
原題は「Ferrari」
1957年、イタリア
「フェラーリ」の創始者エンツォ・フェラーリ59歳(アダム・ドライバー)は
息子を難病で亡くし悲観にくれ、妻ラウラとの関係も
会社の経営も破綻の危機

一方では愛人リナ・ラルディシャイリーン・ウッドリーから
2人の間に生まれた息子ピエロを認知をどうするのか追及されています

エンツォはライバルのフィアットにだけはどうしても負けたくない
フォードから買収の話が来ていると(このとき、まだ話は来ていない)
嘘の新聞記事を書かせたり
「ミッレミリア」(1,000マイルの公道レース)で優勝し
知名度を上げて会社を立て直そうとします

御年81歳、マイ
ケル・マンは大の車好きで
フェラーリ(とホンダ)の愛好家であることでも有名だそうです
確かにフェラーリへの愛は感じましたし
アダム・ドライバーの熱演も認めますが

やはり本作はフェラーリとイタリアに敬意を示して
イタリア人監督とイタリア人俳優に撮らせるべきだと思いましたね
「フォードvsフェラーリ」を見ても一目瞭然
イタリア人はイタリア人こそが演じてしっくりくる

アダムは日本人を演じろと言われたら
たぶん日本語訛りも完璧にこなすのだろうけど
日本人から見たら不自然になるのと同じ

そこら辺、ペネロペ・クルスはスペイン生まれだけど
ラテン系だけあっていちばん熱量がわかっている
夫に愛人(というより死語?の妾(正妻ではない妻))がいても
妻としても、ビジネスパートナーとしての立場も絶対譲らない
(姑に嫌味を言われ)跡取りが必要なこともわかってる

それでも、自分が生きている間は
隠し子の認知は決して認めないと言い切るのです

自分が半分所有している名義はくれてやってもいい
条件は銃を返して(離婚したり認知したら殺してやる宣言 笑)
見事な演技だったと思います

一方のシェイリーン・ウッドリーは、実際の愛人が
テレサ・テンの「愛人」みたいな女性だったのでしょうか(笑)
自分はともかく、息子のことに関してはもっと
強く出るのが母親として普通だと思うのですが
ずいぶんと奥ゆかしい女性だったんですね
(ラストでピエロがフェラーリの副社長になったというテロップは出たけど)

クライマックスはやはり「ミッレミリア」でのレース
狭い道路ギリギリまで大勢の人々が集まり
まさにレースと観客が一体になって盛り上がるという感じ

でもそのことが悲劇に繋がってしまう
子供を含む9名(+身元不明者4名)が
事故に巻き込まれ死亡してしまいます
その(有名である)事故が
なんだか1番の見どころになってしまっているんですね

結局エンツォ自身が最も力を注いだのは
美しい車を作ることなのか
カーレースに勝つことなのか
会社を倒産させないことなのか
妻(死んだ息子)への愛なのか
愛人(嫡出でない息子)への愛なのか

エンツォの、いかに車に対する「これ」というこだわりや
妻より、息子より、車を愛して愛して止まないというくらいの
美しい車を生み出すための強い執念も見つけられない
ネオレアリズモのような、滅びの美学もない

確かに力作で、お金もかけているし良く出来た映画
でも私の心には、ペネロペとミッレミリアの悲劇以外は
ただの傲慢で半端な男の物語でしかなく、何も突き刺さらなかった
フェラーリと言う歴史を残したことは認めるけど
【解説】映画.COMより
マイケル・マン監督がアダム・ドライバーを主演に迎え、イタリアの自動車メーカー・フェラーリ社の創業者エンツォ・フェラーリを描いたドラマ。ブロック・イェーツの著書「エンツォ・フェラーリ 跳ね馬の肖像」を原作に、私生活と会社経営で窮地に陥った59歳のエンツォが起死回生をかけて挑んだレースの真相を描く。
1957年。エンツォ・フェラーリは難病を抱えた息子ディーノを前年に亡くし、会社の共同経営社でもある妻ラウラとの関係は冷え切っていた。そんな中、エンツォは愛人リナとその息子ピエロとの二重生活を妻に知られてしまう。さらに会社は業績不振によって破産寸前に陥り、競合他社からの買収の危機に瀕していた。再起を誓ったエンツォは、イタリア全土1000マイルを縦断する過酷なロードレース「ミッレミリア」に挑む。
妻ラウラをペネロペ・クルス、愛人リナをシャイリーン・ウッドリーがそれぞれ演じた。2023年・第80回ベネチア国際映画祭コンペティション部門出品。
2023年製作/130分/PG12/アメリカ・イギリス・イタリア・サウジアラビア合作
原題:Ferrari
配給:キノフィルムズ