ぶんぶんの連れ合いが勤め先の勤続○年の慰安旅行でハワイに行くので、100ドル渡してフリーの日に真珠湾(パールハーバー)の見学をお願いしました。今回はその様子を現地でもらったパンフレットを使って紹介します。
目次
- 1 真珠湾(Pearl Harbor)
- 2 ビジターセンター
- 3 アリゾナ記念館(The USS Arizona Memorial)
- 4 戦艦ミズーリ(The USS Missouri)
- 5 太平洋航空博物館(Pacific Aviation Museum Pearl Harbor)
- まとめ
- おわりに
1 真珠湾(Pearl Harbor)
パールハーバーはアメリカ合衆国ハワイ州オアフ島にある入り江の一つで、アメリカ海軍太平洋艦隊司令部などアメリカ軍の大規模な軍事拠点が置かれています。
現地でもらったパンフレット。上がオアフ島全体。下がパールハーバーとその中心にあるフォード島の拡大図。

1890年代にアメリカ合衆国は帝国主義政策を推進し、ハワイに砂糖会社が進出しました。アメリカはハワイ王国への干渉を強め、1895年にリリウオカラニを退位させてハワイ王国は滅亡、1898年にハワイを併合しました。
オアフ島南部の海峡と浅い沼地は現地の言葉でWai Nomi(真珠の水)と呼ばれ、それが「パールハーバー」の由来です。
一帯では砂糖会社によってサトウキビが生産されていましたが、アメリカ合衆国が第一次世界大戦に参戦すると、湾内のフォード島を中心に軍事施設が建設されました。その後基地はアメリカの太平洋政策の重要な軍事拠点に成長しました。
1941年12月7日(ハワイ時間)、日本の機動部隊が真珠湾を攻撃しました。いわゆる「太平洋戦争」の開始です。この時に撃沈された戦艦アリゾナの真上に乗務員の追悼および真珠湾攻撃自体を記念する施設が建てられています。
アリゾナの撃沈 アメリカ合衆国の公務員の撮影なのでパブリックドメイン

2 ビジターセンター
真珠湾攻撃の追悼・記念の施設は軍の施設内にあります。入るときには透明のビニール袋に私物を入れ替えます。飲み物(透明な容器)、スマホ、財布(大きすぎると大金を持っていると思われるのでポケットから出さないように言われる)はOK、軍の施設だけあってセキュリティーが厳しいです。

3 アリゾナ記念館(The USS Arizona Memorial)
ビジターセンターからボートに乗って向かいます。乗船前にアメリカ合衆国の国歌が流れ、全員で黙とうします。引率の軍人から「追悼施設なので大声を出したり通話は禁止、死者へのレスペクトを忘れずに」という注意があったそうです。

記念館に到着すると海面に油が浮いているのが見えます。沈没したアリゾナから出ている油で、艦内には未回収のご遺体があるそうです。記念館には大理石に刻まれた戦死者の一覧がありました。乗組員1177名のうち1102名が死亡しました。

4 戦艦ミズーリ(The USS Missouri)
1945年8月14日に日本はポツダム宣言を受諾、9月2日に降伏文書に調印しました。その場所が戦艦ミズーリです。
ミズーリは1944年6月に就役し、1945年2月に硫黄島上陸作戦を支援した後、同年4月の沖縄上陸作戦に参加し、海上から砲撃を行いました。この時特攻隊の攻撃を受け、右舷甲板後部が破損しました。
ミズーリは1945年8月29日に東京湾に入り、9月2日に艦上でマッカーサー元帥率いる連合国側と重光葵全権率いる日本政府代表団との間で降伏文書調印式が行われました。
アメリカ合衆国のニュース映像
ミズーリは朝鮮戦争に出動した後1955年に予備役となりますが、1980年代の「新冷戦」の影響で近代化(トマホークやハープーンを実装)が施され1986年に再就役となり、1991年の湾岸戦争に出動しました。
再度の退役後、艦は海軍からUSSミズーリ保存協会に寄贈され、1999年から記念館として一般公開されています。
ミズーリ記念館にはビジターセンターからバスで橋を渡ってフォード島に入ります。連れ合いの話では検問で止められ、車の下まで調べられたそうです。
ミズーリ正面。16インチ(40.6センチ)砲9門を搭載しています。

降伏文書の調印が行われた甲板にはその時の様子の写真や降伏文書のレプリカが展示されています。

特攻隊の飛行機が衝突した後部甲板。機体の残骸の中から乗員の遺体を発見し、キャンバス布に包み、水兵が作った日本軍の旗をかけて水葬したそうです。戦死すれば敵も味方もありません。

記念館の入り口にアメリカ太平洋艦隊司令長官兼太平洋戦域最高司令官のチェスター・ニミッツの銅像があります。彼は若いころに東郷平八郎と会談して強い影響を受け、日本占領中には戦艦三笠の保存に尽力しました。

5 太平洋航空博物館(Pacific Aviation Museum Pearl Harbor)
過去の戦闘機等が展示されています。
ゼロ戦(アメリカでは"Zeke")。世界で6機現存している三菱製A6M2のひとつで、1964年にソロモン島のジャングルで発見され、リストアされたものです。連れ合いが現地で見た感じは非常に軽くて薄く、「若い人たちにこれに乗って体当たりして死ぬように命令するなんて人権無視も甚だしい」と憤りを感じたそうです。

カーチスp‐40(Warhawk)
アメリカ陸軍航空軍で運用された戦闘機で、汎用性が高く量産体制が整っていたので第二次世界大戦初期に各国軍に提供されドイツ軍や日本軍と戦いました。
性能面でゼロ戦に劣るため改良が施され、F形以降は「Warhawk」と呼ばれます。機首下部には大きなラジエーターが取り付けられており、機首全体がサメの頭のような形をしているのでサメの絵が描かれました。

ほかにもB25(空母から発艦して日本を空襲した)、F4F‐3(第二次世界大戦後期に活躍)などのプロペラ機や、F-5Aなどのジェット機が展示されていました。
潜水艦の記念館もありましたが時間の都合で見学できなかったそうです。
まとめ
① 自由と民主主義と平和は引き継ぎたい
降伏文書調印直後のマッカーサー元帥のラジオでの演説
出典
オアフ島パールハーバー(真珠湾)に係留されている戦艦ミズーリ記念館。戦艦ミズーリの歴史。マッカーサー元帥のラジオでの演説。
92年前に来航した同朋のペリー提督を偲んで、私たちは今東京に立っています。彼は友好関係、貿易や通商における世界からの孤立化をなくそうと、啓発と進歩を求めて日本へやってきました。しかし悲しいかな、西洋科学との接触が、まるで抑圧や奴隷へと繋がるかのように捏造されて伝わってしまったのです。表現の自由、行動の自由、思想の自由は迷信に過ぎないと否定されてしまいました。しかし、私たちはポツダム宣言によって誓約されたように、日本人を奴隷的な状態から解放する任務を負っています。
日本民族の能力を建設的な軌道に振り替えられるなら、この国は現在の憐れむべき状態からやがては立派な地位に自らを高めることができるでしょう。
マッカーサーの言う「日本の近代化はアメリカ合衆国によってもたらされた、しかも2度」は多くの日本人が共有する「集団記憶」ではないかと感じます。
パールハーバーと戦艦ミズーリはまさにその象徴です。日本は敗北の結果日本国憲法に代表される自由と民主主義と手に入れ、日米同盟で経済発展と国土の一応の安全を手に入れました。
ぶんぶんはこのところ自由と民主主義が危機に瀕している気がしてなりません。日本はそれらを「勝ち取った」とはお世辞にも言えないのですが、せっかく手にした自由と民主主義は将来に伝えていきたいものです。
*発展
マッカーサーの演説は歴史学が言う「植民地主義」(進んだ西欧が遅れたアジアを文明化する)です。日本が戦争を始めて人権を抑圧したのは事実ですが。また日本の15年に渡る戦争の発端は中国大陸での軍事行動で、「太平洋戦争」という用語は東アジア、東南アジアでの日本の「加害の記憶」を薄めてしまうので、「アジア・太平洋戦争」を使用する歴史学者が多いです。また日本が安全のために沖縄に過度の負担を強いているのは「内なる植民地主義」に他なりません。
② 戦争の記念館は訪れたい
戦争の記念館を訪れることは過去を振り返り今を見つめ直す機会になります。連れ合いは「日本人にはアウェイの場所かも」と思って入ったら、どの展示も「アメリカすごい!」「日本が悪い!」ではなく事実を淡々と展示していて、アメリカ人の観光客に混じって館内を見学しました。
ガイドは「日本人で訪れる人は少ないのでもっと来てほしい」「アメリカの学生がハワイを訪れると必ずここを訪れる」と言ったそうです。ぶんぶんが「今度行く長崎の修学旅行で原爆資料館がコースに入っていない」と言ったら連れ合い(長崎出身の福山雅治の大ファン)は「長崎で平和学習しないなんてありえない」とおかんむりでした。
*発展
過去の戦争の記念は、歴史学では「集団的記憶の形成」(「アメリカ人」は何者かを過去に問う)といいます。アメリカ合衆国は建国以来何度も戦争をしていますが、その記念館を多数建設しています。
国内外を問わず、観光地に行ったら戦争関連の史跡や資料館を訪れてみてください。
おわりに
パールハーバーは現在もアメリカ太平洋艦隊の重要拠点です。ちょうどリムパックが行われていてアメリカの空母や環太平洋各国の艦船が集結していました。自由と民主主義は安全があってのことです。もちろんその負担を特定の地域に押し付けてみて見ぬふりはいけません。

最後に、4時半起きで取材に行ってくれた連れ合いに感謝です💛。福山雅治さんは、父親が運よく原子爆弾の直撃から逃れた経験から、長崎で行われる平和イベントに参加しています。