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トゥワイス・トールド・テイルズ

平日は海外。飛行機の中で映画を見る。

たぶん日本の自主映画の何かの賞をとったやつがいくつか上がっていたのでザッピングする。”リテイク”という映画をなんとなく観てたら最初の方はカットがビミョーだなーと思っていたが景色がいいので見続けられた。後半近くでメタフィクション的に物語がこちら側へ介在し始めて結構面白く見れた。映画を撮るというテーマの映画で、カットのセリフによってシーンが終わり、しかし現実側の時間は流れて行く。その境目がだんだんと曖昧になって行くというテーマは日本のSFやアニメからの引用にも思えるが、自主映画の楽しさと背反する甘さみたいなものが混じって独特な画面になっていた。特に、映画が完成する=正解、という訳ではなく、いくつもの別のルートが示されるという様は物語という枠を超えて映画をどうやって終わらせるかという所に接続されて行く。

最後はみんなでその映画を見ていたというオチにつながるが、もしここで全編を通して出ていなかった、カメラの向こう側でずっと主人公たちを見つめていた監督の姿が画面にあったらいいのにと思った。

あと、主題歌の編曲が結構面白くて、ハミングするパートから同じリズムで歌詞が乗るという流れがいいなと思ってそういう曲の構造を色々考えたりしていた。

 

木曜日に帰国。夏目漱石の道草と論評本の"無意味なもの不気味なもの"を読んでいた。”無意味なもの不気味なもの”の中で庄野潤三の不気味さに触れていて納得する。結構後期のほんわかした家族の話を書く作家みたいなイメージが強いが自分は圧倒的にプールサイド小景が大好きなのでそちら側をもっと掘りたい。でも文庫化されていない。(紹介されていた黒い牧師も読んだことがないので読みたい)

帰国して、近所の公園を散歩していたらまた矢印を見つける。

今回は隅田川へとつながるルート。結構普通に散歩する道だったが矢印に導かれて擬似的に迷いながら歩くので、なんだか始めての町のように歩けるのがいい。

 

土曜日は友達とキャッチボールして河原でお昼を食べる約束をしていたが子供が風邪をひいたとのことで延期。みんな元気になったら改めて行きたい。

時間ができたので考えていた曲のアレンジを進める。ついでにノリで買ったMicro Ampを試す。音色を変えずにブーストできるので良い。ブルースドライバーと入れ替える。

 

夜に"違国日記”の映画を見に行く。冒頭から全く必然性のないカットがずっと続いてうんざりする。ので高校生パートくらいまで見て映画館を退出した。別に原作に思い入れがあるわけではないので、ここが違うみたいな意見はないが、単純に映画としての完成度の低さについていけなかった。漫画の物語が良いと思ってこの映画を作っているのはわかるけど映画にするための必然性を全く感じなかったし、そもそも次のカットを考えて映像を撮っているようにも思えない、かといってアドリブで北野武やヌーベルバーグのようにキレのある演出があるわけでもなく、ただただ人物を物語の駒としてカメラで録画するということにしかなっていない感じ。初めて映画を撮った別の業界の人かと思ったら数本別の映画を撮っていて、なんというかこういったものを見続けたい人がいるのかという素朴な疑問が起こった。山戸結希みたいにスキルよりも撮りたいという気持ちを優先するやり方であればまだ見れたと思うが、"違国日記”の方はあくまで漫画が原作で映画を撮っていますよという免罪符を盾にしている感じが作る側に覚悟がないなと思ってしまった。(学校のシーンで主人公の中学生が職員室に連れていかれる後ろを同級生がついて行くという演出があるのだがピントが主人公側にあっていて後ろの同級生がぼやけていた。なのでなんとなく何をしたいかはわかるけど、ただ主人公を心配している友達の演技をしている人がぼやけて写り込んでいるだけの画面になっていて、撮っている側のなんの意思も感じなかった。つまり、脚本のト書きに沿って取られているだけで、ト書きをどう撮るか、どう見せるかといった意思が全く感じられない。そんなシーンばかり続くので本当にこの人はこの作品を映画にしたいのかなと重っったし、それが演出というのならそういったやり方は自分だけのための映画でやればいいと思ってしまった)

 

ギヨーム・ブラックのみんなのバカンス、短編映画、ドキュメンタリーの宝島と立て続けに見る。2回目に見るものもあるが全部素晴らしい。カメラの位置やカットの繋ぎ方、物語と映画の距離、あらゆるところにこだわっているのが伝わって来てそういったところを前提として安心しながら興奮して見ることができる。

エリックロメールに敬意を持ちながらもよりひいたショットで自分の画面を作ろうとしている。自転車、落下するカップル、喧嘩、川の流れといった反復されるモチーフたちもそれぞれの作品で変奏され全く別の可能性として遍在を始める。

同じ作品、脚本、筋書きであろうと、カット、音楽、編集、物語の繋げ方を変えるだけでそれは二度語られる違う話となる。トゥワイス・トールド・テイルズと誰かは言った。

自分が見たい映画はそういうものだと思った。




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