
離島として日本最大の火口湖や、一日で消失した神秘のロストレイクも
伊豆諸島のひとつである三宅島は、2000年の噴火から四年以上の全島避難という強烈な被災経験をもつ島。数年たって忘れたころに島民がようやく島での生活を再開できるようになったことは、若いころニュースで見た記憶があった。平成の時代のことである。
その後、東日本大震災や能登地震を経て、「避難生活」「復興」という言葉を自分ごととして強く意識するようになった。
三宅島を初めて訪れた日、その生々しい噴火の痕跡に衝撃を受けた。1983年噴火で溶岩に呑み込まれた小学校やクルマ・・四十年も前で止まった日常が、ごくふつうに目の前にある。
2000年噴火で全島避難した住民たちは、すぐに戻れると思っていた。まさか四年以上にわたって島に帰ることができないとは思いもよらなかった。島の生活が再開されても、戻った島民は四分の一だけだった。
この島には離島では日本最大の火口湖がある。一方、近くには一日に何度も水の色が変わる神秘の湖が、突然の噴火によって消失したというロストレイク跡地も。溶岩流が海岸に達して生まれたタイドプールタイプの池もあり、ここには火山のもたらす破壊と恵み、苦難と希望の多くがある。

島の地形と池
火山に始まり火山に終わる島
三宅島は直径8kmの円形をした島。海がなければ活火山の山頂部である。火山活動度ランクA、常時観測対象火山に指定。
島を形成する多くの事物は火山に始まり火山に終わるといっていいほど、火山づくしのジオパーク。ただ、2000年8月の島主峰・雄山の噴火以降は四年半の全島避難期間を含め、2024年の現在に至るまでお鉢状の環状道路より上は立ち入り規制が保持されており、いわゆる登山というような登山は許可を得たガイドツアー以外はできない状態となっていた。



島中央に三重カルデラの雄山
雄山 (813. 8m) →標高775mに
陥没によって最高点が変わってしまった。
島民を震撼させた大噴火。丸い山がギザギザに
島のど真ん中に鎮座する雄山は2000年8月の噴火によって形が変わってしまった。島の人によると頂上が丸い山だったとのことだが、噴火後はギザギザでノコギリの刃のよう。
噴火から25年近くが経過した今も厳しい立入規制が。
標高350mの外周道路より上が火山ガスのため立ち入りが禁止されている。
わずか10日間で深さ500mの陥没穴が
噴火した雄山の中央の巨大なくぼみは、爆発によって頂上部が吹き飛んだわけではなく、陥没によって生まれた新しいカルデラ。もともとお鉢道路のラインに古い時代のカルデラがあり、中央火口丘としての雄山を戴くかっこうで二重カルデラの八丁平カルデラがあったものの、2000年の噴火で八丁平カルデラそのものを呑み込むようなかっこうで陥没してしまった。
この陥没は奈落の底のような急転直下の壁に囲まれ、その深さは500mに及んでおり、日本のみならず世界でも屈指の壮絶な景観を呈している。観光資源にできれば三宅島は世界屈指の絶景トレッキングスポットとして空前かつ永続的な活況を呈しそうなものだが、四半世紀にわたって続く火山性有毒ガスによる立ち入り規制によって実現していない。

深さ500mのカルデラ底には、赤と青の池が
爆裂火口(マール)は多い
一方で火口湖はわずか
島には多くの水蒸気爆発による爆裂火口跡が見られる。一方、スコリアの浸透性の高い土壌のため、水がたまっている火口湖は希少。
新澪池
江戸時代の噴火で生まれた火口湖だったが、昭和58年(1983年)の噴火で消失。

島の生活と水
なんと大路池も上水道水源
伊豆諸島の降水量は多いものの、三宅島の場合は豊富な地下水を水道水源とする神津島や、山塊を開折する河川の表層水を原水として利用できる八丈島とは事情が異なり、新しい円錐形の成層火山地形・地質のため、表流水をもたらす沢や中間湧出を生むハケなどはなく、スコリア土壌に吸い込まれた地下水も多くは海に流出してしまうとのこと。
三宅島が比較的新しい火山であり、火山体を開折する谷も恒常水流を擁する迄に到っていないという点に注意を喚起したい。三宅島の水資源を表流水に期待できないという意味である。この点は八丈島で水力発電が可能であったことと較べて大きな差異であろう。
(高山茂美「三宅島の観光開発と水資源問題」1973)
ダムなし、井戸なし、海水淡水化施設なし、天水槽のみ
近代水道技術が急速に発展した明治時代以降も三宅島においては上水道用のダム式貯水池はひとつも造られていない。また深井戸掘削も坪田地区西部の農業用のものを除いて事例はなく、島民はもっぱら天水を個人的に貯めて利用していたようである。
伊ヶ谷地区にある「小金井小次郎の井戸」は石積みの貯水槽(昭和2年からはコンクリート製)の形態の「池」であり、地下水を汲み上げる「井戸」ではない。

配水池は3つ
「三宅島の水環境に関する水文地理学的研究」(松本 達志, 小寺 浩二 / 2023)によると浄水された給水用の水が揚水された配水池は3ヶ所。
農業用貯水池が二基
雄山の中腹にシート遮水処理がされた農業用貯水池がある。
八重間マールの砂防ダムと深井戸
高校裏の砂防ダムから取水
離島では砂防ダムを貯水池として活用する事例をしばしば目にしてきた。ここ三宅島でも一ヶ所、八重間マール内にある高校裏の砂防ダムから取水しているという話を宿の人から聞いた。
農業用の深井戸
一方、文献に出ていた坪田集落西の農業用の深井戸については地元の人も存在を知らず確認できなかった。再取材の際に役場の人にもあたってみたい。下は紀伊水道に浮かぶ伊島(徳島県)の事例。
鉄炮沢の巨大砂防ダム



参考
八丈島の水事情
八丈島は古くは米作も行われていたため、マイマイ井戸や溜め池も古くから造られてきた。スコリアで水の乏しい新山とは別に、古い火山で表流水も豊富な三原山があるおかげで、上水道に関しては大川という河川水で賄えている。
伊豆諸島の水配り神話
海水淡水化施設の事例(南大東島)
地下ダムの事例(宮古島)
離島だけどクルマは品川ナンバー
行政的には東京都に属し、クルマのナンバーは品川ナンバー。さらに世田谷ナンバーを付けた猛者もいた。
下の写真は阿古にある島で一番大きなスーパー。味があっていい感じ。でもびっくりするほど物価が高い。たぶん世田谷より高い。寿司は高すぎて手が出ず、焼きそばパンにしても400円もしたのであきらめた。

三宅島の資料
三宅島郷土資料館











三宅島のジオスポット
長太郎池
三池(浜 / 港)
名前に池がついているが、三池港の桟橋には、真ん中に池がある。

ツル根岬(磯釣り場)






立根の仮橋(土石流跡)



メガネ岩





学校下のタイドプール
駐車場、トイレあり。







コシキの穴
コシキ火口、コシキスコリア丘。
以下、現地案内板より。
阿古集落の背後に静かにそびえるコシキ火山は、1643年に大噴火をおこし、阿古集落を溶岩で埋め、大量の噴出物を平田方面に降らせました。このときの噴火で、今崎海岸をはじめとする阿古地区の溶岩台地が形成されました。
コシキ火口は、東西800m、幅600mの大きさを持つ、南に開口した外輪山の中に、底面の直径
400m、高さ75mの砕層丘ができており、山頂部には直径100mほどで深さ30mの大きな火口が開
2009年より、有志の手によって遊歩道が整備され、火口緑や火口底を自由に歩けるようになりました。以前は、火口内で果も作られていました。現在では美しい森がよみがえり、見晴らし台からは雄大な景色が楽しめます。特に海に沈む夕陽は絶景です。










七島展望台





山腹割れ目噴火





アクセスと交通
大型客船
三宅島で到着港は三ヶ所
東京竹芝桟橋から毎夜、夜行客船が出ている。こちらはおよそ7時間かけて早朝4:50に三宅島に着くので、たっぷり一日を活動にあてられる。
隣の三宅島や八丈島へは欠航することも時々あるが、三宅島まではだいたい来るとのこと。訪れた2024年の春先でも、三日の滞在のうち、御蔵島を飛ばして八丈島に行く日、御蔵島も八丈島も欠航で三宅島折り返しの日もあった。
三宅島には大型客船が到着する港が三つあり、天候や気象によって寄港先が変更になることもしばしば。メインの港である阿古港以外は売店、食堂、観光協会もないので注意。下の写真は伊ケ谷港。



メインの阿古港





クジラが現れることも
東京行きの三宅島出港後、デッキは大型望遠レンズを付けたカメラマンがズラリ。何かと思っていたら、ホエールウォッチング。運よくジャンプを二度見ることができた。下の写真では中央上に映っている飛沫がクジラの尻尾が入水した直後。


小型航空機
調布から一日3便
調布飛行場からは航空便が一日3便。50分ほど。


調布飛行場



三宅島空港
空にいた50分の間に、関東地方では大きな地震があったことを島の空港のテレビで見た。



大島か八丈島からのヘリコプター
毎日、1往復ずつが運行。
島影
三宅島
小型飛行機から



神津島から
多幸湾から見えた三宅島と御蔵島。

神津島の天上山から


海上から


御蔵島と御代ヶ池
肉まんを海の上に置いたような形状をしており、標高851mの御山の南側は大きく割れた開折谷が海へと下り、標高545mの山腹おどり場に御代ヶ池という山池がある。
下の写真・案内板は三宅島の立根橋公園展望台にて。




マップ
現地案内マップ

島池さんぽマップ



