2024年にフランスで刊行されたトマ・シュレセールの小説『Les Yeux de Mona』(モナのまなざし:52の名作から学ぶ人生を豊かに生きるための西洋美術講座、清水玲奈訳、ダイヤモンド社、2025年)は、視力を失う危機に直面した10歳の少女モナと、その祖父アンリの物語である。本書は心に響くストーリーと芸術史に対する深い洞察で評判となり、フランス国内外でベストセラーとなった。本書の英訳版はアメリカでも高く評価され、バーンズ・アンド・ノーブルが選ぶ2025年のブック・オブ・ザイヤーにも選出された。
物語の中心となるモナは、いつか視力を失うかもしれないという原因不明の病に脅かされている。この取り返しのつかない事態が起こる前に、アンリは世界の美しさを記憶に刻ませたいと願い、52週間にわたって週に一回、ルーヴル美術館、オルセー美術館、ポンピドゥー・センターへ彼女を連れて行くことを決意する。医師は小児精神科医を勧めるが、アンリはこれを独自の「芸術療法」として実践するのである。
小説は52章で構成され、各章ごとに一つの傑作を取り上げる。物語はモナの日常や家族との関係、病の進行を描く場面から始まり、その後アンリが選んだ芸術作品を紹介する。絵画や彫刻、写真、インスタレーションまで幅広い作品が登場し、詳細な解説と歴史的背景、そして芸術家にまつわる物語が語られる。アンリは作品を通して人生の教訓を引き出し、贈り物や疑問、メランコリーや反抗の意味をモナに伝え、芸術の力を発見させていく。取り上げられる芸術家はボッティチェッリからバスキア、スーラージュにまで及び、知名度の低い作家の作品も紹介される。さらに本書には、取り上げられた52作品が折り込みカバーの内側に収録され、読者は実際に作品を参照しながら読むことができる。
本書の主題は多岐にわたる。芸術は美的対象を超えて人生を学び、人間的成長を導く手段であることを示すとともに、ダ・ヴィンチの言葉に象徴される概念「Saper Vedere(見ることを学ぶ)」を踏まえ、視覚を世界を理解するための鍵として強調する。また祖父母と孫の特別な絆や、芸術鑑賞における感情と知性の働き、さらには喪失と受容の問題も扱われる。マレーヴィチの「黒い十字」などを例に、抽象芸術が自由と自己再創造の象徴であることが語られる一方、身体性や感覚、遊びやユーモアの重要性も説かれる。芸術体験の没入性や強度が強調され、最初の教訓として「受け入れることを学ぶ」が提示される。
この小説は芸術史を広く一般の読者にわかりやすく伝えていることも特筆すべき点である。シュレセールは、芸術作品の鑑賞方法には多様性があることを認め、美術館での体験は自由であるべきだと主張する。スマートフォンで写真を撮ったり、情報を検索することはもちろん、ゴダールの映画『はなればなれに』で描かれたルーヴル美術館を走り抜けることでさえ、芸術と関わるための一つの方法だと肯定している。
トマ・シュレセールは、1977年生まれのフランスの美術史家・作家である。ハルトゥング=ベルイマン財団のディレクターを務め、パリのエコール・ポリテクニークで美術史の教授も務めている。かつては『Beaux Arts magazine』のジャーナリストやラジオ・ノヴァの番組制作にも携わっていた。
シュレセールは2006年に社会科学高等研究院(EHESS)で美術史と歴史・文明研究の博士号を取得し、写実主義の画家ギュスターヴ・クールベに関する論文を発表している。彼は特に「美学と政治の関連性」に焦点を当てており、風刺画や検閲、反人間中心主義といったテーマに関する著書を多数出版している。2022年にはアンナ=エヴァ・ベルクマンの初の伝記『Anna-Eva Bergman – vies lumineuses』を出版し、アーティストの身体性に特に注目した。
本書は彼の二作目の小説である。この作品は国際的に大きな反響を呼び、38の言語に翻訳された。2025年には『Livres Hebdo』誌から「今年の作家」に選ばれており、映画化権もすでに売却済みとの報道もされている。
『Les Yeux de Mona』は、人生の困難に直面したときでも、芸術が与える慰めや美しさが人をより豊かで自由な存在へと導くというメッセージを伝えている。本書はモナの物語を通して、芸術との新たな関わり方を発見させてくれる一冊といえるだろう。
参考資料:
Les yeux de Mona : Un modèle de petite-fille - En attendant Nadeau