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BLOW UP!!

サリンジャーのハプワースを読み切る。文が良いので読めるが面白くはない。グラースサーガをきちんと追ってきた人であれば時系列を変えて読むと、はじまりの物語という点で面白いのかもしれないが、かなりサリンジャー自身のために書かれたような話に思える。(この時点でもう隠居しているのだからある意味読者が読むものではないのかもしれないが)

 

積み本がなくなったのでホセドノソの境界なき土地を購入して読む。カルロス・フエンテスに捧げられた本であり、読みやすくはあるがあらゆる人の内面にある地獄が少しずつ広がって闇の中で混ざり合っていくような不安感に持っていかれる。

三好銀氏の海辺へ行く道が映画化すると知っておろどく。あれを映画化できるのは大林宣彦監督だけだと思っていたがどうなるのだろう。流れで原作を読み直す、"冬"が一番すごくて"どこかに穴でもできたのかい"の絵の凄さに改めて驚く。三好銀的な後ろ姿が本当に好きで、書き割りのように配置されパースがないような風景の中に現れる時、平面の中でどこに目線を持ってゆけば良いのかわからなくなるあの感覚はこの人の漫画でしか味わったことがない。"そして、また夏"は描かれた時期のこともあって(2011年の後)これまでのような現実感との乖離が少なくてちょっと残念ではあったがそれ以降に出た2冊の新作はどれも素晴らしかった。

昔、中央線沿線の引越そうと計画していた時に西荻窪あたりを探して見たがその理由は"三好さんとこの日曜日"”いるのにいない日曜日"の中で書かれるあの街が本当に好きだからだ。

実際に歩いた西荻は少し都会化されていてあの高架を走る電車の音が、夜の低層住宅に響いて、高架下のトンネルに反響して、家々に広がっていくようなあの孤独な連帯感はなくて、結局引っ越しはしなかった。

あの感じは今三鷹とか西国分寺、青砥あたりにはまだ残っているように思うので引っ越すならその辺だな。青砥は東東京だけど。

 

売野機子の"ありす、宇宙までも"を読む。これはなかなか面白いのではないか。この人の漫画は"薔薇だって書けるよ"から読んでいるが結構絵柄が変わったりして、色々とやってみたい人なんだろうなと思っていて、逆に言えば作品ごとに質が違うので新作が出たら必ず買う人ではなかったのだけど、1話を読んで宇宙モノということで購入。"ふたつのスピカ"という自分にとっての心の漫画がある影響で宇宙ものは大体買ってしまうのだけれど、ほとんどが宇宙に挑戦しますよみたいな感じのヒューマンドラマ的なものに集結するので、何だか違うなとなってしまうことが多い。"ありす、宇宙までも"は当然ふたつのスピカとは全然違うのだけれど、宇宙もので宇宙ではないところに美を見つけようとしているところにすごく惹かれる。今後専門学校に進む展開になったらいいなーと個人的に思う。

 

先週なぜかギャング映画を見たくなってデパルマアンタッチャブルを観る。タランティーノが惹かれるのがすごくわかるというか、ストーリーではなく、カメラの位置や音楽やテンポを変える編集によっていくらでも映画は面白くなるのだということを見せつけられる。人物もテンポ良く死ぬし、キャラも別に立っていない(というか感傷的に掘り下げるつもりがない)のにドキドキしながら見てしまう。例えば主人公の家族が結局全くマフィアから危害を加えられないのは、そういった方向で映画の起承転結を作らないという意志を感じる。あくまで動きだけで見せたいのだと。

流れでデパルマの作品をいくつか見直す。ミッドナイトクロス。大傑作。

ラストあたりのシーンはションベンライダーのあのめちゃくちゃな花火シーンと比べて冷静ではあるが効果的でわかっていてもグッとくる。最後のオチもずっと息抜きとして配置されていたネタを最後に反転させる様は映画として(動きだけで)結を作るという意味でお手本みたいなところまで至っているのかもしれない。ある意味古典になっていることで現在のデパルマの評価はそこまで高くないようにも感じるが、ヒッチコックのように、きちんとした批評を持って評価されるべき映画監督だと思う。

そしてゴダールの"はなればなれに"が配信されているのを知って見る。デパルマの流れで見たのでゴダールがこの映画の中であえて人物たちの心象をゴダール自身が語ったり、語らなかったりする様は映画が感傷的になり始めた時代に対する換骨奪胎のようにも思う。

 

タルベーラのヴェルクマイスターハーモニーの4Kの盤が出てたので購入。久々に見た。観るたび毎回思うが2000年代に思えない。"プリンス"の移し方とか、主人公が天文学者で新聞配達の仕事をしている所とか、サーカス(お祭り)のために広場に集まる群衆とか、老人の指南者の存在とか、すごくブルカニロ博士編の銀河鉄道の夜を想起する。タルベーラが宮沢賢治を読んでいるのかは全く知らないが、サタンタンゴやニーチェの馬などでも書かれる市井の人間側から捉える神話的な話というところでその源流には同じものがあるのかもしれない。

 

杉井ギサブロー監督の銀河鉄道の夜も見返したくなってきた。秋だし。

 

 




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