその後に造られた現在の道(住宅街の道)が並行している様は遍在性の具現化のようでもあった。川がカーブするとそれに沿って緑道もカーブし、その脇の住宅街もカーブする。川側にもたまに小さな橋があって、橋を渡ると団地や公園にアクセスできようになっていて右側と左側の世界とその真ん中にある緑道、そして垣根と小さな橋によってひょいと簡単にどちら側にもアクセスできるという気軽さはそれだけでそのありようが心地よい。途中ですれ違ったウォーキングをしている老夫婦が、1時間後くらいにまた前から歩いてきて、この緑道が円環構造なのに気づく。そのあたりでgooglemapを開いて確認すると(知らない街でよく散歩をするけど駅でmapを開いた後は基本的には気分の良い方向へ歩く。ので、何回か行ってようやく自分の散歩コースができるのだが、流石に気になったので。これが意外良い結果になった)円環構造もそうだが川側にある貯水池の水が、自分がよく行く東武動物公園の北口側にある(といっても幸手市まで結構歩くけど)ビオトープまでつながっていることがわかって色々とつながった感じ。昔来た時はこの構造に全く気付かず、杉戸高野台駅前の緑道も気付かずに和戸駅に戻ってしまったけれど、今回改めて来て過去と今とその間に見つけたビオトープがつながって長い時間をかけて地図が出来上がっていくような感覚になった。それは、この街のいくつかの時代の道が並列にあるありようにも似てとても心地の良い感覚で、普通にここで暮らしたいなと思った。
次はビオトープまで歩こうと計画する。




